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□こんなに誰かを愛しいと思ったのは初めてだった。正直、初恋だった。
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  こうも煌々と白熱灯に煌めかれていたら、睡魔なんてやってきてくれる訳がなく、
それでも別に今は寝たい気分でもなかったから、ただじっと真っ白な天井を見詰めていた、ら、

  ん、と獄寺隼人が掠れた声音を喉からこぼし、夢の深淵に沈んでいる者特有の、どことなくふわふわとした所作で、
まるで己の匂いを擦りつける猫のように、僕の腕へより一層その温かな頬を押し付けてきて、

  なめらかな銀糸の如きパールグレイの髪で、トンファーを振い慣れた僕の腕を、しっとりと擽る、から、

  にんげん(人間)の生温さなんて気持ちが悪いだけだったはずなのに、僕は、
舌が痺れるくらいに甘ったるい飴でも舐めたかのような心地になって、思わず、
僕の右腕の上に載せられた獄寺の頭を、そっと撫でてみる、そうしたら、

  だるそうに、二、三度震えた白い瞼が、音も無く上がり、
孔雀石みたいな色素の薄い瞳が僕を映した。そして彼は、ふと、枝のように細いその腕を軽く上げ、

  レーヨンの安物の毛布から、白磁のような薄い肩を惜しげも無く覗かせた、かと思えば、手の甲で、

  かしかし、とやや粗雑に瞼をこすり、
俺どのくらい寝てた?と、起き抜けの幾分舌が足りていない声音で問うてくる、から、

  をことてん(乎古止点)の付けられた漢文を丁寧に読み解いていくみたいに、獄寺の言葉を一つずつ拾い上げて、僕は、
他の人間に尋ねられたら、時計を見ろと吐き捨てて咬み殺してやるような類の獄寺のその問いにも、

  いちじかん(一時間)も寝てないんじゃない、と至極丁寧に応えてやっている。

  とこしえ(永久)にこうしていられれば良い、と、柄にもなく僕は真剣にそう思っていた。


  しびれて(痺れて)ねぇ、腕?と獄寺は少しだけ申し訳なさそうに僕の腕から自身の頭を持ち上げ、
ベッドの上に上体を起こすと、信じられないくらい艶やかな所作で銀細工のような細い髪を乱雑にかき乱す。
揺れる毛先の隙間から時折覗く、ほっそりとした首筋に刻まれた赤黒い鬱血痕に、

  いいかげん(いい加減)燃え尽きたと思っていた情欲が、渇きにも似た感覚を伴って喉に貼りついてくる、でも、

  とほう(途方)も無いこの渇望感に再び獄寺を付き合わせるのは、流石に酷だと、幾ら僕といえども分かっているから、ただ唾液だけを意図的にゆっくりと嚥下してみた。

  おもえば(思えば)、獄寺隼人という人間は、恋人という称号を与えるには少々不適格な人間だ、第一に彼は、沢田綱吉以外の人間の言うことには、欠片も耳を傾けようとしない、例えば、

  もう何度も僕は、僕の前で煙草を吸うなと繰り返し、時には手だって上げたのに、
ほら、今も、獄寺は少しも躊躇うことなく煙草に火を点け、

  つき(月)を見上げる路地裏の白猫みたいに天井の白熱灯を眺め、気儘に欠伸なんかをしている、けれど、
僕がそれを咎めることをしないのは、

  たしかに(確かに)どうせ咎めても聞きやしないだろう、と最早諦めているからでもあるけれど、でも、決してそれだけではなく、

  のど(喉)の奥が、つん、と痛くなるようなこの紫煙の香りが、前は嫌で嫌で仕方が無かったはずなのに、どういう訳か、今や、
そこまで悪い匂いでもないような気がして、ともすれば、
深く息を吸い込んで気道に積極的に収めたいような心地になってきているからで、

  はい(肺)を、じわりじわり、と侵し、脳を中毒の蟻地獄へと誘うニコチンのように、きっと僕も、
獄寺隼人という一個の存在に蝕まれ、知らず知らずのうちに狂わされているんだろうなと、いう感覚があるのだが、
何がやるせないかと言ったら、その感覚すらも既に毒のように甘美な酩酊感を伴っているから、やるせない。

  ハッカみたいな、すーすーとする紫煙の香りをこっそりと深く吸い込みながら、
ベッドに投げ出した四肢をそのままに、そっと瞼を閉じて視界を漆黒に塗り潰す、と、

  じっとこちらを見詰める獄寺の視線を感じた。が、僕は、
肢体に残る澱のような心地好い倦怠感とか、規則正しく奏でられる獄寺の微かな呼吸の音とかを、静かに味わいたい気分だったから、

