text (八雲)

□Irreplaceable you (10)
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 八雲が飛び出していった後の交番は、嵐が去った後のように静かだった。

 誰も言葉を発しない。

 後藤は、いまだに座り込んで怯えている警官を一瞥し、今度は石井に目を向けた。

 先程の石井の言葉が頭を巡る。

 今の今まで、晴香が事件に巻き込まれている可能性など、微塵も考えなかった。

 八雲が彼女の名前を出した時、突然の事に耳を疑ったが、石井の発言を聞いて、また更に驚かされた。

 少し考えれば、晴香と特徴が似ているなんてすぐに気付きそうなものだが、誰にもそうさせなかった原因はやはり。


 どうして晴香ちゃんはこの事を八雲に相談しなかったんだ…?


 ストーカーにあっているなんて事があれば、真っ先に八雲に相談しそうなものなのに、晴香はなぜかそうしなかった。何か言えない理由があったのか?

 後藤は顔をしかめて頭をかきむしった。


 とにかく、八雲の後を追うしかねぇな。


 おそらく八雲は、晴香のマンションに行ったはずだ。

 ここでウダウダ考えるより、晴香に直接会って事情を聞く方が早い。そしてなにより、後藤も晴香の身が心配だった。

 後藤は、気合いを入れ直すと、いまだに呆けている石井に喝を入れるため手を振りかざした。いつものように拳を作り、石井の頭めがけて降り下ろす。

 当然、後藤の拳には鈍い衝撃が走る―――はずだった。

 なぜか、後藤の拳は空を切る。あろうことか、石井はそれを避けたのだ。いや、避けたのではない。いつの間にか、石井は、床にへたり込んでいる警官に掴みかかっていた。


 「なんで放っておいたっ!?」

 石井の怒号が交番中に響く。その迫力に、後藤は息をのんだ。胸ぐらを掴まれている警官はなおさら、恐怖に身を震わせた。

 「どうして何もしなかったんだ!?あなたがちゃんと対応していれば、彼女は死なずに済んだかもしれないのに!」

 警官は、ただ身体をガタガタと震わせ、石井の怒りに揺れる瞳を見るしかなかった。

 「あなたの無下な対応が彼女の命を奪ったと言っても過言じゃないんだ!それなのにあなたはまた、同じことを繰り返そうとしている!あなたのせいで、今度は…っ」

 後藤は、言葉を詰まらせた石井の肩を掴んだ。それが合図のように、石井の身体から力が抜け、警官は腰から崩れ落ちた。

 「石井。八雲の後を追うぞ」

 石井の肩越しに、警官を睨み付ける。それにも警官はビクリと震えた。

 「……後藤刑事ひとりで行ってください」
 「は?」
 「私は、行けません」

 予想外の答えに、後藤は怪訝そうに眉根を寄せた。

 「これまで分かった事を報告しに、一度署に戻ります。犯人の特定も、早急に行わなければなりません。ですから…」

 そこで言葉を切り、石井はゆっくりと振り返った。

 「あとの事は、よろしくお願いします」

 そう言って敬礼をする石井の瞳を見て、後藤は柄にもなく感銘を受けた。

 本当は晴香のもとに今すぐにでも駆けつけたいはずだ。会って直接、彼女の無事を確認したいはずなのに。

 成長したな――――

 後藤は、石井をしっかり見据えて、深く頷いた。

 「…ああ、まかせろ」

 その言葉に少しだけ笑顔を見せると、石井は早足に交番を出ていった。

 その背中を見送って、後藤も交番を出ようと踏み出す。が、後ろから遠慮がちな弱々しい声がかかった。

 出鼻を挫かれた後藤は、苛立ちを隠す事もせず振り返える。

 「んだよっ!まだ何か用か!?」
 「っ!…いや、その、これ。この写真… この前のお嬢さんが忘れていった物なんですが…」
 「あぁ?!」

 半ば痙攣のようにビクビクしながら、警官は一枚の写真を差し出した。

 後藤は、眉間のシワもそのままに差し出された写真を覗き込む。が、すぐに目を見開く事になった。

 「なんだこれは!?」

 自然と血の気が引いていく。

 晴香がなぜ八雲を頼らなかったのか、いや、頼れなかったのか。その謎がやっと解けた。

 こうしちゃいられねぇ!!


 「これ、もらってくぞ!」


 後藤は、その写真を引ったくるように警官から取り上げると、今度こそ交番を走り出た。


 
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 差し出された写真を目にして、晴香は息をのんだ。

 なんで後藤さんがこれを?

 驚きと同時にせりあがった恐怖で、身体が凍りつく。いつか耳にした、電話越しの低い声がよみがえった。

 と、目の前から写真が消えた。八雲が後藤の手から奪い取ったのだ。途端、八雲の眉間のシワがさらに深くなり、視線はすぐに晴香に移された。

 「どういう事だ?」
 「あ…」
 「交番に忘れていったそうだ」

 八雲の鋭い視線に射抜かれ、怯む晴香を助けたのは、やっと息を整えた後藤の声だった。

 すると、不意に八雲は晴香から視線を反らし、深くため息を吐いた。

 「……とにかく、こんな所で立ち話もなんです。一旦中に入りましょう」

 そう言うと八雲は、晴香の横をすり抜け、勝手に部屋にあがっていった。

 「えっ、ちょっ…八雲くん!!」
 「邪魔するぞ」
 「後藤さん!」

 突然の事に困惑しながら晴香も二人のあとに続き部屋に入る。と、なぜか八雲は奥に進まず、玄関の前に突っ立っていた。

 「あっちぃな…」

 後藤が思わずといった感じで呟いた言葉にハッとなる。晴香は慌ててエアコンのスイッチを探した。

 「ごめんなさい!すぐエアコンつけますから」
 「んー…、つーより、一回窓開けたほうがよくねぇか?なんだか籠ってる感じがするし…昼間なんだし、カーテンも開けたほうが…」

 その言葉に、晴香は身を固くする。視界の端で、八雲が後藤を鋭く睨み付けるのが見えた。

 昼間なのに薄暗く、換気のできていない、息苦しい部屋。

 後藤の指摘は至極もっともだった。

 「…えっと、しばらく換気してなくて…すみません、今」
 「平気だ。エアコンをつければ問題ない」

 晴香がカーテンに手をかけたところで、八雲がエアコンのスイッチを入れた。機械音が響き、生ぬるい風が送られてくる。怪訝な顔をしている後藤の事は完全に無視だった。

 「…本題に入るぞ」

 八雲が晴香を見据えて言った。

 「僕たちは今、ある事件を追っているんだ」
















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