text (ES21)

□鮮やかな世界
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 朝、目覚ましは必ず6時半に鳴る。隣で眠る夫を起こさぬようにベッドから抜け出て、洗面所へ向かい、眠気覚ましに冷たい水で顔を洗って歯を磨く。


 その後キッチンに立ち、前の晩に下ごしらえしておいた夫のお弁当の支度をして、一緒に朝食も作る。うちは朝は和食と決まっている。味噌汁のダシを取っていると、夫がのろのろと起き出して洗面所へ向かうので、彼のために渋い緑茶を用意する。


 弁当と朝食の準備が整う頃、夫がスーツに着替えてリビングに戻ってくる。夫が緑茶を啜りながら新聞片手に席に着くのを横目に、私は子供部屋へ向かい、小学二年生の息子を起こす。寝起きの悪い息子を半ば強引に洗面所へ連れて行き、洗顔と歯磨きを済ませて一緒にリビングに戻る。三人が全員リビングに揃い、やっと朝食を食べ始める。


 食事が終わって食器を下げる間に、息子は洋服に着替え、最後の時間割チェックを行う。息子の支度が終わる頃、夫も新聞を読み終え席を立つ。二人で玄関に向かうのを後ろから追いかけ、いってらっしゃいと声をかける。これがいつもキッカリ8時。


 一人になると、再び洗面所へ向かい、洗濯機を回す。洗濯が終わるまでにリビングの掃除を行い、洗濯機から終了の合図が聞こえると、洗濯物を籠に入れ庭に出る。洗濯物を全部干し終わって一段落すると、庭に咲いてる花にホースで水やりをする。ここまで全てが終わると、時刻は大体10時半。


 そこから広告や雑誌を読んでのんびり過ごし、その日の買い物に目星を付ける。軽く昼食を作って食べた後は、趣味のお菓子作りに興じる。出来上がったお菓子を満足気に眺めるのが3時過ぎ。


 その後、買い物へ行くために軽く化粧をし、近所のスーパーへ足を運ぶ。散歩も兼ねた買い物コースは、いつも近くの公園を横切る。スーパーに着き、自動ドアをくぐると、目星を付けておいた商品を買い物籠に入れながら、店内を見て回る。会計を済ませ、元来た道を戻って家に着くのが5時頃。


 すでに帰宅している息子がテレビの前でアニメに没頭する傍ら、買ってきた食材を所定の場所にしまいながら、私は夕食の支度に取りかかる。料理が出来上がり、息子に食器運びを手伝わせていると、夫が会社から帰宅する。夫がスーツから私服に着替えてリビングにやって来るのと、テーブルに料理が全て並べられるのはほぼ同時で、三人が全員席に着いて、いただきますと手を合わせるのが約7時。


 夕食を済ませると、私は食器を洗い、息子は宿題に苦戦して、夫は野球をテレビで観戦する。食器洗いが終わると、手作りお菓子を持って二人のもとへ行く。三人で仲良くお菓子を食べた後は、夫と息子がお風呂へ向かう。お風呂洗いは息子の、学校から帰ってすぐやる仕事だ。二人があがると次は私。私があがると息子はパジャマ姿。私におやすみの挨拶をして子供部屋に向かう。その後しばらくして、私達夫婦も床に着く。それが大体いつも11時半。






 そう、これが私の1日。私の毎日。



 何の変哲もない、平凡な1日。平凡な毎日。

 夫も平凡な会社員。最近少し、運動不足が祟って太り気味だけど、それだってよくある話。何の変哲もない。

 息子も平凡な小学生。漢字と算数がちょっと苦手な、ただの小学二年生。何の変哲も、ない。



 何の変哲もない、平凡な家族。平凡な生活。だからこそ幸せ。平凡が一番。変わりなんて、いらないの。




 けど、どうしてかしら。





 時々、どうしても寂しくなる。平凡で在り来たりな日々が、ひどく物足りなく感じる。

 胸の奥が、ズキリと疼く。




 例えば、黒くて深い、見るからに苦そうなブラックコーヒーを目にしたり。鮮やかで眩しい金色を見つけたり。ミントの香りが鼻をくすぐったり、映画館で銃が乱射されるシーンを見たり、全身黒ずくめの人とすれ違ったり。そうする度、私は――――


