text (八雲)

□Irreplaceable you (8)
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 石井はほとほと困り果てていた。八雲の機嫌が、これまでで群を抜いて、すこぶる、悪いのだ。


 先日キャンプ場で遺体を発見してから、着々と捜査は進み、新たにわかったことも沢山あった。その捜査の結果を今日、八雲に報告するため、後藤も引き連れてこのプレハブ部屋に訪れたのだが。

 肝心の八雲はというと、眉間の皺は普段の五割増し。形のいい唇が、一文字を決め込んだまま開かれることはなく、左右色の違う瞳は、奥に静かな怒りの炎を灯していた。

 とても話しかけられる雰囲気ではない。

 さすがの後藤も、八雲のただならぬ機嫌の悪さに、ここを訪れてから一度も声を発していない。

 結果、ここ二十分程、三人は一言も会話を交わすことなく、ただただ顔を合わせて座っているだけなのだった。


 「……で?」

 プレハブ部屋全体に漂う重い空気の中、第一声を発したのは、意外にも八雲だった。石井が、その声に慌てて俯いていた顔をあげると、八雲は不機嫌な表情のままガシガシと頭を掻きだした。

 「…あなた達はここに何をしに来たんですか?ただ黙って座っているだけなら、お引き取り願います。僕だって暇じゃないんです」
 「あ、いえ!その、すみません!!」

 自分の態度を棚に上げた理不尽な物言いだったが、突破口が開けた。石井は気持ちを切り換えるために、ひとつ咳払いをすると、鞄の中から資料のファイルを取り出した。

 「先日、河原で発見された遺体ですが、昨日やっと身元が分かりました。…えー、これを…」

 石井はファイルの中から、黄ばんだ古い写真を一枚取り出した。

 「彼女が、今回発見された遺体の人物です」

 石井が出した写真を、後藤と八雲が覗き込む。

 「彼女は田沢みのり。十年前、当時二十五歳の時に行方不明になって、捜索願もでていました」

 石井は言いながら、写真の中の彼女を改めて見かえした。

 柔らかな印象のある優しい笑み。栗色の短い髪は、惜しげもなく白く細い首をさらけだしている。

 あれ…?

 石井は、ぼんやりとした既視感に襲われた。胸の奥にくすぶる違和感。前にもどこかで味わったような――――

 「…この子、やっぱり矢島美咲に似てるな」
 「ええ。同一犯とみてまず間違いないでしょう。…石井さん」

 後藤と八雲の会話にも加わらず、ぼーっと写真を見て考えにふけっていた石井は、八雲に呼ばれ、ハッとしたように顔をあげた。

 「え、あっ、はい!なんでしょう?」
 「…この田沢みのりさんの遺族は、今どこに?」

 石井の反応に、八雲は一瞬怪訝そうに目を細めたが、それ以上の追求はなかった。八雲に写真を指差しながら尋ねられ、石井は慌てて姿勢を正す。

 「あ、はい!えーとですね…」

 言いながら石井は、またパラパラとファイルをめくった。

 「…彼女の両親は、彼女が十八歳の時に事故で亡くなっています。特に親戚もいないようですし…唯一弟がいますけど、彼も彼女が行方不明になってすぐ姿をくらませて、現在は所在不明になってますね…」
 「…そうですか……」

 八雲は一言そう呟くと、眉間に指を当てて黙り込んだ。

 「それじゃ、その弟が一番怪しいじゃねーか」

 入れ替わるように後藤が口を開いた。だが、石井はそれに首を振った。

 「彼にはアリバイがあったんです。彼女が事件に巻き込まれたとする10月12日〜14日にかけて、彼は高校の部活動合宿に行っていたようで…彼女の捜索願を出したのも彼ですし…」
 「その合宿に行く前にやったって事はねーのか?」
 「はい。彼女、駅前で小さなスナックを開いていまして。そこが予告もなく休みになったのがこの期間で、彼が合宿へ行ったのは11日です」
 「…事実上犯行はムリってことか……」

 後藤は無精髭の生えた顎を撫でながら、うんうん唸る。

 「しっかし腑に落ちねーな。なんでその弟は失踪したんだ?まるでソイツが犯人で、捕まらないように逃げてるみたいじゃねーか」
 「そうなんですよねぇ…。今警察の方で彼について調べているんで、もう少ししたら、色々分かってくると思うんですが…今のところ分かっているのは名前と歳くらいで…」

 石井は顔に疲れをにじませながら、ファイルを見やった。隣にいる後藤も、一緒にファイルを覗き込む。

 「田沢一輝、当時十七歳…ずいぶん姉弟で歳が離れてるんだな」
 「ええ。幼い時に両親をなくした彼にとって、田沢みのりは母親代わりみたいなものだったようです。彼女がスナックを始めたのも、家計をやりくりする為だったようですし……」

 石井の言葉に、後藤は複雑そうな顔をする。石井にも、今の後藤の気持ちは分かった。

 本当に、田沢一輝はなぜ逃げるように失踪したのか…。




 「…石井さん」

 石井と後藤のやりとりも気にとめず、しばらく自分の思考にふけっていた八雲が、突然口を開いた。石井は、内心ビクリとしながらも、表には出さず―どこまで隠せているか分からないが―顔をそちらへ向けた。

