text (八雲)

□Irreplaceable you (4)
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 石井は、運ばれて来たホットコーヒーを一口啜ると、キョロキョロと周りを見渡した。

 駅前の商店街の中にある、ファミリーレストラン。相手が待ち合わせに指定してきたのは、この店で間違いないはずだ。

 昼時を過ぎたそこは人もまばらで、見渡す限りでは、石井の他に一組のカップルと、遅過ぎる昼食をとっているサラリーマンしかいない。

 時計を見れば、待ち合わせの三時半をとっくに過ぎていて、もうすぐ四時になろうとしている。

 石井はため息をつくと、もう一度コーヒーを啜った。







 「悪い、悪い。お待たせ」


 さすがの石井も痺れを切らし、電話をかけようと内ポケットから携帯を取り出しかけた時、店の入り口から見覚えのある男が苦笑いをしながら駆け寄って来た。

 男はそのまま石井の向かいに座り、ふう、とため息をこぼす。石井は、彼に気づかれないように慌てて携帯を内ポケットへ戻した。


 「悪いな。なかなか現場を抜けられなくて…。待っただろ?」
 「いえ、そんなには……」


 実は我慢できず電話しようと思ってましたとは、石井の性格から言えるはずもなく、曖昧な返事を返すと、取り繕う様に、もうすっかり温くなったコーヒーを再び啜った。




 「…で、佐々木刑事。今回はどんなご用件で……?」


 向かいの席で店員にナポリタンとアイスコーヒーを頼んだ男に、注文が終わるのを見計らい、石井は恐る恐る声をかけた。

 彼、佐々木康弘は、石井と同じ刑事課に所属していて、石井より二つ年上の先輩だ。若くして刑事課のエースと謳われる彼は、容姿端麗、頭脳明晰、運動神経抜群の三冠揃い。おまけに性格も良く、年齢性別部署問わず、たくさんの人から人気のある彼が、月とすっぽんの差くらいある石井に一体なんの用か。


 少し身構える様子の石井に、幾分やつれ気味の顔を苦笑いで歪めて、佐々木は内ポケットから一枚の写真を取り出した。


 「この写真を見てほしいんだ」
 「…?」


 佐々木が出した写真は、どこかの山で撮られたものだった。三十がらみの男女と、七、八歳くらいの男の子が川のほとりで笑顔で写っている。後方にテントが見える事から、家族でキャンプをしに来た記念に撮った写真なのだろう。


 「えーと…、この写真が何か……?」
 「ここをよく見てくれ」


 ひ、ひいぃ!これは…っ!

 佐々木の、少し日に焼けた長い指が、写真のある一点に乗せられる。石井は、指の誘導に素直に従い、佐々木の指の先を見つめて恐怖に身を震わせた。

 深緑の中に、小さく、ぼんやりと浮かぶ人陰。輪郭がはっきりとしないそれは、短髪でありながらその身体の華奢さから女性である事だけは見て取れた。全身がうっすらと透けて、背景の緑が身体に浮かび上がるその様は、この世のモノとは思えない。


 「こっ、これは…っ、そのっ」
 「こういうの、お前の管轄だろ?」


 生で見る心霊写真の迫力に押され、うまく滑舌が回らない石井に、佐々木はニヤリと意地悪く微笑んだ。


 「かっ、管轄と言われましても…。私は、その、霊感…と言いますか、そういったものは生憎……」
 「分かってるよ。俺だって、心霊写真の鑑定を頼みにわざわざお前を呼んだわけじゃないさ」


 いつの間にか運ばれていたナポリタンを頬張りながら、佐々木は肩をすくめて首を振った。へ?と、間抜けな声を出す石井に、佐々木は一瞬笑顔を向けると、急に真剣な表情を作り、身を乗り出して口を開いた。


 「お前、俺が今追っている事件の事、どれくらい知ってる?」
 「え…?」


 ポカンとする石井に、佐々木は形のいい眉を片方だけ器用にくいっと上げ、無言で答えを促した。


 「え、あ…。佐々木刑事が今追っている事件というのは、あの、女子大生が行方不明になっていた…。確か、3日前に遺体が発見されたんでしたよね?」
 「そうだ。丁度1ヶ月前に捜索願も出されていた。ただ、確かな証拠もなかったし、警察側も詳しい捜査はしなかったんだ。こう言ったら言い訳にしか聞こえないけど、それくらいの年頃の子が何も告げずに家を出るなんて、最近じゃ結構あることだろ?実はただの家出で、友達の家に世話になってただけって事もザラだ。だからその時も、あまり深刻には取り扱われなかったんだよ…」


 佐々木はそこまで言うと、深い溜め息をひとつ吐き目を伏せた。佐々木の様子に、何か言おうと口を開いた石井だったが、どんな言葉も不適切に思えて、だらしなく開いたままの口を噤んだ。


