text (八雲)

□Irreplaceable you (5)
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 「だから!これがどう見ても証拠でしょ!?」


 晴香は、苛立ちを抑えきれずに机を叩き、勢い良く立ち上がった。パイプ椅子が倒れる音が、小さな部屋に響き渡る。


 「よく見て下さい!この写真、どう見ても盗撮です!これがこの封筒に入って置いてあったんです!小沢晴香様って、私の宛名付きで…」
 「あー、はいはい。さっきも聞いたよ、それ…」


 目の前でパイプ椅子に座っている中年男は、面倒臭そうにその痩けた顔を縦に何度も振った。









 写真を拾った日から3日後の土曜日。晴香は、近所の交番に赴いた。

 本当はもっと早くに来たかったのだけれど、大学の講義やゼミ、バイトが忙しくて、なかなか機会を掴めなかった。3日間で私生活に特に変わった事はなかったが、写真を撮られている以上、そのままというわけにはいかない。



 晴香は入り口の前に立つと、ひとつ大きな深呼吸をした。落とし物を届けに交番へ行く事はこれまでに何度か経験したが、ストーカーの、しかも自分が被害者の立場となって警察のお世話になるのは今までなかった事なので、内心緊張しまくりだった。



 交番の入口をくぐると、そこにはひょろりと痩せた警官が椅子に座って机の上の新聞を読んでいた。

 恐る恐る晴香が声をかけると、その警官はチラリと視線だけよこして、「なんの用?」と素っ気ない返事を返えしてきた。その態度に多少の不満を感じたが、取りあえず椅子に座るよう促され、気を取り直してストーカーの話をすると、警官は露骨に顔を歪めた。

 証拠は、と聞かれて、まだ少し抵抗はあるものの、鞄のなかから写真の入った封筒を取り出し中身を見せると、警官の顔はさらに歪められた。

 その表情に、もしかしたら親身になって捜査をしてくれるかもしれないと、さっき感じた不満を取り消そうと思った瞬間、警官から発せられた言葉に晴香は耳を疑った。


 「これ、証拠とは言えないよ」













 それからが酷かった。

 まさかの答えにポカンと呆けている晴香をよそに、警官は、もうこの話は終わったとばかりに再び新聞を読み始めてしまった。

 我に返った晴香が慌てて声をかけると、あからさまに不機嫌になり舌打ちをする始末。

 それからはもう、ちゃんとした証拠を持って来いの一点張りだった。












 そして、今に至るのだが―――――




 「この写真だけじゃ、捜査しようにもねぇ…。写真撮られたくらいでストーカー、ストーカー騒ぐのはどうかと思うよぉ。大体、小沢晴香って言うのも、腐るほどありそうな名前だしねぇ…」
 「写真に写っているのは全て私です!」


 あまりの物言いに声を張り上げ、机に広げた写真を一枚ひっ掴むと、警官の前に突き出した。

 警官が身を引いて顔を歪める。


 「…悪戯って可能性もあるんじゃない?よく思い出してみてよ。友達にそういう悪戯が好きな子とかいないの?」
 「こんな陰湿な悪戯をするような友達、持っていません!…もう、いいです」


 結局、ただ面倒くさいだけじゃない!

 晴香は、乱暴な手つきで写真をたぐり寄せると、鞄に突っ込み交番を出ようと踵を返した。


 「あ〜、ちょっと待ってお嬢さん」


 呼び止められ、しぶしぶ振り返ると、警官は禿た頭を撫でながら、クリアファイルから紙を取り出しているところだった。


 「この紙に今回の件、書いてから帰って。一応それが決まりだから」


 そう言ってよこされた紙を、引ったくるように受け取ると、記載されてる項目に沿って必要最低限の事のみを殴り書いた。

 書き終えると、無言で紙を警官に押し返す。警官も無言でそれを受け取った。


 「お世話になりました!」


 帰り際、たっぷりと皮肉を込めて声をかけても、警官が新聞から顔を上げる事はなかった。


 鼻息も荒く、今度こそ晴香は交番を跡にした。








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 「はぁ…」


 交番からの帰り道。晴香は軽い脱力感を覚えながら、重い足を引きずり歩いていた。ため息なんて、何度吐いたか分からない。晴香は、赤く染まりつつある空を虚ろに見上げた。



 あの時は、つい感情に身を任せて飛び出して来てしまったけど、今思えば本当にただのいたずらだったのかもしれない。

 あの事件以来、八雲は大学内での密かな有名人になった。もともと、一心さんが亡くなってから、左目を隠さなくなったことによって名前は知れ渡っていたようだが、今回の事を機に、それに拍車がかかった。