 胸が苦しくなった。訳は知らない。


 ただ、隣に座る夫の髪が、黒髪であることに戸惑ってしまったり、朝、緑茶と間違ってコーヒーを淹れようとしてしまった時、私はとても頭を悩ませる。


 夫は昔からずっと黒髪。ブラックコーヒーなんて苦くて飲めない。ミントの香りなんてさせたことないし、穏やかな事をいつも望み、淡く優しい色を好む。


 なら、じゃあ、どうして?


 分からない、分からないわ。私は一体、なにを望んでいるの?



























 週末、日曜日。私は、夫と息子と共に近所の公園へ遊びに出掛けた。これも毎週行われる恒例行事。お弁当を片手に軽いピクニック気分だ。

 木陰に座り、夫と息子がキャッチボールをして遊んでいるのを読書をしながら眺める。私は、この穏やかで平和な時間が大好きだった。






 そんな中、ふ、と鼻を掠めたミントの香りに顔をあげると、鮮やかな金色と、暗く深い漆黒が目にとまった。


 ドクン、と心臓が大きく脈を打ち、ズキリと胸の奥が疼く。



 男だ。男が目の前に立ってこちらを見ている。


 男の髪は眩しいくらい鮮やかな金色で染め上げられ、それとは対象的な暗く深い漆黒の服が、男の細く引き締まった身体を包んでいた。口元で膨らんでいた風船ガムがパチンと割れて、香って来たのは淡いミント。



 「ケケ、随分と浮かない顔してやがんなァ」



 男は私の顔を眺めケタケタ笑う。


 夫と息子がボールを追いかけるのが、視界の隅で見て取れた。けど、私は時が止まってしまったかのように、そこから一歩も動けない。確かにそこにあるはずの喧騒も、私の耳は男の声以外拾おうとしないから、なにも聞こえない。


 「どうした?平凡が幸せ、平凡が一番。変わりなんていらないんじゃなかったのか?」

 そう、その通りよ。平凡が幸せで、平凡が一番。変わりなんて、いらないの。


 「今までの暮らしのまま、のんびりゆったり生活すりゃあいい。そうすりゃテメーは、なんの苦労もなく、そこにいるヤツらと平和にめでたく人生を全う出来る。なァ、そうだろ?その通りのはずだ」


 男は、悟すようにゆっくりと、嘲るようにつらつらと、呪文を唱えるように淡々と、言葉を紡ぐ。



 そう、男の言う通りだ。私はきっと、このままこの男の言う通りに夫や息子と暮らしていけば、何不自由ない、平穏で幸せな人生を歩んでいける。そしてきっと、私はそうすべきなんだろう。



 「だが、あぁ、おかしいなァ。テメーさっきから…」



 能面みてぇな面してんぞ。






 男は、心底可笑しそうに口元を吊り上げた。


 ああ、そうか。私はずっと平穏を望んでいながら、心のどこかで――



 「おら、さっさと戻れ。テメーにとっての幸せは、平凡、なんだろ?」



 男は私の表情から何かを確信したようにニヤリと笑って、私を夫の所へ促した。私も、彼の笑顔に触発されて、まるで共犯者みたいに笑顔を作った。


 「そうね。でも…」


 錘が外れたように軽くなった体を、わざとゆっくり立ち上がらせると、男は心得たように、私に一歩近づいた。






 「アナタのいない生活は、なんだか凄く物足りないみたい」



 そう言って私は、無言で差し出された、名も知らない男の手をとった。










《鮮やかな世界》
あなたが側にいるだけで
すべてのものが色を持つ















パラレル(?)
私も書いててよく分からない←

一応、パラレルワールドという設定なんですが…

たとえ異世界でも、ヒル魔さんとまも姉は巡り会う運命なんだ!って書き始めたんですけど…

どうしてこうなった?(-"-;)

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