text (八雲)
□Irreplaceable you (6)
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「はぁぁぁ…」
石井は、もうだいぶ通い慣れた明政大学のキャンパスを歩きながら、盛大に溜め息を吐いた。心なしか涙も滲んでいる。
通り過ぎていく学生が、石井を不思議そうに眺めていたが、石井がそれに気づくことはなかった。
うつろな目が映すものは、彼が今歩いているタイル張りの道ではない。
ここ数日のできごとを思い出し、石井は再び溜め息を吐いた。
佐々木の話を聞いた当日、石井は決意も新たに、警察署に戻り、勢いよく『未解決事件特別捜査室』の扉を開けた。
この間、新しく石井のパートナーとなった宮川に、今回の事件を相談しようと部屋を見渡したが、なぜかそこに彼の姿はなかった。
石井が首を傾げて立ち尽くしていると、誰かがドアをノックした。
宮川かとドアを開けると、それは同僚の刑事で、石井の顔を見るとこう告げた。
「宮川課長、入院したよ」
何事かと、慌てて言われた病院に向かうと、なんと宮川は盲腸で手術中。手術後、まだ水も飲めない状態の彼に、心霊写真の真相を解明しようだなんて言えるわけもなく、石井は、取り合えず事件の内容だけ伝え、ひとりで病院を後にしたのだった。
それから二日。石井はどうしてもこの明政大学に訪れられずにいた。
八雲に対する恐怖心は、出会った頃から比べればだいぶ薄れたが、やはりひとりでは心細いところがある。
あの赤い左目で睨まれながら断られでもしたら、自分はかつての上司のように根気強く粘れる自信がなかった。
それでもやはり、そのまま放っておくわけにはいかない。昨日の昼間に佐々木から様子を伺う電話があった時は、さすがにもう逃げられないな、と思った。
そして今日、重い腰をなんとか上げて、この明政大学に訪れたのだが。
気分はどんどん暗くなる一方で、とうとう胃痛までしてくる始末。
それでも足は止まることなく動かしていたわけだから、いやでも目的地にたどり着いてしまうわけで。
石井は、ドアの前に貼られている『映画研究同好会』の文字を見つめた。
えーいっ、こうなればもうヤケだ!!
石井は、ひとつ気合いを入れ直すと、思いっきりドアを開けた。
「おおおおお久しぶりです!石井でごさいます!じっ、実は今回、いろいろ不可解な事件が起きまして、勝手ではごさいますが、ぜひ八雲氏に捜査協力をお願いできましたらと…」
「おう、なんだ。石井じゃねぇか」
その勢いに任せて一気にまくし立てると、懐かしい声が耳に入った。ドアを開けると同時に直角に曲げていた腰を、上げて正面を見ると、そこにはこの部屋の主である八雲と、かつての上司、後藤が、揃って石井を見ていた。
ただし、二人の態度はまったくの正反対で、八雲は不機嫌そうに眉根を寄せていて、後藤は疲れたような笑顔をしている。
一瞬ポカンと呆けた石井だったが、後藤の姿が幻でないと気づくと、感激の涙を浮かべ飛びついた。
「ごっ、ごっ、ごっ、後藤刑事ぃ〜!!」
「うわっ!おいこらっ、ひっついてんじゃねーよ!あと、もう刑事でもねぇ!」
「あだっ」
後藤は、いきなり抱きついてきた石井に鉄拳を下す。石井は、久しぶりの痛みに悶えながらしゃがみこんだ。
「漫才を披露するなら他でやってもらえませんか」
しばらく二人で騒いでいると、静かに、けどその喧騒の中でもハッキリ聞こえる、温度の低い声が響いた。八雲が、心底うんざりといった感じで二人を睨んでいる。
「あっ、いえ!す、すみません…」
石井は慌てて立ち上がると、八雲に頭を下げた。最悪の出だしだ。八雲の機嫌を損ねてしまった。
「…で、石井はいったい何しに来たんだ?まさかコイツと談笑しにきたわけじゃねぇだろ?」
石井が頭を上げられずにいると、後藤がそれに助け船をだした。コイツ、と後藤が指を指すと、八雲は、ふんっ、と鼻を鳴す。
「あ、はい!じ、実は、見て欲しい写真があるんですが…。…これです」
きっかけを作ってくれた後藤に感謝しつつ、このチャンスを逃すまいと、説明よりも先に写真を取り出した。それを八雲の前の机の上に差し出す。
八雲はそれに、チラリと視線を移し、後藤はあからさまに写真を覗きこんだ。
「…これをどこで?」
写真を見た瞬間、今まで不機嫌で仕方ないといった感じだった八雲の表情が、急に真剣なものに変わった。瞳の中に力がこもり、その瞳に見つめられた石井は、思わず姿勢を正した。
取り合えず、と席を勧められ、後藤の隣に腰を下ろす。
「ええ、実はですね……」
石井は、この間佐々木に言われたことを、言い漏らしのない様、慎重に話し出した。
「…なるほど」
石井が一通り話し終わると、八雲は一言そう呟き、考え込むように眉間に指を当てる。
取り合えず話し終えた石井は、ほっと息を吐いた。
「つーことは何か?その美咲ちゃんの霊が、佐々木に気付いてもらうために写真に写ったって言うのか?そんな事ってあんのか?」
後藤が石井の話に質問を投げかける。石井はその質問に微妙な表情しかできなかった。
「現実的に考えて、今石井さんが言ったような事はありえません」
ずっと黙って何かを考えていた八雲が、突然口を開き、後藤の質問に答えた。
「…でも、この写真に強い念がこもっているのも事実です。必ずしも無関係、というわけでもないかもしれない……」
