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□Let Me Be Loved Under the Rainbow Made by Shabby Boy who Has a Hose Splashing Water at a Back Alley
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死神が、もし本当にいるとしたら、
こんな感じじゃねぇかなって思うんだ、なんて、
途方もなくどうでも良いことを、それなりに真剣に考えてみながら、
冷えたアスファルトに四肢を投げ出したまま、俺は、
ダイナマイトを至近で弾けさせた所為で、焼け付くような痛みを訴える頬を微かに歪め、
俺の上に、音も無く落とされた影の持ち主を見上げた。
不気味なくらいに大きく明るい太陰を負い、肢体の輪郭を淡い白金色になぞらせる雲雀恭弥は、
烏色(からすいろ)のコートと、涅色(くりいろ)下衣、それに黒曜石色の鞣し革の手袋で身を包み、更に、
逆光の墨色の中に表情を沈ませ、痛いほど冷たい風に夜の闇よりも黒いその髪を遊ばせているから、
まさに、夜陰の化身、って感じで、
月華さえ無ければ、その躰は境界を見失うくらい完璧に、闇に溶け込むのだろうけれど、
その、奴が纏う全てのものと同じ黒色であるはずの瞳だけは、どういう仕組みなのか、
きらきらと、そう、例えるなら、黒炭を真っ二つに割った時の断面のように、やけに強い光を有していて、
その黒い瞳だけが、闇よりも闇らしいその人型の漆黒の中で、
静かに、緩やかに、瞬いて、いる。
死神だ。まさに、死神。
例えば、黄金比に忠実に造られた、蝋の薔薇や、絵画の中のキングサリを見て、
本物の薔薇やキングサリは、もっと不完全で不格好であるにも拘わらず、薔薇やキングサリはこうでなくてはならない、と思ってしまうのと同じように、こいつは、
その身に纏う漆黒の完璧さも、その体配の不遜さも、その表情の欠落具合も、
死神はこうでなくては、と手放しで称賛したくなるくらい、どこまでも死神らしかった。
加えて、こいつはいつも、俺が、
どんなに鞭打ってみたって、ぴくりとも動かせなさそうな四肢を地に投げ出し、霞む視界に高すぎる天穹をぼんやりと映しながら、
これはちょっとやばいな、とか、
今度こそ死ぬかな、俺、とか、
そんな言葉を考えるともなしに思考へ浮かべている時に限って、
どこからともなく現れやがる、から、
俺は、きっと、そのうち、
こいつが人間なのか、それとも死神なのか、心底分からなくなるような気がする、ああ、ほら、今だって、
奴の、闇よりも深い漆黒の眼は、
血の匂いに酔うあやかしのそれのように、
音も無く、温度も無く、ただただ煌めいている。
それがどのような眼であれ、
誰かにじっと見下ろされるというのは、気分が良いものではないから、俺は、
痛いくらい冷たいアスファルトに手をつき、ぎりり、と奥歯を噛んで、
ひびが入っていそうな肋(あばら)が訴える鈍痛に呼吸が詰まるのを感じつつも、それを無視して上体を持ち上げ、
傍らのブロック塀に、なんとか背を預けさせる、と、
先程から、口を開く気配すら見せなかった奴が、
奴特有の、情調の見えない淡々とした声音を紡いだ。
「なんだ、生きてるの」
その、どことなく死神らしい言葉に、
思わず、ふっと笑いそうになって、でも、途端、
折れかけた肋が酷く軋み、小さく呻く羽目になる。
もし俺が死んでたら、お前は俺を煉獄にでも連れて行ったのか、なんて、
途方も無く莫迦らしいことを、鈍痛を紛らわす為にも、莫迦らしいと承知で考えてみて、でも、
煉獄の大火に、欠片の情けも躊躇もなく俺を突き落とすであろうこいつの姿を想像してみたら、
それはなかなか悪くないことのように感じてしまうのを否めないのだから、なんだか妙な心地だった。
