HIKAGO

□ひとりぶん
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懐かしい夢を見た。
あいつの夢だ。いつぶりだろう。

あいつは俺の前で、微笑んで立っていた。

最近は、あいつのことを思い出すことは少なくなっていた。
あいつが消えた季節になると、少し胸が痛んで、そしてやたら本因坊秀策の棋譜を並べたくなるくらいだった。
あいつの声も、姿も、朧気になっていた。思い出そうとしても、どこか霧がかかったように。

なのに、それだというのに、目の前のあいつは鮮やかだった。
艶やかでまっすぐな髪の一本いっぽん、整ったくちびるに塗られた紫色、白く細い指先、俺の名前を呼ぶ優しい声音。
全てがはっきりと、鮮やかに、あの日と全く同じように、俺の前に蘇っていた。
そして俺は、そこにあいつがいることを、前からわかっていたかのように、あたりまえのように思っていた。

「佐為」

俺があいつの名前を呼ぶと、あいつは嬉しそうに優しく笑って、そっと俺の髪を撫でた。
あいつのてのひらはあたたかかった。
俺はあの日からずいぶんと背が伸びたはずだったのだけれど、俺は未だにあいつのことを見上げていた。

「ひさしぶりですねえヒカル」

あいつは俺の頭を撫でながら言った。

「背も高くなって、見違えるようですよ」
「俺だって成長するさ」

俺がそう言うと、あいつはくすくすと笑った。

「そうですよねえ、ヒカルだっていつまでも子どもじゃないですものね。…碁も、強くなったのでしょうねえ」

そこで俺ははたと気づいた。
目の前にあいつがいることに、違和感を覚えた。
次の瞬間には、俺はあいつの名前を何度もなんども、叫ぶように呼んでいた。
打たなければ。あいつがいる。目の前に。長い間求めたあいつが。

「なぁ佐為。佐為、打とう。一局俺と打ってよ。俺、強くなったよ」

俺は一気にまくしたてて、狩衣の袖を引いた。
まるで子どもがするみたいだな、と俺はどこか冷静に思っていた。

けれどあいつは困ったように笑って、ごめんなさい、と言った。

「私もヒカルと打ちたいのですけれど。それだけの時間がないのです」

ごめんなさい、とあいつはもう一度言った。
あいつが悲しそうに笑うのを見て、俺は何も言えなくなってしまった。

「今日私がヒカルに会いに来たのはね、どうしても伝えたいことがあったからなのですよ、ヒカル」

あいつがふわりと微笑んだ。
あいつの手が俺の頬にふれた。
あいつのくちびるがゆっくりと動いた。
あいつの優しい声が響いた。



「誕生日おめでとう、ヒカル」








「佐為…っ」

目覚めたらそこは見慣れない場所だった。
辺りを見回して、あぁそうだイベントで地方に来ていたのだっけと思い出す。ホテルのベッドの上だった。
時計を見たら、まだ夜中の三時だった。
カーテンの隙間から見える窓の外はまだまっくらだ。

夢だったのか。いや夢に決まっている。あいつはもういないのだから。

手の甲で目をこすったら、手の甲が少しぬれた。
泣いてたのか、と、働かない頭でぼんやり思う。

誕生日おめでとう。
朧気でない、あいつの姿と声が脳裏に蘇った。
一点の曇りもない、艶やかなあいつの姿と、あいつの微笑みと、あいつの声と。

「ありがとう、佐為」

今年の誕生日に、一番最初に祝ってくれたのはお前だよ。

俺は、小さな声でそうつぶやいた。
願わくば、あいつに届いていますように。

俺はもう一度布団をかぶった。まだ眠たい。



朝になったら、きっとたくさんの人が、俺に祝福の言葉をくれるのだ。
そして俺は、あたたかな幸せに包まれるのだ。

ひとりぶんのおめでとうとぬくもりを抱きしめて、俺は、また眠りについた。




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