群青の空に唄ふ。

□一話
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血の臭いがする。
直感的に、その瞳は殺気を帯びた。



夜、丑三つ時に近い。
昼間は華やかな京の町も、今は闇に暗く沈んでいる。
そんな夜を歩く、だんだらの羽織をひっかけた若い人影がひとつ。
新選組三番組組長、斎藤一。
夜の巡察の最中だった。

特に異常なく、静かな夜は淡々と過ぎ去っていく。
夜中の涼しい空気を肺に吸い込んで、斎藤は夜空を見上げた。
広がるのは、大きな筆を走らせたような、天の川。
一人だったこともあってか、思わずほころぶ口元を無言で引き締める。

もう少し歩いたら、今日のところはもう平助たちと落ち合うとしよう。

そう思いながら、斎藤は出す足を速めた。

このところ、斬り合いになる事があまりない。
血の気の多い一番組組長は、それを冗談か本気かわからないような口調で嘆いていたが。
京の治安は、少なからずよくなっているのだろうか。
それは新選組として喜ぶべきこと。
しかし斎藤の左手は、そんな思いとは裏腹に少々、疼いていた。

これでは例の戦闘狂と同じではないか。

斎藤が苦笑を漏らしたその時。
僅かに漂ってきたのは、

血の、臭い。

直感的に、右腰の刀の柄に指を触れた。
その蒼い瞳に殺気が帯びる。
警戒しつつ、その方向へ足を向ける。
極力気配を消しながらゆっくりと近付いていく。
鼻腔を通る、嫌な鉄の臭い。
少しずつ、しかし確実に、それは強くなっていく。
長屋の角の手前で、斎藤は足を止めた。
人の気配。

二人……いや、三人か。

もっとも、それは生きている者の数だったが。
そのまま動くことが出来ずにいると、突然空気が肌に突き刺さるようなものに変わった。

知っている。
斎藤は、この空気の正体を、知っている。

「……が、っ」

微かに空気を震わせた音。
それがうめき声であることを認識する。
同時に、気配がひとり分、消えた。
斎藤の背中に冷や汗が伝う。
いまだぴりぴりと空気が痛い。
己の身体ではっきりと感じられるそれは、紛れもなく、殺気。
それは、自分に向けられたものでは決してないというのに。
斎藤の着流しはすでに、じっとりと湿り気を帯びていた。

それから、ものの十数秒の間の事であっただろう。
その間、斎藤は微動だにせず、呼吸をするのも忘れてそこに立っていた。
えらく長い時間、そうしていたような気がした。
つう、と、こめかみに汗が一滴伝う。
ほとんど物音もせず、気配はたった一人分を残し、すべて消え去った。
張りつめていた空気と、気が狂いそうなほどの濃厚な殺気が消えた。
長く、細く吐いた息が震える。

かちりと、刀を鞘に納める耳慣れた音がした。

「……出てきたらどうですか?」

幼さの抜けきらない中性的な声。
歌うような軽い調子で、話しかけてくる。

まさか、あの殺気の主が年端もいかない子供だというのか。
戸惑いつつも、ばれているのならば致し方ない、と腹を括る。
斎藤は長屋の角から姿を現した。

ひっそりと静まりかえった路地裏。
そこに、人影を視認する。
その日は月の大きい、明るい夜だった。
明かりなどなくとも、その者の顔ははっきりと確認できた。
高く結い上げた青色混じりの黒髪が、時折闇夜に混じりながら揺れる。
その長い前髪の隙間から、切れ長な蒼い瞳が覗いていた。
斎藤は思わず、息をのんだ。

その顔<かんばせ>は、驚くほど冷たく整っていた。
刀身を思わせる鋭い眼差しが、斎藤を捉えて離さない。
青年というには幼く、しかし少年というには大人びている。
おそらく年の頃は、新選組最年少を誇る八番組組長、藤堂平助と同じくらいだろうと思われる。
しかしその佇まいには、平助にはない冷然とした雰囲気が見て取れた。

少年は斎藤の右腰に携えられた刀を一瞥し、軽く眉を上げた。
それから何が面白いのか、唇を吊り上げて年の頃に合わなない、妖しい微笑を浮かべた。

「近藤勇率いる壬生浪士組、改め新選組の三番組組長、左利きの居合の達人、斉藤一。寡黙な一匹狼気質」

少年は口を開くと、流れるようにそこまで言い切ってみせた。
自分の知らない人物が、こうも自分の事を知っているというのはなかなか腑に落ちないものであって。
斎藤は、疑念と驚愕の入り混じった器用な表情を浮かべた。

その心情をくみ取ったのか。
少年は、今度はふわりと目元を緩ませ、無邪気さも垣間見える笑みを浮かべた。
否、作った。

「そんなに驚くことじゃないでしょう。あんた達は自分で思ってる以上に、この町じゃ有名なんだ」
「……あんたは」

相手が此方の事を知っているのに、此方が相手を知らないというのは理不尽ではないか。
そう感覚的に感じた斎藤は、彼らしくもなく、あまり考えずにその言葉を放ったのだった。

「なに、通りすがりのもんですよ。まぁ……」

そう言って、少年は足元に視線を落とした。
そこで初めて、斎藤も己の足元を確認したのだが。

「今さら通りすがるわけにも、いかなさそうですがね」

そこには、四人の人間――
正確に言うのならば、浅葱色のだんだらを纏った侍が四人。
赤い血だまりの中に、倒れ伏していたのだった。



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