MAIN
□猫と真珠
1ページ/2ページ
冬特有の透明感のある、きらきらした陽光に、その繊細そうなパールグレイの髪の輪郭を一本一本黄金色になぞらせながら、
幼子が手放しに信奉する縫いぐるみめいた卵色の小さな猫相手にむきになり、限り無く無邪気で途方もなく無防備な面様(おもよう)を見せる彼は、なんとなく、
やけに非現実じみて、いて、
それは、少なくとも、
例えば、今は所謂(いわゆる)“授業中”という時間帯だから、僕は容赦なく彼を咬み殺すべきなのだけれど、“授業中”という言葉が実に野暮ったく、いかにも俗世的で下賤なものであるような気がして咎めるのを躊躇うくらいには、夢幻的だった、から、
彼が、ビーズで造られた華奢な輪っかをくわえる卵色の仔猫に対峙し、その細い眉を、ほとんど幼子のように吊り上げて、
お前には、猫に真珠だな、と、
呆れたように紡いだ時、
その、猫に真珠、という言葉に、
シェイクスピアかゲーテ辺りのソネットの中にある、あの虚構故の詩的な美しさを感じそうにさえなってしまったのだけれど、
それは一重に深読みというものだ、何故って、
彼はただ単に、“猫に小判”と“豚に真珠”を混同して記憶しているだけなのだろうから。
獄寺隼人は、いつも、
彼の母語はイタリア語であるという事実を忘れさせるほど、流暢に日本語を使いこなしていて、
へぇ、と感心してあげても良いと思えるくらい難しい単語を口にすることもあるのだけれど、
時折、物凄く初歩的な間違いを犯す。
と、言うと、
いかにも僕が獄寺のことを深く理解しているようだが、
実際は、ここ最近、ふと気付いた程度のものだ。
二ヶ月くらい前か、それともそれよりもっと前からかは覚えていないし、そもそも覚える気もないのだけれど、
瓜とか呼ばれている彼の猫が、やたらと僕になついている黄色い鳥を追って、よく僕の前に現れるようになって、
必然的に、その猫を追う獄寺も、僕の視界に入るようになった、という、ただそれだけ。
勿論、時も場所もわきまえずに幼稚な鬼ごっこを繰り広げる彼らに、初めこそトンファーを降り下ろしていたのだが、
一向に懲りる気配のない獄寺、というか、この場合はどちらかというと獄寺の猫、に好い加減面倒臭くなって、
放っておいたら、今日も今日とて、
応接室の書物机の上で囀ずっていた鳥、を狙って窓から飛び込んできた猫、を追って扉から飛び込んできた獄寺が、
その気儘な猫相手に、どこまでもむきになっていて、
その光景が、眼を細めたくなるほど微笑ましい、とは流石に感じないけれど、
まぁ、心地悪くは、ないのだから、なんだか不思議だった。
「瓜!ほら、それこっちに寄こせ」
気合いを入れる為なのか何なのか、男にしては長めの髪を、手首にはめていたらしいゴムで、ぐいっと結い、獄寺は、
二対のソファの間に置かれたローテーブルの下に隠れる猫を捕まえるべく、慎重に手を伸ばす、のだが、
猫は、莫迦にしきった響きを伴う声音で一声鳴いてから、獄寺の白い手をその鋭い爪で引っ掻き、
獄寺が思わず息を詰めた隙を突いて、ひらり、とソファの背もたれへ身軽に飛び乗った。
「せっかく十代目が、てめぇの為に、って下さった首輪なんだぞ。ありがたく付けやがれ」
獄寺は、うっすらと紅い紋様が刻まれた手を押さえ、
奥歯を噛み締めて猫を睨んだ、けれど、
当然といえば、当然だが、この猫がその程度のことで大人しくなるはずがなく、
黒革のソファで長い尻尾を気儘に揺らし、口にくわえた、彼曰く“十代目が下さった”首輪を挑発するように揺らして見せるその猫の様は、
なかなか優雅だな、なんて、
自分でも気味が悪いくらい静かな心地で、
椅子に深く腰掛けたまま、眼前の書物机に突いた頬杖の腕を変えてみたら、
意図した訳では無かったのだが、どうやら唇が弧を描いていたらしい、
笑うな、と言わんばかりに獄寺の色素の薄い瞳がこちらを向いた。
丁度良いから、彼が犯した間違いを指摘してやろうと思って、でもやはり面倒臭い心地は拭えなかったから、
小判、と短く綴ってみたのだけれど、
獄寺は、心底何のことだか分からない、といった風に、眼を見開く。
その所作は、先程まで自分の匣兵器とじゃれていた名残なのか、いささか無防備にすぎた。
「猫に、小判」
僕が言い直してやれば、獄寺は、
形の良い眉を、ぐっと寄せて、やはり何のことなのか分からないのか、
ねこにこばんねこにこばん、と呟くように繰り返したが、
ふと、刹那、
書物机の上で羽を休めていた黄色い鳥が、シンジュ、と甲高い声音で鳴きながら、飛び上がり、
少し開いていた窓硝子の隙間から蒼穹へと吸い込まれるように滑空していったから、
ようやく、自分が少し前に発した“猫に真珠”という言葉を思い出したらしく、彼は、
え、と小さく声音をこぼし、
年相応、というよりも、むしろ年不相応なほどに幼い印象を与えるやり方で、緩く瞬いてみせた。
少し前までは、獄寺隼人と言われたら、
沢田綱吉へ向ける犬のような瞳と、それ以外の者達へ向ける手負いの猫のような瞳の心象しかなかったけれど、
どうやら彼は、危うい程に無防備な瞳も出来るらしい、そして、僕は、
最近新たに知った、この瞳が、なかなか気に入っていた。