「…死んでた方が良かったか?」
「別に」
さして興味も無さそうに雲雀はその瞳を静かに細め、相も変わらず単調に声音を綴った、が、
ふと、何やら思案でもするかのように視線を伏せ、その親指で己の唇をゆっくりとなぞる、と、
いや、やっぱり、と、
独り言のように、自分で自分の先の言葉を否定する。
「並盛で死なれると色々面倒だから、生きていてくれて良かったよ」
良く言えば、奴らしい、
悪く言えば、意外性の無い、言葉だ。
それを揶揄してやっても良かったが、生憎、
焔に舐められた頬は、痛みとも熱さともつかぬ疼きに苛まれているし、軋む肋の所為で息は上手く出来ないし、それになにより、
鎖骨の辺りから右肩へ向けて走る裂傷は思いの外深かったらしく、視線をそちらへ向けなくとも血がまだ止まっていないことが察せられるほど血の匂いが酷く
、
下手すると、冗談なく、死神に命を持っていかれそうだったから、
さっさとこいつとの会話を打ち切るべく、
ああ、そうかよ、とおざなりに返し、
地にそっと貌を伏せた。
こういう時はいつも、こんな風に、俺が、
話すことはもう何も無いとばかりに、あからさまに視線を逸らしてやれば、
雲雀は、特に何か発することもせず、ふわり、とその真っ黒なコートの裾を翻して踵を返すのが常で、だから、今回も、
俺はそれを期待しているのだが、
何のつもりなのか、雲雀は、
一歩、俺との間を詰めると、微かな衣擦れの音を奏でながら、
静かに、冷たいアスファルトへ片膝をつく。
「救急車呼んであげようか?」
「…は?」
思わず弾かれたように視線を上げた、ら、
底無し井戸の水面のようにどこまでも黒い瞳が至近で煌めいていて、
なんとなく、胃が震えた、でも、
雲雀は、俺の喫驚になんて構わず、
救急車、ともう一度噛み締めるように繰り返す。
「呼んであげようか?」
貸しを積極的に作ろうとする雲雀ほど気味の悪いものは無い、まして、
こと他人の痛みに対しては、欠片も共感性なんて有していないこの男から、救急車なんて単語が出てくるのだから尚更だ。
「…どういう風の吹き回しだよ?」
ともすれば霞(かすみ)がちな視界の焦点を何とか眼前の雲雀に合わせ、
訝しくその黒い瞳を睨み上げてやる、と、
微かに唇の端を持ち上げ、雲雀は、
俺の言葉なんて聞こえなかったかのように、ただ、
呼んであげる、救急車、と、
先程まで、申し訳程度に語尾に付けていた疑問形の音を完全に取っ払って紡ぎ、
その代わり、と付け加えた。
「何か、対価を頂戴」
何だそれ、って思って、その情調に忠実に、
何だそれ、って発そうした、でも、
俺が口を開くよりも早く、雲雀の手が、す、と持ち上がった、から、
なんとなく、言葉が舌の上で固まってしまい、
半ば無意識に息を呑んだまま、その軌跡を見守れば、
雲雀の、その骨張った手は、
ゆっくりと闇を裂き、あたかも俺の鼓動を確かめるかのように、
そっと、静かに、
折れかけた左の肋の少し上に、添えられた。
痛みの所為か、それとも今朝か昨夜のニュースで天気予報士の女がやたら深刻ぶって喚いていた寒波とやらに体温を奪われた所為なのかは分からないけれど、生憎、俺の躰は、
これって本当に俺の躰なんだろうかって疑いたくなるくらい、感覚が希薄で、肢体全部が微かな弾力性を持つ樹脂になってしまったかのようで、だから、
胸元を音も無く這う雲雀の手の感覚は、微塵も感じることが出来ないのだけれど、でも、
まるで心臓を抉り出したがっているような動きを見せる、その節張った指に、
幾ら服越しとはいえ、ぎりり、と爪を立てられたら、流石に、
ぞくり、と肌が粟立つのは止められなくて、
居心地が悪くなるくらい、こちらを真っ直ぐに射抜き、
不遜に、孤高に、凛然と、気高く、煌めく、
その、どこまでもどこまでも闇らしい、死神めいた漆黒の瞳、に、
くらり、と、
目眩さえ、する。