 「だからせめて、彼女にこんな事をした犯人だけは、なんとしても捕まえなくちゃと思ってな。」


 佐々木は力無く笑うと、事件の資料の中からまた一枚写真を取り出した。


 「…で。ここからが本題だ。今日、なぜ俺はお前をここに呼んだのか…だよな?」
 「は、はい」
「これは、今回の事件の被害者・矢島美咲ちゃんが生前撮った写真だ。」


 そう言って手渡された写真には、若い二人の女性が笑顔で映っていた。


 「向かって右側の、ショートヘアーの娘が美咲ちゃん」


 石井は、笑顔で写真に収まる彼女の顔をまじまじと見つめた。

 淡い栗色に染められた短い髪。大きな目は細められ、桃色の唇は緩やかな弧を描いている。隣の友人と笑い合う彼女に、死と言う言葉はあまりに不釣り合いだった。

 石井は、そこに映る美咲の笑顔を見つめ、ある違和感を覚えた。


 「これは…」
 「なにか分かったか?」
 「あ、いえ…。そういう訳ではないのですが……」


 石井が違和感の正体を考えていると、佐々木は先ほどの心霊写真を石井の前にぐっと押し出してきた。


 「これでも?」
 「…?」


石井は、美咲の写真から心霊写真へと目を移した。その迫力に、またもや背筋が凍りつき身震いをする。が、そんな石井をよそに、佐々木は更に写真を石井の目の前に近付けて、真剣な面持ちで続けた。


 「この写真に映っている女と美咲ちゃん、凄く似てると思わないか?」
 「ぇ、…え?」


 石井は驚きで目を見開いた。思わず佐々木の顔を見つめ返したが、その真剣な表情は変わらない。

 白い肌、短い栗色の髪、細く華奢な身体。

 「で、では、この写真の女性は、被害者の美咲ちゃんの霊…ということですか?」
 「分からない…」


 佐々木は溜め息混じりにそう言うと、乗り出していた体を元に戻し深く座り直した。


 「このキャンプ場での写真はな、俺の甥っ子家族が撮ったものなんだ」
 「甥っ子家族…ですか……」


 件の心霊写真を眺めながら、佐々木はポツリ、ポツリと話し始める。石井はというと、見えそうで見えない佐々木の真意を図りかねて、そわそわと落ち着かなかった。


 「撮影された場所は、美咲ちゃんの遺体発見現場から150キロも離れている」
 「はぁ……」


 石井は正直困っていた。佐々木の云わんとしている事が、うまく読めない。佐々木は自分に何を求めているのか。伺おうにも、彼の目は写真に向けられたままで、彼の考えを推し量る事は出来なかった。


 「写真は一週間前に撮られたものだ。甥っ子が心霊写真だなんだと騒いでな…。実際に俺がこの写真を目にしたのは4日前。で、美咲ちゃんの遺体が発見されたのが3日前、写真を見た次の日だ…」


 石井は、ここにきてようやく、彼の意図が掴めた気がした。今は取り合えず、話の腰を折らないよう、黙って佐々木の声に耳を傾ける。


 「あん時は驚いたよ……。甥っ子が心霊写真だと騒いでた写真に写ってる女と、被害者の女子大生が瓜二つなんだ。だから…」


 それまで何かの呪文の様に、淡々と紡がれていた佐々木の言葉が、ぱつんと、まるで何かで切ったかのように突然途切れた。

 佐々木は、口を開いては閉じ、何かを言いよどんでいるようだった。それでも石井は何も言わず、佐々木の言葉を待った。


 「…もしかしたら、ただ偶然面影が似ていただけかもしれない…」


 しばらく無言の時が続くと、佐々木は観念したかのように深く溜め息を吐き、再び彼の思いを語り始めた。


 「けど、俺にはどうしてもそれだけとは思えないんだ。馬鹿げてるかもしれないが、無念のまま死んでいった美咲ちゃんが、心霊写真を通して、俺に何かを訴えているんじゃないかって…。だから…」
 「分かりました!」


 石井は、今までずっと黙っていた分、大きく声を張り上げて拳を握った。いきなりの大声に、佐々木は軽くのけぞったが、そんなの構わず立ち上がる。


 「佐々木刑事!私どもにお任せ下さい!必ずや、その心霊写真の謎を解いてみせます!共に協力し、その憎き犯人を捕まえましょう!!」


 そこまでまくし立てて、急に我に返った。場違いな大声に、周りの客や店員、目の前に座っている佐々木までもがキョトンとして石井を見つめている。たちまち顔に熱が集まりだし、石井はおろおろと狼狽えた。


 「…あ、いえ、私は、その……」
 「はははっ」


 突然あがった笑い声に、石井はびくりと身体を強張らせた。笑声の持ち主は当然目の前の佐々木で、さらに石井は赤面する。周りの客や店員の関心は外れたものの、未だに笑い続ける佐々木を前に、いたたまれなくて逃げ出したい気分だった。


 「ああ、悪い悪い。違うんだ」

 佐々木は目に溜まった涙を指で拭いながらひらひらと手を振る。ただその口元から笑みが消えることはなく、まだどこか面白そうだ。

 「いや、ただ、余りにも予想通りの反応をするもんだから、ついな」
 「?」
 「石井、やっぱりお前に相談してよかったよ」
 「……へ?」


 ポカンと口を開けて動かない石井を見て、佐々木は本日何度目かの苦笑いを浮かべる。

 佐々木の言葉をやっと理解した石井は、じわじわと湧き上がる喜びに、先ほどとは違う理由で頬を紅潮させた。


 「あ、ありがとうございます!!共に頑張りましょう!!!」



 石井の大きな声が、再び店内に響き渡った。




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