  め(眼)を閉じたまま、気付かないふりを貫くべく彼に構わずにいた、ら、
ほんの少しだけ揺れた空気に、獄寺が微かに笑ったことが察せられて、溜め息を、一つ。

  てっていてき(徹底的)に獄寺隼人は恋人不適合者だ、だって、第二に、彼は物凄く負けず嫌いすぎる。

  だいたい(大体)僕は、友好的という言葉が最も似合わない人間だろうってことくらい自分でも良く分かっているし、
獄寺がたまに形容するように、まぁ、戦闘狂だろう、でも、だからといって、

  つね(常)に誰かしらかを咬み殺したい気分なのかって言われたら、それは違う訳で、例えば、僕だって、

  たまにはトンファーを握ることが億劫になることだってあるし、
特に、獄寺と一つの空間を共有している時なんて、傷付けずに人に触れることが出来たら良いのにって、気持ち悪くなるくらい穏やかな心地になることもある、そして、今も、

  しんじられない(信じられない)ことかも知れないけれど、僕は僕なりに、この空気を、
静かで、つい先程まで交わし合っていた熱の余韻と気怠い倦怠感に満ちていて、ハッカみたいな煙草の匂いがし、すぐ近くに獄寺隼人という個体の温度がある、この空気を、
楽しんでいるというのに、獄寺は、

  ようこう(陽光)の下で悪戯を仕掛ける幼子のような無邪気さを纏い、
気配から察するに恐らく、右腕を、大きく振りかぶり、僕の鳩尾にその拳を突き立てようとする。

  うんざりとしながらも、半ば反射的に重たい右の手を持ち上げ、振り下された獄寺の手を受け止めて、深く息を吐き出しながら眼を開ければ、
獄寺は、また駄目だったかとばかりに小さく舌打ちをして、

  じとり、と恨みがましくこちらを見詰め、
お前って隙ねぇの?なんて拗ねたように紡ぐのだけれど、その様は、小一時間程前、

  きつく僕の肩に爪を立て、しなやかに白い背を仰け反らせて苦痛と紙一重の悦楽に喘いでいた彼と同一とは、俄かに(にわかに)信じられないくらい、幼い印象を僕に与える。

  はぁっと少し大袈裟なくらい肩を落とし、
一度で良いからお前に一発喰らわせてぇなぁ、と酷く邪気無く笑った獄寺は、
恋人らしい甘やかな空気を取り返しがつかないくらいに無残に打ち砕いたというのに、悪びれる風もなくて、こういう時、僕は、

  つちのことか地底人とかの括りに自分が置かれていて、獄寺が僕の傍らにいたがるのは、ひとえに僕を観察したいからなんじゃないか、なんて莫迦らしいことさえ考えてしまうのだけれど、
まぁ、どんな理由であれ、彼が大人しく僕の手の中にいてくれるなら何でも良いか、と思ってしまうのだから、どうしようもない。僕はとことん獄寺にあてられている。

  こいびと(恋人)にするなら、大人しく、静かで、僕に逆らうことなく僕の意のままに動く人形みたいな奴が良いと常々思っていたのに、
獄寺隼人はその像の真逆をいくような人間で、でも、
彼にこんなにも魅せられてやまない、なんて、どうしてあり得るのだろうか。

  いじけるように、ベッドサイドテーブルの上の硝子の灰皿に煙草を押し付ける獄寺に、気まぐれに、
腕が痺れていたら君の手を受け止め損ねていたかもね、と言葉を掛けてみたら、獄寺はぱっと貌を輝かせて、
それじゃあ、とことん痺れさせてやる、とベッドに投げ出した僕の腕の上に頭を載せ、悪戯盛りの猫のように優雅に眼を細めた。

  ダイスのようにころころと変わる表情を、獄寺はいつから僕にも見せてくれるようになったのだっけ、とぼんやりと記憶を辿りながら、僕もゆったりと唇の端を持ち上げてみせ、

  つ、とその薄い瞼に唇を寄せて、パールグレイの髪を指で梳けば、
彼はどことなく物欲しそうに喉を鳴らす、そして、ああ、それだけで、
今まで感じたこともないくらいに圧迫的な、それでいて毒のように甘く痺れる、息苦しさを覚えるのだから、敵わない。

  たぶん(多分)世界は、これを初恋って呼ぶんだろう。

-End-



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