緋色の花弁を散らしませう。

□其の一
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「そういえば内蔵助さんって、緋鶴さんのこと大好きって感じですよね〜」

朝稽古の後。
井戸の水を浴びて、手拭いで頭をがしがしと拭きながら、俺と五郎左とバカ犬と、それからバカ女は茶を啜っていた。

普段なら殿から使いやら書類整理やらの仕事を言い渡されるが、なんだか今日は春先にしては気温も高く、なんとなく那古野城全体がかったるい雰囲気に包まれていた。
それは殿も例外ではなく、ついさっき縁側で猫を膝にのせてうとうととまどろんでいるのを目にした。
勘十郎様も、

『なんだかいい天気だし、末森に居ても退屈でね』

と言いながら、先ほど門をくぐられた。
今は姿を見ないが、おそらく庭の散策でもしていらっしゃるのだろう。
林様や柴田様も先ほど見かけたが、今日ばかりはなんとなく殿を叱る気になれないのか、静かに書物に目を通していた。

そんな、久しぶりのまったりした雰囲気に、このクソバカ女はにこにこ笑顔でそんなことを言い出しやがったのである。
もちろんそれは俺たちに、というか俺に向かって放たれた一言であって。
しかもちょうど、今日になって一度も姿を見ていなかった緋鶴のことをふと考えたときだったものだから、ひどく動揺してしまって。
俺は五郎左の淹れた茶を盛大に噴き出した。
……やべ、鼻からも出た。

「て、てめーいきなり何言い出しやがる!!」

鼻腔を液体が流れるというのは、殊の外強い痛みを伴う。
生理的なものか痛みから来るものかよくわからない涙が、一粒流れた。
それもなかなかに羞恥心を煽るものだったが、俺はその時、そんなことよりもバカ女の言った一言で頭がいっぱいだった。

「おおおおおお俺が緋鶴ななな何言ってうわあああああ!!!!」
「内蔵助、うるさい」

混乱して訳の分からないことを叫んだという自覚はある。
うるさかった自覚もある。
だが五郎左、急須で殴ることねーだろ。
殴られる前に一瞬視界に入った五郎左は、いつものように人当たりの良い笑顔を浮かべていて、それが逆に怖かった。

俺が頭を抱えている間に、五郎左たちの話は弾む。

「そうなんですよー、内蔵助は幼いころからずっと緋鶴にべったりで」
「俺がちょっと緋鶴にくっついたらおこるしー」
「すぐ喧嘩吹っかけるくせにそばにいないと途端に不機嫌になったりして」
「へぇ〜小さいころから内蔵助さんは内蔵助さんですねぇ」
「オイどういう意味だコラァ!!」

やっと復活できたものの、バカ女の一言で頭に血が上る。
というか五郎左と犬千代の話は、どれもこれも身に覚えがあるものばかりで。
それを今更引っ張り出されて、しかもバカ女なんかに語られたとあればもう穴があったら入りたい気分だ。
というかむしろ埋まりたい。
俺が縁側に腰掛ける足の間に顔を埋めて耳を塞ぎ、外界との接続をこれでもかと切断したそのとき。

「なぁにやってんのぉ?」

あぁ耳を塞いだのに全く意味がない。
今一番聞きたくない声が聞こえる。
しかも俺の真後ろから。
さっきとは別の意味で、頭に血が上ったような気がした。
絶対、絶っっっ対、今振り返っちゃだめだ。

「あ! 緋鶴さんおはようございます!」

はよ、と返すかったるそうな緋鶴の声を聞いて、ますます熱が顔に集まってくる。
なんだこれ、俺大丈夫か?

「今ちょうど緋鶴さんの話してたんですよー」

うおぉいバカ女ァァァァァ!!!!
と叫び出しそうになるのを、息をつめて必死に耐えた。
もう嫌だ、ここから逃げたい。いや消えたい。
バカ女の口調はどこまでも明るく悪気が一切感じられなくて、それがむしろ心臓に悪い。
こいつ、自覚もなくとんでもないこと言わねぇだろうな。

「ほ? 私の?」
「はい! 五郎左さんたちが小さいころの話とかしてくれて」
「ご、五郎左……お前変なこと言ってないよな……」
「ふふふ」
「ええちょっと! かさねに何吹き込んだんだよぉぉぉぉ!!」

大丈夫だ緋鶴、お前の醜態は一切晒されてない。
その代わり俺がこんなことになってんだよちくしょう。
俺はいたたまれなくなって、ぎゅうっと耳を塞ぐ手に力を込めた。
そうすれば頭に入ってくる音は少なくなって。
ちょっと安心して、気づいたら止めていた息をそっと吐き出した。

「内蔵助お前、さっきから何やってんの?」

突然、くぐもっていた声がはっきりと聞こえて、俺は反射的に顔を上げた。
俺はたしか縁側に座って、庭に向かっていたはずだ。
で、さっき緋鶴の声が後ろから聞こえて……
なんで今、目の前に緋鶴の顔があるんだ。

「っわぁああああああ緋鶴!!!?」
「な、なんだよ……」

思わず叫ぶと、面食らったような表情で、目をニ、三度瞬かせた。

「な、何おま、え……っ」

わざわざ庭に下りてしゃがみ込んで、俺の顔を下から見上げてくるその体勢はなんだ。
完全に上目使いじゃねぇかちくしょう可愛い。
こいつは絶対に鈍いとかそんなのじゃないし、「魅せる」ってことをわかってるからわざとかとも思えてくる。
だけど、不思議そうに瞬きをするその表情に、いたずらっぽさは見えなくて。
そしたらきっとそれは緋鶴の素の行動で、そんな上目使いとか意識してしまう俺の方が変なんじゃないかとか、考えてしまって。

「いや、聞きたいのはこっちだけど。てかなんでそんな顔真っ赤よ」

ま、そんなの見慣れてるけどなー。
そう言って、呆れたように笑った。
すくりと立ち上がる。
片手に携えた大薙刀、花散里を抱え直す。
もう片方の手には、何通かの文があった。
そこでやっと、今から緋鶴はどこかに文を届けに行くらしいことを悟った。
同時に、草履で庭に下りていたわけも理解する。

「どーせ五郎左に恥ずかしい昔話でもされたんだろ?」

笑って言う緋鶴の言葉に、あぁ半分そうだよ、と心の中で肯定の言葉を返す。
頭の回転の早いこいつなら、その程度聞くまでもないことだろう。
だけど、俺の顔の赤い理由のもう半分――お前のせいだ――なんて、コイツには一生わからねぇだろうな、と思った。
というか、もしわかられたらそれこそ穴に埋まって死にたい。

まぁ一瞬、言ってやろうかと思いもしたが、それはまだ俺には出来そうもなかった。
まだ、駄目だ。
もっと強くなって、兄上を超えて、この成政の名を戦国乱世に響かせることができたら。

そのとき、俺と共に生きようと、そう伝えようと思った。




緋色外伝 其の一






 

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