DEN-O
□片道切符
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その人は僕と正反対で、そして僕とは決して相容れない存在なのだ。
───彼は、敵なのだ。決して、心を許してはならない。
わかっている。
その日僕はひとりきりで、本当にひとりきりで、町外れの廃墟へ向かっていた。
モモタロスとウラタロスとキンタロスは意識の外へ追い出して、リュウタロスにはおとなしくデンライナーにいるよう言って聞かせて、ハナさんにはちょっと行くところがあると言って。
「…カイ」
僕は小さな声で彼の名前を呼んだ。
今にも崩れ落ちそうな屋根の上に座っている彼こそ、僕が会いに来た人だ。
「…野上、良太郎」
何もない、吸い込まれるような空虚な瞳。彼は僕をその瞳にとらえると、屋根から飛び降りるように地面に着地した。
「なんで来た?」
「なんでって、君が呼んだんじゃない」
僕は、ひらひらと紙片を翳した。破られたカレンダー。日付は、今日。
「そうだっけ?」
無責任に彼が言う。
「お前、ひとりで来たの?」
「そうだよ」
「罠かもしれないのに?」
「…うん」
「ふーん」
彼が僕を頭の先からつま先まで睨め回す。
そしてふいに微笑んで、
「お前って、実はけっこう単純って気がする」
と言った。
優しい彼の笑みに、見とれてしまいそうになる。
───いけない。駄目だ。
彼は少し辺りを見回して、それからひょい、ともといた屋根へ上った。上手いものだ。猫みたいだな、と思った。
「…」
無言で彼が手を差し伸べてくる。お前も上れ、ということなんだろう。
───駄目だ。いくな。その手を取ってはいけない。
「そんなところに上って、危ないよ」
僕は、彼の手を取る代わりにそう言った。
「いいから」
それ以上は何も言わず、ただ空虚な瞳が僕を見つめる。
───いけない。彼に心を許してはいけない。後戻り、できなくなる。
どこかでそんな声がしたような気がしたけれど、彼の吸い込まれるようなその瞳の前に、その言葉は全く無力だった。
僕は少し苦笑して、彼の手を取った。
彼のてのひらが、ぐい、と僕をひき上げる。
僕は彼の隣に座った。
「俺、お前が来てくれて嬉しいって気がするよ。そういう顔、してるだろ?」
「うん」
彼は優しく笑って、僕の手をそっと握る。
僕の手を包むてのひらが温かくって愛しくて、僕はぎゅっと彼の手を握り返す。
「ねぇカイ、今日はなんで僕を呼んだの?何か用?」
本当は、理由なんてどうだっていいのに、僕はそう口にした。
すると、彼はきょとんとした顔をした。いつも見る彼よりも、なんだか幼く感じる。
「…俺がお前に会いたいって思うのに、理由なんている?」
あぁ、彼はいつも、僕が一番欲しい言葉をくれるんだなぁ、と思う。
理由なんてどうだって良くて、ただ彼に会いたくて、彼が僕に会いたいと思ってくれることが嬉しかった。
ううん、いらないよ。僕もときどき、理由もなく君に会いたいと思うんだ。
そう言ったら、彼は愉快そうに、満足そうに笑った。
「俺、お前のこと好きだって気がする」
「…気がするは余計でしょ」
すると彼は少し目を丸くして、それからにっこりと微笑んで、そうだな、と言った。
そして彼は僕の耳元へ顔を寄せて、そっと吐息を漏らした。
「俺、お前のこと、好きだよ。野上」
彼の声が、鼓膜をふるわすのがくすぐったい。でもそのくすぐったさが、心地よい。
僕はお礼に小さな声で、僕も、と言った。
彼は幼げな笑みを見せて、それから僕をじっと見た。いつの間にか幼い笑みは消えて、唇は真一文字に結ばれていた。
彼の空虚な瞳は、僕の瞳をまっすぐに射抜いた。それが徐々に、近づいてくる。
あ、と思った。いけない、とも。
───もう、戻れなくなる。やめろ。
けれどそんな思いとは裏腹に、僕は身じろぎもしなかった。
理屈とか、そういうんじゃないんだ。もっと、直感的に。言うなれば、それはもう運命的に、本能的に。僕は彼に、惹かれてしまったのだから。
このまま時間がとまってしまえばいいのに、と、僕は思った。