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□You are BE his pet
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 沢田綱吉は頭を抱えていた。

 起きてからまだ数時間も経っていない眼には、東の空に面した窓から射し込む早朝特有の色の無い陽光が眩しすぎるため、心持ち廊下の方へ椅子を傾けた彼の周りでは先程から、
 女生徒らが隣り合う友人とこそこそ小声で何やら言葉を交わし合ったり、ちらちらと忙しなく視線を四方へ巡らせていたりして酷く落ち着かない。
 それは、週の丁度真ん中という水曜特有の倦怠感に苛まれている身からすると、元気だなぁ、と遠い眼をしてしまいたくなるもので、どちらかと言えば迷惑な類のものであるのだが、
 今日が何の日かを思えば、女生徒らが浮つくのも仕方ないことと心から思える。だから、
 綱吉が頭を抱えたくなっているのは、それが原因ではない。

 今日は、世間一般でいうところのホワイトデーだ。

 まぁ、大方の日本人にとってホワイトデーは単に“お返しをする日”という解釈だから、
 丁度一か月前、女生徒は受け取ってもらえるかと、また、男子生徒は貰えるかと、皆一体となって一様に胸を弾ませていたバレンタインほどの盛り上がりがあるはずもなく、
 バレンタインにチョコレートの授受に成功した限られた者たち、すなわち言いかえればバレンタインの勝者たちのみが、そわそわとしているだけで、
 それ以外の者たちは、まだ朝のホームルームも始まっていない一日の黎明の気重さに沈んでいる。勿論、綱吉も後者だ。

 一方、そんな綱吉と酷く対照的であるといえるのは山本武で、
 サンタクロースも顔負けの大きなスポーツバックを背負った彼は、今も、
 教室の後方で甲高い声音を上げる女生徒らの渦の中で、まるで炊き出しでもしているかの要領でバレンタインのお返しを配っていた。

 あんまセンス良いもんじゃねぇけど、と少し申し訳なさそうに綴りながら、好青年を絵に描いたかのような爽やかな笑み浮かべる山本には、いわゆるバレンタイン敗者である男子生徒らの羨望の眼差しが向けられている。
 本当に山本って凄いよなぁ、と綱吉も思わず彼の方を見やる度、感嘆の息をついてしまうが、別にそれも、頭を抱えたくなる原因ではない。

 ちなみに、教室の人気を山本と二分しつつも、バレンタインでは一切チョコレートを受け取らなかった為に女生徒のバレンタイン敗者を多量に生み出した獄寺隼人は、まだ教室にその姿を見せていない。

 いつもは綱吉と共に登校してくる彼が今日は綱吉の横にいないことを不審に思っているのだろう、先程から結構な頻度で女生徒から、獄寺君はどうしたの、と尋ねられるのだが、綱吉も首を捻ることしか出来なかった。
 彼がまだ登校していない理由を、綱吉も知らされていないのだ。

 そしてそれこそが、綱吉が頭を抱える原因の一つであった。
 否、頭を抱えたい直接的な原因が誘引した不安要素、というべきか。

 授業態度はお世辞にも良いとは言えない獄寺ではあるが、十代目である綱吉の警邏と幇助(ほうじょ)には一際力を入れているから、綱吉に連絡もなく姿を見せないことは、とても珍しく、
 どうしたのだろうと胸がざわついてしまうのを止められない。
 昨日のことがあるから、特に。

 とは言っても、綱吉自身、これは少し心配のしすぎだと思っている。
 獄寺だって人間だし、特に彼は朝があまり得意ではないようで、これまでも寝過ごしたとか何とかで学校に遅刻してくることはあった。その内の何度かは、確か、連絡を入れる暇もなかったと謝られたような記憶があるから、今日のようなことは珍しいことであるけれど、今まで皆無であったことでなはいのだ。

 そうだ、そうだよ、と半ば自分に言い聞かせるように綱吉は口内で言葉を噛み締め、
 机についた頬杖の腕を換えて、はぁっと深く息を吐き出す。

 バレンタインでは駄目だったけどもしかしたら今日は貰ってもらえるかも、とホワイトデーにも拘わらずどうやら獄寺への手造りチョコレートを用意しているらしい逞しい女生徒たちのはしゃぎ声をぼんやりと聞きながら、嫌でも思い出してしまうのは、
 紛れもない一カ月前の今日、つまりバレンタインデーの当日、獄寺が酷く不機嫌そうに吐き出した言葉。

 雲雀に一番気に入ってた指環持って行かれました、と綴られたそれを、その時は、
 雲雀さんが“壊す”んじゃなくて“持って行く”なんて珍しいな、と確かに感じはしたものの、でもすぐに、
 恐らく強かにトンファーで殴られたのであろう獄寺の頬の腫れの方に視線を奪われて、意識の全てがそちらに傾いてしまった為、特に気に留めることもなく流してしまったのだけど、ああ、

 今考えれば、あの時から、少し様子はおかしかったんだ。

 そう、綱吉の頭を抱えさせている根源、それは、
 並盛中学を統べる風紀委員たる組織の頂点に君臨する、雲雀恭弥に、帰因するものだった。





 あれ面白いよね、と、
 昨日、紅い斜陽を浴びて一際黒い影を廊下の白に落としていた雲雀は、唐突に綱吉へそんな言葉を投げかけてきた。

 一瞬、何を言われたのか分からなかったのは、言うまでもない。
 職員室に学級日誌を提出する義務を果たし、ようやっと訪れた放課の解放感に浸りながら、獄寺と山本が待っていてくれる昇降口へ足早に向かっていた時だった。
 曲がればもう昇降口がすぐそこ、という位置にある角に脚を踏み出した瞬間、漆黒に鉢合わせ、ぎくり、と思わず身が竦んだが、
 闇を切り取ったかのような漆黒の雲雀の瞳孔は、つまらなそうにこちらを一瞥したのみで、特に何か言われることもトンファーを構えられることもなく擦れ違ってくれたから、ああ良かった、とこっそり息を吐き出し、肩を落とした。それなのに。

