text (八雲)
□Irreplaceable you (2)
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「1682円になります」
八雲は財布から二千円を取り出し、会計を済ませようとして手をとめた。
レジの横のちょこっとしたスペースには、おすすめ商品が並べられてる。その中に、派手な文字で『期間限定!!』と書かれた見覚えのあるチョコ菓子の箱を発見した。
残暑も激しい9月の半ば。夏の限定商品が今だに残っているのは珍しい。
八雲は、そのお菓子を見た途端浮かんだ顔に苦笑いをした。
いつだったかの暑い日。性懲りもなく自分の住処にやって来た、バカでお人好しなトラブルメーカー。
嬉しそうにコンビニの袋を掲げ、勝手に人の冷蔵庫に飲み物を補充すると、振り返って顔の前に何かを突き出した。
それは、派手な文字で『期間限定!!』と書かれたお菓子の箱。
「へへー、おいしそうでしょ!期間限定だって!」
嬉しそうに語る彼女に、バカは"期間限定"や"一点物"という言葉に弱いんだと言えば、これでもかというくらい頬を膨らませて文句を言ってきた。
相当気に入ったのか、その後も度々買っていたが、最近になってどこのコンビニへ行っても売ってなくなったと彼女が嘆いていたのを、頭の隅でぼんやりと記憶していた。
「お客さま?」
二千円を手にしたまま固まる八雲を不審な目で見ながら、店員が声をかけた。その声で我に帰った八雲は、気まずげに『期間限定!!』の商品を店員に差し出した。
「すいません、これもお願いします」
店員が商品を受け取ると、八雲は今度こそ二千円を支払った。
コンビニを出ると、とたんにむわっとした生暖かい空気が襲ってきた。東京は残暑が激しい。毎年の事ながら、いい加減うんざりする。コンビニとは、食料があるうえ空調も調えられてる天国の様な場所だと、改めて実感した。
今朝はとくに酷かった。まとわりつく様な暑さに、いつもより大分早くに目が覚めた。暑さが邪魔して再び眠る事も適わず、食欲も湧かない。図書室に逃げるという手もあったが、こういう日に限って司書が休みとやらで臨時休館。
途方に暮れた八雲は、数日前に借り込んだ本に集中する事に専念して、暑さを紛らわす作戦に出た。だが、窓を全開にしてはみたものの、やはり暑さに勝るものはない。結局、ページはめくれど内容が頭に全然入らないという、悲惨な結果で終わってしまった。
そんな事をしてだらだら過ごしていると、いつの間にか時間は過ぎ、携帯の時計を確認すると午後2時を回っていた。食欲は相変わらずだったが、さすがに飲み物だけではいかんだろうと思い、気だるい体をしぶしぶ動かしてコンビニへ行く支度をする。支度と言っても、ただ財布と携帯をジーンズのポケットに突っ込むだけの簡単なものだ。
冷蔵庫にしまっている鍵が一瞬頭をよぎったが、瞬時に浮かんだ顔に、結局冷蔵庫には寄らずに外へ出た。
外出中に、あいつが来るかもしれない。
そこまで考えて、慌ててその理由を追い払った。
別にコンビニに行くだけだ。わざわざ鍵をかけるまでもないだろう。
そう言い訳をする自分に溜め息をつくと、頭をがしがしと掻き回し、コンビニへと足を早めた。
そんな事があって、今はもう午後の3時になろうとしてる。昼食にしてはかなり遅い時間。もしかしたら、もうあいつは来てるかもしれない、と思ったところで携帯が鳴った。
ディスプレイに表示された名前はたった今思い浮かべた人物のもので。どきりと心臓が跳ねたが、平静を装い4回目のコールで通話ボタンを押した。
「また…」
[もしもし八雲くんっ!?]
晴香からの着信に、また君か、と半ば挨拶代わりにもなっている台詞を吐こうとして、すごい剣幕で遮られた。心なしか息も乱れている。
あまりの声のでかさに、思わず携帯を耳から遠ざけた。
「君は本当にうるさいな。もう少し静かに話せないのか。」
[今、どこにいるの!?]
