利団部屋

□豪雨
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一歩一歩、教室に近づくにつれて心臓がバクバクと大きく鳴る。期待をするな、と言い聞かせてもちっとも聞かない心臓が憎たらしい。
どこの教室もシーンと静まりかえっている。聞こえるのは雨音のみ。人の気配はない。それは、は組の教室前まで来た時も同じ。

やはり、皆と食堂に行っているのだ。
分かると同時にガッカリしている自分を責め、グ、と胸の辺りを掴んだ。

いつもはこの扉を開ければ、仔犬のような瞳がニッコリ笑って「利吉さん!」と出迎えてくれる。そうすればどんなに過酷な任務明けだろうと、疲れなんて吹っ飛んで医者いらずの素晴らしい健康体になれる。本当に、それほど団蔵の存在は大きいのだ。

しかし、今は、もういない。
ここを開けても出迎えてくれる者は誰もいない。

小さく唇を噛み締め、利吉は引き戸を引いた。



「・・・え」



途端、息を呑む。

何で、どうして、ここにいるんだ。
馬のしっぽのような豊かな髪がクルリと反転し、団蔵がこちらを見る。
白い肌は雨粒で濡れており、幾筋も線を描いてポタリ、ポタリ、畳へ染みこんでいる。漆黒の瞳は以前と変わらない。



「り・・きち・・・さ・・」



嘘、と言いたそうな唇は、無意味に何度も動くが声は出ない。ようやっと聞こえた言葉は、自らの名。

頭が真っ白になる。無意識に一歩後退した。
団蔵は恐ろしいほどに純粋無垢な瞳をこちらに向ける。利吉の中にある欲望を知らないで、子供特有の純粋さで利吉へ近づいていく。
一歩、また一歩。小さな足がパタパタと動き、凍り付いている利吉の前で止まる。



「利吉さん、」



ドクン、と心臓が跳ねた。
頭は真っ白なはずなのに、体が団蔵に反応している。
今まで団蔵と話すことはおろか、会うことさえも我慢してきたからだろうか。団蔵が言葉を紡ぐたびに、頭は白くなっていくのに体が反応している。
理性は我慢を受け入れられても、「好き」という本能まではそれを受け入れられなかったのか、それは分からない。

ただ、利吉は自分自身に恐ろしさを感じずにはいられなかった。
欲望が、弾け飛びそうな気がする。何度も、何度も、抑えつけていた感情とともに。

子供な団蔵は知らない、大きくなってしまた利吉だからこそ分かる、その『欲望』に似た『感情』が。



「あの、あの・・・、利吉さん」



キュ、と愛らしく上着を掴むそのいじらしさ。
話したいこと、言いたいこと、思っていること、沢山あるだろう。あるだろうに、脳がそれを整理できていないようで、言葉が出てこない。
何度も「利吉さん」と呼ぶ。その存在を確認するように、離すまいとするように。



「あの・・・その・・・」



ギリギリと万力でねじり刺されるような気がした。
この小さな体を抱きしめたい。吸い付きたい。押し倒して自分のものにしてしまいたい。
残酷なまでの純粋さを前に、それは消えるかと思えば余計に膨らみ、だけどそうしてしまえば傷つけてしまうから抑え込むしかなくて、頭がチカチカする。

好きだ。
だから傷つけたくない。
でも触れたい。
触れたら傷つける。
まだ十歳の子供に。
父上の教え子に。

グラグラと頭が沸騰する。もう、自分が何を考えているのかも分からない。理性だけが抑えこんでいる。
今まで団蔵のことで頭がいっぱいだったが、それは本人を目の前にすると余計に酷くなった。



「団、蔵、くん・・・」



好きという想いはどうすることもできない。抑えこんでも、消そうとしてもなくならない。

まだ十歳の子供と分かっていても。
父上の教え子と分かっていても。
傷つけると分かっていても。

溢れ、る。




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