 まるでその隙を狙ったかのように、
 そういえば、なんて急に雲雀が振り返るものだから、不意を衝かれた思考は、弾けるように真っ白になってしまったのだ。

 欲しいな、あれ、と、
 抑揚の少ない声音で続けられた雲雀の言葉に、ようやくはっと我へ返る。
 反射的に視線を上げれば、雲雀は微かに眼を細めて綱吉の背後を眺めていたから、
 つられるように綱吉も振り返って自分の背後、つまり昇降口の方角へ視線を向けた。

 ホームルームが終了してから時間が経っている所為か、昇降口に人は少なく、ぱっと視界に入るのは、下駄箱に寄りかかる獄寺と、彼と向き合って何やら楽しそうに笑う山本と、その山本の肩に座すリボーンのみだ。

 「…あれ、ですか?」
 “欲しい”の目的語になるようなものが見付からず、けれど雲雀の機嫌を損ねるようなことは避けたいので正面切ってその目的語を尋ねることも出来ず、綱吉は曖昧に雲雀が用いた代名詞を繰り返す。

 そう、と雲雀はどことなく楽しげな語調で続けた。
 「見ていて飽きないじゃない」

 見ていて飽きない。綱吉はその言葉を口内で噛み締め、必死に己へ鞭打って思考と視線を巡らせる。

 見ていて飽きなくて雲雀さんが欲しがりそうなもの。
 考えろ。ここに、それがあるはずなのだ。

 緊張故に微かに明度の落ちた視界へ映る獄寺は、綱吉の窮地に気付く気配も見せず、
 山本に何か言われたのか、衣嚢から徐に(おもむろに)ダイナマイトを取り出して山本を睨み上げている。

 ダイナマイト、と綱吉は思わず眼を見開いたが、すぐに思い直して深い溜め息をこぼした。

 ダイナマイトは、違うだろう。
 戦闘狂とも称される雲雀だから欲しがらなくもなさそうだが、簡単に言えば火を点けて破裂させるだけのダイナマイトは“見てて飽きない”ものとは言い難い。

 山本は、そもそも、野球のバットが入った袋と、大きめのスポーツバッグしか持っていないし、
 彼の肩に乗っているリボーンは、いつもの硬そうなスーツを纏っているだけで、
 ぱっと眼につく珍しいものと言えば、その小さな頭に載った光沢ある山高帽だけれど、とてもでないがあれを雲雀が欲しがるとは思えない。

 じゃあ一体何が、と頭を滅茶苦茶にかき乱したい衝動を寸で(すんで)のところで呑みこみ、綱吉は思い切り眉根をしかめた。と、その刹那。

 ふと唐突に視界の端でちらついた緑色に、あ、と思わず声音がこぼれる。

 赤ん坊らしからぬ皮肉げな笑みを浮かべ、何やら獄寺へ向けて言葉を紡いでいるリボーンの頭の上。
 紅い斜陽を艶やかに吸い込む漆黒の山高帽のその硬そうな鍔(つば)の、根元。
 長い舌を、ちろちろ、と気まぐれに揺らす、一匹の、カメレオン。

 これだ、と綱吉は心内で拳をぎゅっと握り締めた。
 リボーンといつも行動を共にしているレオンは、形状記憶カメレオンと称されるように、躰全体で様々なものを模することが出来、いつもころころと七変化しているし、
 なにより、その円くて大きな瞳は鳥のそれにもどこか似ていて愛らしい。

 人間に対しては底無しの残虐性を向ける雲雀だが、小さな動物は図らずも憎からず思っているらしいから、彼がレオンに関心を向けたとしても、おかしくはないだろう。

 「確かに、見ていて飽きませんよね。良く見ると、愛嬌のある貌してますし」
 綱吉は噛み締めるようにゆっくりと声音を綴りながら、上目で雲雀を見詰め、
 自分の言葉が彼の神経を逆撫ではしないか気を配る。
 けれど、それは幸いなことに杞憂になりそうだ。綱吉の背後へ、つまりレオンを乗せたリボーンらが佇む方へ、視界の焦点を合わせた雲雀の瞳は、
 まさにヒバードへ向ける際のものと同じ、酷く穏やかに凪いだ漆黒を見せていた。
 「愛嬌?まぁ、そうかもね」
 彼特有の抑揚の欠けた声音も、どことなく柔らかい。

 そういえば、跳ね馬との異名を持つディーノもかつてレオンを欲しがっていたとリボーンから聞いたことがあるのを思い出し、綱吉は思わず頬を緩める。
 師弟というものは、やはりどこか似てくるものなのかもしれない。

 「あれ、譲ってくれない?」
 図らずも、彼の家庭教師が数年前にリボーンへ向けて発した類の言葉を、雲雀もまた口にする。
 しかし、直接レオンの主人に伺いを立ててみるまでもなく、雲雀の要望に対するリボーンの応えは、かつてディーノに返したものと変わらないであろうことは容易に察しがついたから、
 綱吉は、微かに眉尻を下ろした。


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