文句を言ってみたが、相手は気にする様子もなく先ほどと同じ声量で話し続ける。さすがに耳が痛い。
「コンビニの帰りだ。」
[なんにもなかった!?怪我とかしてない!?変な人に声かけられたりとか…]
「…君じゃないんだ。そんな事あるわけがないだろう…」
[そっ、か… そっか。そうだよね…]
よかった…
小さくそう呟く声が微かに聞こえた。声量はだいぶ小さくなったが、明らかに様子がおかしい。
またトラブルか…?
八雲は盛大に溜め息をつくと、頭をがりがりと掻き回した。
「…で?何があった?」
[へ?]
「君は言葉も通じなくなったのか?何があったのかと聞いている。…またトラブルか?」
[ト、トラブルなんて…!別になんでもないよ!!]
トラブルかと聞いた途端、焦った様な口調になる。
「…何度も言うが、君は自分が思っている以上に嘘が下手だ。いいから、こじれる前に話してみろ」
[ほ、本当にトラブルじゃないってば…。…ただ……]
そう言うと晴香は口ごもる。電話の向こうからごにょごにょと何かを言う声は聞こえるが、何を言ってるかまでは分からない。
「…ただ、何だ?」
[…ただ、部屋に行ったら八雲くんがいないから…ちょっと不安になって…ただ、それだけだから…]
痺れを切らして先を促すと、一瞬の間の後躊躇いがちに呟かれた。その答えにチクリと胸が痛んだ。
「…言っただろう。もう僕は君に黙ってどこかに行ったりしない」
[え…?]
「どこかのお節介に泣かれるのは面倒だからな。…だから、不安になる必要もない」
[八雲くん…]
優しい言葉のかけ方を知らない八雲にとって、これが精一杯だった。
けれど、決して嘘ではない。
「…分かったか?」
[…うん]
そう頷く晴香の声は、ひどく悲しげに聞こえた。自然と早足になる。大学まであともう少し。
[…それじゃあ、もう、切るね]
「…ああ」
[八雲くん…]
ありがとう。
そう言って電話は切れた。やはり様子がおかしい。そんなに不安だったのか。ただコンビニに行くだけのほんの少しの時間さえも待てないくらい。
そう思うと、なんだか胸の奥がむず痒かった。早く会って、不安げな顔のあいつに皮肉の一つでも聞かせてやりたい。
はやる気持ちのままに歩き続けると、ようやく自分の住処となってるプレハブ部屋の扉の前までたどり着いた。一呼吸おいて、そっとドアノブを回す。
拍子抜けするとは、こういう事を言うのだろう。
八雲は扉を開けた状態のまま暫く立ち尽くした。そこに、晴香の姿はない。
どこへ行ったのだろう。待ちきれなくて帰ったのか?
じゃあさっきの電話はいったい何だったんだ、と、晴香の不可解な行動にいささか不機嫌になりながら、取りあえず中に入り、後ろ手で扉を閉めた。
定位置のパイプイスに向かう途中、机の上の紙袋に気がついた。手持ちサイズの、洒落た桃色の紙袋。外出時にはこんなもの置いてなかった。
近づいて確認すると、その紙袋を錘代わりに、机の上にはメモが残されていた。
『八雲くんへ 用事があるので帰ります。これ、よければ食べてね。 晴香』
メモには見慣れた丸い字でそう書かれていた。急いでいたのか、字が少し乱れてる。紙袋を開いて中を覗く。ふわりと甘い香りがした。
「…全く、君は本当にお節介だ」
八雲は、微かに口元を緩めながら小さく呟いた。
紙袋の中に入っていたのは、少し形がいびつなドーナツ。多分手作り。八雲はこのドーナツに見覚えがあった。
それは、八雲がまだ病院で入院中の時。病院食の不味さに、ほとほと嫌気がさしてきた頃、晴香が手作りドーナツをお見舞いにと持って来た。
最初は散々嫌味を言ったが、晴香のドーナツは思った以上においしかった。夢中になって食べたのを覚えている。
あの時は素直に美味いと言えなかったけれど、遠回しではあったがもう一度食べたいと言えば、嬉しそうに彼女は微笑んでくれた。
紙袋から一つ取り出して口に含むと、それはあの時と同じ味がした。
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