 「は、はい。なんでしょうか?」
 「矢島美咲がストーカー被害を訴えていた交番がどこだか分かりますか?」

 石井は、八雲の予想外の質問にキョトンとした。

 「え、ええ、まぁ…」
 「案内して下さい」

 唐突に立ち上がった八雲に、後藤は慌てて声をかけた。

 「お、おい、八雲!なんだよ急に…」
 「…よく考えて下さい」

 八雲は、慌てる二人を面倒くさそうに一瞥すると、盛大な溜め息を吐きながら寝癖でボサボサの髪をガシガシと掻いた。

 「田沢みのりと矢島美咲は、特徴がすごく似てる。矢島美咲はストーカー被害にあっていた。この二つの事件は同一犯と見てまず間違いない。…つまり、犯人は田沢みのりと特徴が似ている女性をストーカーし、殺害しているということです」

 八雲の推理に、石井と後藤は大きく目を見開いた。

 「そ、そうか!犯人は新しいターゲットを見つけてるかもしれねぇ!!」

 後藤は勢いよく立ち上がると、大きな声で八雲に頷いて見せた。

 「ええ。ここ最近ストーカー被害にあっていて、かつ、彼女二人に特徴が似ている女性がいれば、その女性を訪ねるのが犯人逮捕の一番の近道です。…過去の被害も洗ってみる必要がありそうですね…」

 言いながら、八雲はテキパキと外出の準備を終わらせる。あまりに急な展開に、ポカンとしていた石井も、ハッと我を取り戻し、慌てて事件の資料を片付けた。

 そうして三人は、プレハブ部屋をあとにした。









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 「ストーカー被害ねぇ…」
 「ここ最近そういった被害を訴えてきた女性はいらっしゃらないでしょうか?」
 「うーん…」

 石井は、顔が引きつるのを隠せずにいた。後藤はあからさまにイライラしているし、八雲も無表情ではいるが、内心穏やかでないはずた。

 矢島美咲がストーカー被害を訴えていた交番に来てはみたが、そこの警官の態度が、あまりに、ひどいのだ。

 石井がストーカー被害について尋ねても、曖昧に誤魔化し、はっきりしない。さすがの石井も、なかなか頭にきていた。

 「だーっ!!いい加減にしろよテメェ!!」
 「ご、後藤刑事!ちょ、おさえて…」

 ついに我慢の限界を超えた後藤が、ひょろりと痩せた警官の身体に掴みかかろうとした。それを石井が、すんでのところで押さえ込む。

 「もー、急に大きな声出さないでよ。カルシウム足りてないんじゃないの?」
 「んだとぉ!?」
 「ご、後藤刑事っ あ、あの、名簿!被害名簿を持ってきて下さいっ!!」

 後藤を押さえ込みながら石井がお願いすると、警官は渋々といった感じで、禿げた頭を撫でながら名簿を取りに行った。

 後藤も、一旦落ち着きを取り戻し、石井も、乱れたシャツの襟を直して、小さく溜め息をこぼした。

 「…はいよ」

 差し出された名簿を受け取ろうと石井が手を伸ばすと、それより早く横から手が伸びてきて名簿を奪っていった。八雲だ。

 「なに?あの子?」

 警官はあからさまに怪訝そうな顔をしたが、石井は苦笑いで誤魔化した。本当は一般市民が見ていい代物ではないが、この場合は仕方ない。

 石井は、八雲が名簿を調べてる間に、矢島美咲の事をもう一度よく聞いてみることにした。

 「あの、矢島美咲さんの事で、ちょっとお伺いしたいことが…」
 「またぁ?もう何度も警察に話したよ」

 うんざりといった感じに頭を振る姿を見て、とうとう石井の中の何かが切れた。

 元はといえば、あなたがちゃんと対応していたらこうはならなかったんじゃないか!!

 「あっ、あの」
 「…のか」

 石井の、少々裏返った怒鳴り声は、八雲の低く静かな声に遮られた。

 石井と後藤、そして警官も、揃って八雲に目を向けると、八雲は警官を見つめてボーっと佇んでいる。警官が居心地悪そうに顔をしかめた。

 「…なに?」
 「小沢晴香が、ここにストーカー被害を訴えに来たのかっ!?」

 警官が声を発するのと同時に、八雲は名簿を投げ捨て、警官に掴みかかった。一方、石井と後藤は、八雲の口からとび出した聞き慣れた名前に、目を大きく見開いた。

 「なっ、晴香ちゃんが!?」

 後藤は慌てて名簿を拾い、中身をみて愕然とした。そこには間違いなく、"小沢晴香"の文字。

 「くそっ…!」
 「あっ!おい八雲!!」

 八雲は警官を投げ飛ばすように突き放すと、そのまま交番から走って出て行った。八雲に突き飛ばされた警官は、怯えてガタガタ震えている。

 「な、なんだあいつ…目が、目が赤……」

 さっき八雲が掴みかかった時、八雲の左目を見たのだろう。顔面蒼白の警官に、後藤は盛大に舌打ちをした。

 「…おい石井?」

 そういえば、と、先程からなんのリアクションもない石井を、後藤が伺った。

 後藤が石井の顔を覗き込んでみると、石井も負けず劣らず真っ青な顔で立ちすくんでいた。

 「石…」
 「…分かったんですよ。違和感の、正体が……」

 石井は放心状態のまま、ポツリポツリと話し出した。

 矢島美咲の写真を見た時。田沢みのりの写真を見た時。なんとなく感じていた違和感。

 「…被害の女性二人とも、晴香ちゃんに、似ていたんだ……」

 石井の背中を、冷たいものが通り抜けた。










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