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□金獏のスフォルツァンド
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―「信じられない!」「られないって?」女王さまはあわれむように、「もう一度やってみよう―深呼吸して、目をつむって」アリスはふきだして、「やったってむだよ、ありえないことなんて信じられない」「そりゃあ練習が足りないからよ。わたしがあんたの年頃には、まいにち半時間は稽古したものですよ。そうよ、時にはありえないことを六つも、朝飯まえに信じこんだりしたものよ。おや、またショールがとんじゃう!」【鏡の国のアリス】―
[December 29]
クリスマスに奇跡が起こるっているのは、結構良くある話だ。
城にいた頃は、それこそ、毎年クリスマスが近くなって来る度に、
姉貴とか、城にいた使用人達とかが、クリスマスに起こった奇跡の話を幾つも話してくれて、まぁ、
今はもう、その内の半分も、思い出すことは出来ないのだけれど、でも、
クリスマスには奇跡が起こるんだって、それなりに長い間、俺は信じ続けてきた、だから、
流石に、この年になっても、クリスマスに奇跡を起こす魔力まだがあるって信じているわけでは勿論無いし、その魔力の存在すら、つい先日まですっかりと忘れていたのだが、でも、
並盛の頂点に悠然と君臨する雲雀恭弥と共に、急に十年前のイタリアへ飛ばされた、この受け入れがたい奇妙な現象を、
クリスマスの魔法が魅せる奇跡だと、信じてやっても良いと思っていた、否、
現在進行形で、思っている、だから、
頼むから、と思う。
頼むから、クリスマスに起こる特別な奇跡は、
クリスマスだけに、起こってくれ、つまり、
クリスマスが過ぎたら、その魔法も解けてくれ。
ぎゅ、と唇を強く噛み締め、
ほとんど祈るような心地で、そろり、と瞼を上げてみるけれど、
視界に飛び込んでくるのは、期待していた日本の街並みではなく、相も変わらず、
古びた懺悔室の埃まみれのオルガンで、
一度眼を強く瞑って再び開けたら元に戻ってました、なんてそんな都合の良いことが起こるわけないと分かっていたのに、何故か、
予想以上の徒労感が、あって、
思わず、はぁ、と深く息を吐き出してしまうのを止められなかった。
おかしい。
どう考えたって、おかしい。
薄汚れた酒場から飛び出してきたあの男の帽子に縫い付けられていたエンブレムは、確かに、ボヴィーノ・ファミリーのもので、
バズーカが着弾した瞬間に小さな雲雀と現代の雲雀が入れ換わったことから考えても、
今回のことは、十年前のイタリアの地で発砲された十年バズーカによって引き起こされた現象と考えてまず間違いはなさそうなのだが、
待てど暮らせど、元の世界に、戻れない。
十年バズーカならば、五分経ったら、各々の本来の時間軸へ半ば強制的に戻されるはずだ、それなのに、
いつまで待っても、並盛に戻らない、というか、
戻る気配すらない。
こっちに飛ばされてから、もう一週間だ、
クリスマスイブもクリスマスもとっくに過ぎた。
いくらなんでも、長すぎるだろう。
十年前の記憶がはっきりと残っていれば、いつ元の場所に帰れることになるのか分かるはずなのだが、生憎、
妙な誘拐犯に会ったことは何となく覚えているような気がするのだけれど、何日後に自分が見慣れた場所へ戻れたのかなんて、全く、覚えてなくて、それに、
この十年前の世界がもしかしたら自分達が経験してきた過去とは違う世界、つまり、パラレルワールドだっていう可能性だってあるから、
焦りばかりが募っていく、のだが、
目眩がするくらい頭を悩ませているのは、どうやら俺一人だけらしい、と、
今やすっかり奴の玉座となった告解者用の錆び付いた椅子に座す雲雀の、その常と寸分変わらない悠然とした色を宿す面(おもて)を窺いながら、
思わず、額を押さえる。
先日、煩いと二、三度トンファーをくらいながらも、根気強く問い質したところ、雲雀も十年前の記憶なんてほとんど無いに等しくて、ということは、こいつだって、
いずれ必ず元の世界に帰れる、っていう確証は何も持っていないことになるはずなのだが、どういう訳か、雲雀は、
まさに今この瞬間も、
憂慮らしい憂慮なんて欠片も見せず、ただ、
今日は雨だから酷く退屈だよね、くらいの気軽さで、
肘掛けに頬杖をつき、高く脚を組みながら、
どうやって手懐けたのか、一匹の椋鳥をその人差し指に停まらせ、その鳥が鳶色の羽を小さな嘴で繕う様を静かに眺めているだけなんだから、
なんだか、もう、
溜め息も出てこない。
きっと、あれだ、
“呆れを通り越した”ってやつ、と、
半ば無意識に唇へ自嘲の弧を浮かべつつ、見るともなしにぼんやりと雲雀の方へ視線を向けたまま、
オルガンの古びた木製の蓋に頬をつけた、ら、
ふと、唐突に、
雲雀の漆黒の瞳孔が、こちらを向いて、
あ、これ、因縁つけられるかな、と反射的に肢体が強張る、
が、案に違って、雲雀は、
何かを発することも、こちらを睨み付けてくることもなく、ただ、
ふいと何事も無かったかのように、囀ずる椋鳥に視線を戻す、から、