 恐れ。同情。好奇。

 八雲の左目に対する人々の視線を、晴香も彼の口を通してではなく、直接的に感じることが多々あった。

 考えたくはないが、それの延長線、おもしろ半分で、大学内の誰かがやったという可能性もある。

 それなら、大学内では大体八雲と共に行動していた晴香をネタにする事だって、十分考えられる事だ。

 そちらの可能性の方がありえると思った途端、晴香の心から恐怖心が消え、代わりにふつふつと怒りが沸き上がってきた。


 「一体誰よ!?こんな事するの!犯人見つけたらただじゃおかな…っ!」


 晴香が怒りに身を震わせ大声を上げた時、晴香の鞄の中でケータイがけたたましく鳴り響いた。

 突然の着信音にビクリと身体を揺らした晴香は、バクバクとうるさい心臓をなだめながら鞄からケータイを取り出す。

 画面を開くと"非通知"の文字。


 誰だろう…

 最初は出るのを躊躇ったが、いつまでも鳴り止まないコール音に、晴香は意を決して通話ボタンを押した。


 「もしもし…」
 [……晴香…]


 恐る恐る電話の向こうに呼びかけると、返ってきたのは自分の名前を呼ぶ、男の低くしゃがれた声だった。一気に肌が栗立ち、いやな汗が背中を伝う。


 「…あ、あなた誰?私に写真を寄越したのもあなたね?」
 [俺はいつも晴香の側にいる。ずっと側にいるよ…]


 愛を囁くような口調に、寒気がした。言葉も、喉につっかえて出てこない。晴香はただ、男の言葉に耳を傾けることしか出来なかった。


 [今も、晴香のすぐ近くにいる。今日の服は黄色い…]


 慌てて電話を切った。恐怖で体が震える。周りを見渡すと、堪えきれずに駆け出した。


 怖い!助けて、八雲くん!

 知らず知らず八雲に助けを求めてしまったが、そんな事今の晴香には関係なかった。今はただ、恐怖が頭を占めていて、他には何も考えられない。


 「ちょ、ちょっと待って!」
 「!?」


 晴香が無我夢中で走っていると、突然強い力で腕を掴まれた。


 「やっ、いやっ!離して!!」
 「ちょっ、落ち着いて!僕はただ、君の落とし物を…」


 半べそになりながら暴れて抵抗する晴香の目の前に、ハンカチが差し出された。我に返った晴香は、抵抗を止めてハンカチを呆然と見つめる。落ち着いた様子の晴香に、男はホッと息を吐き、笑顔を向けた。


 「これ、君のだよね?」
 「…あ、はい。ありがとうございます…」


 段々冷静になり始めた晴香は、自分の失態を実感して、顔を赤くしながら慌てて頭を下げた。


 「す、すみません!私…」
 「いや、いいよ。…それより君、大丈夫?」


 晴香が顔を上げると、心配そうに自分の顔を覗き込む男と目が合った。


 「ずいぶん脅えた様子だったからさ…。何かあったんじゃないかな、て…」
 「あ、いえ…その…」


 晴香はさっきの電話を思い出し、再び顔を青くした。黄色いワンピースの裾を、キュッと握る。その様子に、男は更に心配そうな顔を向けた。


 「…何か、訳ありみたいだね…」
 「……」
 「僕でよかったら、話くらい聞くよ?」
 「え…?」


 再び男の顔を見上げた晴香に、男は労るような笑顔を向けた。



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