最後の方は独り言のように呟く八雲を見て、石井は胸の中にふつふつと浮かび上がる期待を感じた。
これは、もしかして…
「ここで色々考えても仕方ありません。取り合えず、現場に…」
「行ってみるんですね!」
隣で立ち上がり声を上げようとした後藤を遮り、石井は勢いよく立ち上がって八雲の言葉をつないだ。実はずっと憧れていたやり取り。
その後、石井に言葉を奪われた後藤の、怒りの鉄拳が石井の頭にヒットした事は言うまでもない。
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「そう言えば後藤刑事、後藤刑事は、どうして八雲氏のところへ?」
写真の撮られたキャンプ場へ車を走らせる途中、運転席の石井は助手席の後藤に質問を投げかけた。
バックミラーで後ろの席を確認すると、八雲は窓に頭を預け眠っている。
「実はな、俺は今度、心霊関係専門の探偵事務所をひらこうと思っていてな。優秀な助手を募集中なんだよ」
そう言い胸を張る後藤を見て、ああ、そう言えばそんなこと言ってたな、とぼんやりと思った。同時に、今日の八雲がいつもより機嫌が悪かったことにも頷く。
後藤の語りをBGMに、しばらく車を走らせると、実は八雲の部屋を訪れた時からずっと気になっていたことを口にした。
「…あの、後藤刑事。その、そう言えば今日は、あの…は、晴香ちゃんは…」
「わっ、おまえっ、馬鹿黙れ!」
もじもじと顔を赤らめて聞けば、すごい剣幕で怒鳴られ口を塞がれた。突然の事でハンドル操作を誤り、車は大きく右に逸れる。車通りの少ない山道でよかった。
「ご、後藤刑事っ、危ないです!は、離して…」
「今日、アイツの前で"晴香ちゃん"は禁止だ!!」
後藤は石井の耳元で怒鳴った。手は離れたものの、声の大きさは変わらない。
「実は俺も疑問に思ったんだよ!いつも一緒にいるくせに今日はいないから!で、それを質問したら、急に不機嫌になりはじめてよ!きっとなにかあったに違いねぇ!触らぬ神に祟りなし、だ!今はアイツが寝てるからよかったらものの…」
「…もう起きてますよ」
後部座席からの低い声に、石井と後藤、同時に凍りついた。恐る恐る後藤が振り向くと、案の定、不機嫌顔の八雲が二人を睨んでいた。
「よ、よお、八雲。いつ頃から起きてたんだ?」
「…馬鹿黙れ、ってところから」
つまりは"晴香ちゃん"のくだり、全部を聞かれたと言うわけだ。
あんなに大きな声で怒鳴れば起きて当然といえば当然。
石井が恐怖に身を震わせていると、後ろから大きな溜め息が聞こえてきた。
「…べつに僕とアイツは、年がら年中一緒にいるわけじゃありません。アイツとはここ一週間会ってないですからね。だから、今日いないのも、べつに変な事じゃない。一応言っておきますが、喧嘩したわけでもありません」
それだけ言うと、面倒くさそうに頭をガシガシと掻く。
つまり、一週間も会えてないから不機嫌なんですね。
石井は心の中でそっと思い、チクリと痛む胸に気づかない振りをした。
「…もう少し寝ます。うるさい熊のせいで起こされてしまいましたからね。…着いたら起こして下さい。」
「お、おう…」
罪悪感からか、八雲の皮肉にも、今回後藤は反応しない。
そのまま沈黙が続き、静かな車内のまま、石井はひたすらキャンプ場へ向けて車を走らせた。
車で二時間ほどで、そのキャンプ場には着いた。
澄んだ空気が満ちていて、森の木も、まだ青々と生い茂っている。
三人は車を降りると、心霊写真の撮れた河原の方へ足を進めた。
「…なんか、キャンプ場にしては人がいないですね……」
石井は、あたりを見渡しながらしみじみと言った。今見る限り、石井たち三人以外の人影は見えない。
「そうだな…。つーか、なんか不気味じゃねーか?ここ。よくこんな所でキャンプなんかやったな」
言われてみればそうだ、と石井は頷いた。
確かに、空気はおいしいし、緑もきれいな場所だが、どことなく暗い雰囲気がある。こんな場所ではなかなかテンションもあげられないだろう。
問題の場所に辿り着くと、急に八雲がキョロキョロとまわりを見渡し始めた。
しばらく何かを探るように見渡した後、八雲は川の上に視線を留めた。そこをじっと凝視する。
「…いるのか?」
「はい。たぶん、あの写真に写った女性の霊です」
後藤の質問に八雲は答えて、さらに目を凝らす。石井も恐る恐る八雲の視線を追ってみたが、やはり何も見ることができなかった。
「…ただ、彼女は例の矢島美咲ではないようです……」
その言葉に、石井が、え?、と声を上げた時、八雲がいきなり目を見開き、声を張り上げた。
「石井さん!すぐに警察を呼んで下さい!」
「え!?」
「おい!いきなりどうしたんだ八雲!?」
あまりの剣幕に、石井と後藤が戸惑っていると、川の方に視線を留めたまま、八雲が口をひらいた。
「あの写真に写っていた女性は、矢島美咲とは違います。別の女性です。そして、彼女の遺体はまだ発見されていない…」
その言葉に、石井は一気に血の気が引いていった。
と、言うことはつまり……
「ここら一帯を捜索してみて下さい。彼女の遺体が出てくるはずです…」
八雲の、いやに冷静な声が、森に響いて消えていった。
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