なんだか少し拍子抜けしてしまう。
奴なら絶体因縁つけてきそうな場面だったけれど、と軽く瞬きつつ、
なんか奴らしくないな、って首を軽くひねってみて、でも、
まぁ、そもそも、と思い直した。
そうだ、そもそも、奴がここにいること自体、
非常に奴らしくないことなのだった。
雲雀恭弥といえば、協調性に著しい欠陥がある奴で、例え、
奴と、誰かもう一人を除いた全人類が死に絶えたとしても、絶対にそのもう一人の生き残りと馴れ合うことだけはしないだろうなって簡単に想像出来てしまうような性質の持ち主だから、俺が、どんなに、
十年前に飛ばされてしまったこの不可思議な現状を懇切丁寧に説明し、
元の世界に戻れない原因がはっきりするまであまり派手なことはするな、と説得しようと頑張ってみたところで、雲雀は、
うるさい、か、
僕には関係ない、かは分からないけど、とにかくそんな意の言葉と共に、さっさと姿を消してしまうだろうと、かなりの確信を持って思っていた、のだが、
奴は、特に不平を言う気配もなく、この古びた教会の埃まみれの懺悔室に、大人しくその身を置き続けているのだから、
一体どういう風の吹き回しなのか、
いっそ、気味が悪い。
勿論、ふらりとどこかへ出掛けてしばらく戻って来なかったり、
夜半に急に思い出したように外へ出ていったりすることはある、でも、
必ずここへ帰ってくるのだ、
これを、奴らしくないと言わずに何て言えば良いっていうんだ。
思わず深く息を吐き出し、
オルガンの蓋に肘をついて、くしゃり、と両の手で髪を掴みながら、
けれど、と口内でそっと呟く。
けれど、らしくないと言えば、俺だって人のことを言えない。
俺だって、協調性は、どんなに楽観的に見積もってみても、あるとは言えない人種だし、
十代目とならいざ知らず、その他の誰かと行動を共にするのは性に合わない、のだけれど、
結局俺も、この、雲雀と共有する空間に身を置いているのだから。
お互い干渉を望まない人種で、
例え、居心地が悪い沈黙が落ちようが、相手が何かをしてようが、気にも止めない者同士だからさして不快ではないのだろうか、なんて分析してみても、
俺がこの場を離れない、否、
離れたくないと望んでしまっている理由には、残念ながら、なり得ない。
俺らしくない、そんなの分かってる、でも、
雲雀があの告解者用の椅子に、あたかもそれが玉座であるかのように座しているのを見ると、
どういう訳か、肩から力が抜けてしまいそうになるのを止められない。
もしかして俺は心細いのだろうかと思ったら、
酷く、情けなくなって、
己への苛立ち紛れに、オルガンの蓋を、軽く指で叩く、と、
ぎしり、と思いのほか大きな音が、懺悔室に満ちていた静寂を切り裂き、
驚いた椋鳥が、さっとその羽根を優雅に広げ、窓の隙間をすり抜けて蒼穹へと舞い上がっていった。
あ、と半ば無意識に声音がこぼれる。
椋鳥を飛び立たせてしまった訳だし、これは一応雲雀に謝るべきなんだろうかと思って、でも、
謝るのは何となく癪だったから、とりあえず、
様子を窺うべく横目で雲雀を見る、と、
雲雀は特に椋鳥に執着する気配を見せず、ただただ退屈そうに肘掛けについた頬杖の腕を換えながら、
いかにも気紛れですって感じでこちらへ眼を向け、互いの視線が絡み合ったことを認めると、唐突に、口を開いた。
「治った?」
その短い言葉に、半ば反射的に目元が歪む。
雲雀の問いに主語は無かったけれど、
先日、十年前のこいつに折られかけた右の中指のことを指して問うているのは明らかで、でも、
雲雀がそう問うのは、決して、
己が負わせてしまった傷を気遣って、ではないということも、この数日で嫌というほど分かっていたから、
まぁ、こいつがそんな気遣い見せたらそれはそれで気味が悪いんだけど、とにかく、
大概こいつもしつこいな、と舌の奥に広がる苦味を呑み下しながら、
治らねぇ、と吐き捨てるように紡ぐ。
そうすれば、案の定、
微塵も罪悪感なんて覚えていないような所作で、雲雀は眼にかかった前髪を横へ払いつつ、
そう、と、
なんてこともないように単調な声音を返し、
それなら、とばかりに顎でオルガンを指し示した。
「じゃあ、脚で弾いて。ピアノのペダルと違ってオルガン って最悪、脚だけでも弾けるんでしょ」
「脚だけじゃあ、まともな音楽になんねぇよ、」
上目で睨んでやっても、雲雀はさした感慨も無さそうに、へぇ、と欠伸をこぼすだけだ。
「なら、指が治るまで待ってあげる」
その、あくまで悪びれない様(さま)に、ちりり、と奥歯が疼いた。
「言っとくけど、治っても絶対弾かねぇからな」
今まで何度も刺してきたが、改めてもう一度、
釘を刺しておく。
何の気紛れだか知らないが、雲雀はこの間から、ピアノを弾いてみろと煩い(うるさい)。そして、
こいつの場合、何が厄介かって、
人の言葉など、自分の興味のある話題以外、全く聞こうとしないってことだ、ほら、今だって、
弾けないのなら、話は終わったとばかりに、
告解者用の椅子の背凭れへ体重を預け、奴は、
袖口から覗かせたトンファーに、窓から射し入る傾き始めた陽光を退屈そうに映している。