text (八雲)

□Irreplaceable you (1)
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 「はぁ…遅くなっちゃった…」


 矢島美咲は、コンビニを出ると、すっかり暗くなった外を見渡し、小さく溜め息をついた。

 時刻は21時を少し過ぎている。
 
 真夏の夜の生暖かい風が吹き、美咲の短い髪を揺らした。その風の気味の悪さに、思わず腕をさする。

 迎えに来てもらおう。

 美咲は、スカイブルーのショルダーバッグから携帯を取り出し電話をかけた。


 [はぁ〜い、もしもし〜?おれ〜]


 しばらくのコール音の後、電話に出た声はひどく浮かれていた。

 電話越しでも分かる。こいつ、酔ってるな…。


 「もしもし和也?私!美咲!」
 [あ〜、み〜さきちゃ〜ん?]


 和也は、相変わらずの舌っ足らずな声で美咲の名前を連呼する。その緊張感の欠片もない声に、少々腹が立った。


 「ね、和也。私、バイトが今までかかっちゃったの。だからお願い。迎えに来て」
 [え〜!?おれ今、サークルの仲間と飲んでんだよ〜]


 和也が言うように、電話の向こうはがやがやと騒がしい。


 「飲んでるって、どこで?」
 [駅前の居酒屋〜]


 そこなら、ここから歩いて5分もない。


 「お願い!そこなら私のバイト先まで歩いてすぐでしょ?」
 [え〜!?]
 「お願いだから!前話したでしょ?私、なんだか誰かに付けられて…」
 [え、なに?二次会カラオケ?行く!行きます!ちょっと待って!…ごめ〜ん、美咲。おれ今、サークルの仲間と飲んでんだよ]
 「え、ちょっと、和也!?」
 [また後で電話するよ!じゃあな!あ、待ってよエリちゃ〜ん…]
 「和也!?」


 エリって誰よ…

 美咲は、一方的に切られた携帯を恨めしげに睨むと、溜め息をついた。


 「はぁ…なんか、潮時かなぁ…」


 仕方なく、一人でコンビニを後にする。



和也とは、もう三年付き合っている。大学一年の冬、和也の方から告白してきた。

 同じ学科で、何かと仲がよかった二人。美咲も、明るく陽気な和也に惹かれていたため、告白された時は涙を流して喜んだ。

 だが、付き合ってみないと分からない事も色々あるわけで。

 一般的にイケメンの部類に入る和也は、美咲と付き合い始めた後も割とモテた。浮気疑惑が浮かび、それが原因で喧嘩をした事も少なくない。何度か別れを切り出したが、その度和也は泣きながらこう言う。


『おれには美咲だけなんだよ〜。』


 典型的なダメ男。

 美咲は毎回、そう言えば許して貰えると思っている和也にも、そう言われると許してしまう自分にも、腹が立って仕方なかった。






 15分程駅前の商店街を進むと、住宅街へ続く道を曲がった。

 どこにでもある様な閑静な住宅街。21時半ともなると、普段は住民が行き交うそこも、人っ子一人いない。頼りの街灯も、50メートル置きに、ぽつん、ぽつん、とあるくらいで、さっきの商店街から比べると、明るさが昼と夜の差くらいある。

 怖いなぁ…

 美咲は、小さく呟くと、意を決し歩きだした。

 住まいであるマンションまで、あと約10分ぐらい。自然と早足になる。



 最近感じる、不穏な視線。

 バイト帰りに付けられてる様な気配を感じたり、いたずら電話が頻繁にかかってきたりと、最近美咲の周りは穏やかでなかった。

 ストーカー。

 真っ先に浮かんだその考えに、近くの交番に相談しに行ってみたが、はっきりとした証拠がないからと追い返されてしまった。和也にも訴えてはみたが、何かの勘違いだろうと、軽くあしらわれる始末。


