text (八雲)

□名のない感情
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例えば、生まれてすぐの、赤ん坊の時に見て聞いて感じた事の記憶が、今はもうすっかりないように。

例えば、遠い国の、僕らとは文化もなにもかもが違う原住民の人々が、虹を三色だと認識しているように。

でも実際は、覚えていないだけであって、赤ん坊は生まれた瞬間から周りのもの、全てを全身で感じ取っているし、虹を見れば三色以上の色が僕らには見えてくるように。



世の中には、沢山の矛盾と相違がはびこっている。



では、その沢山の矛盾と相違を生み出す原因はいったい何か?

その答えは『言葉』なのだと僕は思う。




生まれたばかりの赤ん坊は、当たり前の事だが『言葉』というものを全く知らない。だから、例えば目の前にタオルを広げられたとしても、言葉を知らないのでは、目の前にあるモノが『タオル』なのだと分からない。

感情も同じで、もしも周りに誰もいなくなって、独りでとても心細い思いをしたとしても、言葉を知らないのでは、その感情が『寂しい』という名のものだと分からないのだ。

名を知らないのでは、記憶に残すことも出来ない。人の記憶というものは、覚えてゆく言葉と共に、徐々に残されるものなのではないだろうか。



またそれと同じ様に、ある原住民の人々は色を表す言葉をあまり多く知らないために、虹を三色で表現するという。

例えば、僕らが桃色と表現する色を見たとしても、桃色という言葉を知らなければ、それを桃色とは認識出来ない。けれど、その色は確かに存在しているわけだから、なんとかその色を自分の知っている最大限の言葉で表現しようとするのだろう。だがもし、色を表現する言葉を三つしか知らなかったとしたら、その知識上の三色の中で一番それに酷似している色で表現するしかない。

だから、沢山の色を知っている僕らが虹を七色と表現する傍ら、虹が三色だと表現する人々が存在するのだ。




つまり、人間というものは、『言葉』を知らなくては、自分を取り巻く物も、自分の感情も、自然が作り出す現象も、何も感じる事が出来ない生き物なのだ。

















だから、これは絶対に有り得ない事なんだ。










前にも述べた通り、理屈上、人間は言葉を知らないままでは、何も認識することが出来ないはずだ。




それなのに、どうして?



どうして僕は、目の前で泣きじゃくる君を見て、こんなに胸が苦しくなるんだ?どうして僕は、君の笑顔を求めている?


同情じゃない。苛つきでもない。



僕は、この感情を表現する『言葉』を知らない。



それなのに、こんなに苦しくてたまらなくなるなんて、今日の僕はどうかしてるよ。なにしろ、人間の持つ言葉という概念を飛び越えて、今の僕の感情が存在し、またそれを、あろう事か僕自身が認識してしまっているのだから。



ならいっそ、最後までどうかしていればいい。



珍しく感情に身を任せた僕は、君の泣き顔をこれ以上見たくなくて、君の頭を胸に押し付けた。










《名のない感情》
その『言葉』はきっと、
いつか君が教えてくれるだろう














三巻のあのシーン

あの時八雲がこんな事思ってたらステキだなぁ、と。

二人の恋までいかないけど、お互い気になり始めている、あのもどかしい感じが大好きです

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