 「まったく、それでも彼氏!?」


 今更になって、その時の和也の態度に頭が来て、一人小さくボヤいた。


 ダメだ。今度こそ別れてやる。

 美咲がそう心の中で決心し歩いていると、公園の横を通り過ぎた時、前方の十字路から何か黒い影が飛び出した。

 突然の事に声も出ない美咲の手首を、黒い影は素早く掴み、そのまま公園の茂みに引きずり込んだ。


 「やっ…」


 身を捻って抵抗する美咲を、黒い影は押し倒し馬乗りになる。その手が頬を撫で、首筋を伝い、胸の方へ延ばされる。全身に鳥肌が立ち、不快感が体中を駆け巡った。


 「いやっ!助けて!和也ぁ…っ」


 震える喉で力の限り叫ぶと、胸の方へ延ばされていた手がピタリと止まった。


 「…も…か…」
 「…?」


 その状態のまま、黒い影は何かをぶつぶつと呟いた。すると次の瞬間、カッと目が見開かれ、両手が美咲の首を締め付けた。


 「ぁ…っ!」
 「お前もかぁぁ!」


 粘着質な太い声で、黒い影が叫ぶ。両手の力はどんどん強まり、それに反比例する様に、美咲の意識は薄れていった。

 助けて…和也…


 美咲の願いにも似た叫びは、音になる事なく夜の闇に消えていった。









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 「やあ!…って、あれ?」


 晴香が『映画研修同好会』の扉を開けると、そこに部屋の主はいなかった。四畳半ほどの、無機質なプレハブ部屋には、冷蔵庫の機械音だけが響いている。


 「なんだ…いないのか」


 せっかく差し入れ持って来たのに…。

 晴香は、ほんのりと甘い香りを放つ紙袋を抱きながら、今ではもうすっかり定位置になっている扉側のパイプ椅子に腰を下ろした。

 「コンビニにでも行ったのかな…」


 晴香は天井を仰ぎ見ると、ぽつりと小さく呟き、溜め息を零した。


 あの事件から、1ヶ月になる。

 八雲が殺人事件の容疑者という濡れ衣を着せられた、忌まわしい事件。

 なんとか疑いは晴らせたものの、その後の八雲は本当に大変そうだった。

 殺人事件の容疑者だった事もあり、警察は彼の潔白が明らかになった後も、事情聴取やら何やらでなかなか彼を解放してくれなかった。それに加え、全身にひどい怪我を負っていたため3週間の入院を余儀なくされた。

 当の本人は、住処の寝床に比べるとずいぶん快適なのか、病院生活をさほど嫌がる様子はなかったが。ただ、味より健康重視の病院食にだけは、顔をしかめていたのを覚えている。


 晴香は、その時の八雲のしかめっ面を思い出して、くすりと笑った。

 退院した今は、もうすっかり元気になって、今までどおり『映画研修同好会』と称したこの狭いプレハブ部屋で自由気ままに生活している。そんな八雲の姿を見て、晴香は心から安堵しているのだった。




 「それにしても遅い!!まったく、どこで油売ってんだか…」


 晴香がここに来てから暫く経つが、八雲は一向に帰って来ない。痺れを切らした晴香が向かいのパイプ椅子に向かってボヤくと、後ろの扉からガタリと何かがぶつかる音がした。


 「八雲くん?」


 扉の外からはそれきり何も聞こえない。八雲曰わく、「ドアスコープ」の穴からも、何も見えなかった。不審に思い、多少の恐怖心はあるものの、好奇心も手伝って恐る恐る扉に歩み寄る。一呼吸置いてドアノブに手をかけた。


 「えい!…って、あれ?誰もいない…」


 一気にドアを開け放つ。が、そこには誰の姿もなく、晴香はキョロキョロと辺りを見回した。


 「風かな… ん?」


 特に怪しい人影も見当たらず、内心ほっとしながらドアを閉めようとして、足元に落ちている物に気がついた。


 「なにこれ… 封筒…?」


 何の変哲もない白い封筒。拾ってみると少し厚さがあり、ただの手紙しては重さがあった。何気なく裏を見返し、目を見張る。


 「わ、私宛…?」


 そこには震える文字で、小さく「小沢晴香様」と記されていた。差出人の名前はない。
 不気味に思いながらそっと封を開き、中身を取り出して凍りついた。身の毛が逆立ち、背中を嫌な汗が伝う。目の前が深い闇に包まれる感覚がした。

 震える手で中身を一枚一枚確認すると、目をギュッと瞑り深呼吸を2回繰り返して立ち上がった。

 晴香はそのまま意を決したように空を睨むと、再び『映画研修同好会』と書かれた扉を開け中に入っていった。








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