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□金平糖型で綿菓子色で幸せ味のショートケーキ
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 背後から粗雑な所作で右の上腕を掴まれた時、俺は、
 自分が二つほどしくじりを犯したことに気が付いた。

 振り返る間もなく、こちらの側頭を狙って硬い拳が繰り出される気配を感じ、
 上体を屈めることでその軌道から逃れながら、

 何だってこうも簡単なことが予期出来なかったかな、と自分への呆れが盛大に滲んだ溜め息をこっそりと噛み殺す。

 身を捩ることで上腕に絡みつく他者の指を振り払い、
 左の手に握っていたコンビニエンスストアのビニール袋の持ち手を手首に通すと同時に、
 衣嚢へ滑り込ませた指先で、ダイナマイトの乾いた感触を確かめて、
 上体を唐突に屈めた為に均衡が大きく崩れてしまった身体を、右の手をアスファルトに突くことでもって立て直す、そして、

 その手を軸に身を反転させ、先程拳が飛んできた方角へ向き直り、視線を上げれば、案の定、
 そこには、見るからに素行がよろしくないことが察せられる、鶏の鶏冠みたいな前髪の男が三人。

 その、道幅が酷く狭い裏路地を塞ぐように佇む男たちは、じっとりと深く通りを支配する薄闇に半身を溶かされてしまっている為に、
 その貌の造形をはっきりと視認することは出来なかった、が、
 見知った貌でないことは確かだった、というか、
 正直に言わせてもらえば、全然知らない貌だった。けれど、

 青白い月光を吸い込んで、重く光る奴らの濃茶の瞳には、明らかに俺に対する忌々しげな色が滲んでいて、
 どうやら、初対面ではないらしいことがが察せられる。まぁ、そう言われてみると、

 奴らがその身に纏う、並盛中のものとはまた違った形のブレザーの制服は、つい昨日、
 他でもないこの裏路地で、見かけた気がしなくもない。
 どこ見てるんだ、とかなんとか常套の因縁をつけてきた奴が着ていた制服が、確かこんな感じのブレザーだった。数発殴ってやったらすぐに逃げて行ってしまったから、じっくりと相手の制服を眺める暇はなく、故に、
 絶対にこれと同じ制服だった、とは言い切れないけれど、多分、同じものだ。それに、なにより、
 向かって左側に立つ男の唇の端が、生々しい青色に染まっているから、恐らく、
 昨夜の男が、眷属(けんぞく)を引き連れて返報返しに来た、と考えてまず間違いはないだろう。

 「並盛中の獄寺隼人だな」
 中央に立つ、多分先程擦れ違い様に殴りかかってきた奴であろう男が、下卑た声音で綴るのを聞きながら、
 あーあ、と半ば無意識に目元を歪め、ゆっくりと上体を伸ばす。

 衣嚢から携帯電話を取り出し、横のボタンを押してサブディスプレイに時計を表示させれば、
 そのデジタル表記の数字は、五月四日の二十三時五十五分を表していて、
 肚の底から込み上げてくる衝動に逆らわず、溜め息をもう一つ。

 別に、絡まれたことが嫌な訳ではない。
 確かに、いつもであればこんな時間に因縁を売られるのは面倒臭くて出来れば遠慮したいし、それに、
 俺の正面に佇む男が幾らがっしりとした良い体躯を持っているからといって、昨夜の軟弱な男の眷属である時点でその実力はたかが知れていて、
 どうせ数発鳩尾に拳を叩きこんでやればすぐに大人しくなるのだろうから張り合いも何もなく、面倒臭いからやはり遠慮したい。でも、
 今日に限っていえば、どんな面倒臭い喧嘩であろうと、諸手を挙げて歓迎したい気分ではあったのだ。

 だからこそ、俺は、
 目付きの悪い連中が良く群がっている幾つかの裏路地から、わざわざ一番絡まれそうな路地を選択して自宅への帰路を踏んでいる訳だし、更に言えば、
 もし日付が変わってしばらくしても誰からも因縁を吹っ掛けられなかったら、こちらから喧嘩を売ってやろうとさえ思っていた。だから、
 こうして喧嘩を売られたことは、しくじりでも何でもない。
 問題は、喧嘩を売られたタイミングだ。

 昨夜喧嘩したばかりの裏路地はやはり通るのを避けるべきだった、と、
 眼前の三人の男を睨みつけてやりながら、衣嚢の中のダイナマイトを握り締める。

 そう、少し考えれば分かることだった、昨夜の男が眷属と共に、昨夜と同じ裏路地で俺を待ち構えている可能性の高さなんて。
 そして、待ち構えるような真似をする血の気の多い奴らは、相手を見かけるや否やすぐに殴りかかってくるのが常だから、
 それを考慮し、違う裏路地を選択するべきだった。だって、

 確かに俺は、今日、喧嘩を売られたかったけれど、でも、
 “今日”といっても、それは限りなく“今日に近い明日”で、というか、
 どちらかというと、“明日”になってから喧嘩を売られた方が確実で都合が良かったわけで。まぁ、つまり、何が言いたいかというと、
 喧嘩を売られたタイミングが早すぎて、計画が狂いそうでまずい、ってことだ。

 「昨夜は随分世話になったからな、その礼に来てやったぜ」
 青く腫らした唇の端を持ち上げ、にやり、と眼を細めた左側の男に、思わず、
 礼をしたいと思ってくれたんなら、あと五分後、いやせめて、あと二分後に因縁吹っ掛けてくれりゃあ良かったのに、と不平をこぼしたくなる。だって、
 五分前じゃ、本当に、早すぎるんだ。

 今までの経験上、どんな情報網を有しているのかは知らねぇが、あいつは、
 並盛で一度(ひとたび)喧嘩が起こると、そして、それが例えば俺が関わっていたりする厄介なものであると、
 三分も経たぬ内に、制圧すべくやって来る。

 「そりゃあ、ご丁寧なこった。わざわざ違う街から来てくれてんだろ?その制服、並盛のじゃねぇもんな」
 左の手首にかけた半透明のビニール袋を掌の中へ戻して、ぎゅ、と持ち手を握り締めながら、
 少しでも時間稼ぎが出来ないかと、男たちを刺激しすぎないような言葉を選ぶ。
 もう一度、携帯電話のサブディスプレイを横目で確認すると、幸いなことに、
 二十三時五十六分になっていたが、それでもまだ早すぎることには変わりない。
 雲雀恭弥が、喧嘩を制圧すべく俺の前に現れるのは、どうしても日付が変わってから、つまり、
 五月五日になってからではないと、困るのだ。
 そうでないと、ここ数日必死に考えて組み立てた計画が、一気に崩れてしまう。

 「なに、てめぇ、俺らのこと知らねぇのかよ」
 中央の男が、不服そうに片眉を上げ、
 思いもかけず、こちらが投げた言葉に喰いついてきてくれた。
 「有名人のつもりか知らねぇけど、心当たりもねぇよ、てめぇらなんか」
 思わず口の端を持ち上げてしまいそうになるのを抑えて、あえて挑発的な語調で紡ぐ。
 上手くいけばこの話題で二分くらいは時間が稼げるかもしれない、と期待したのだが、残念ながら、男は、

 ま、てめぇに教えてやる義理もねぇけどな、とあっさり身を引いてしまった。更に、
 てめぇが俺らに跪いて懇願してくれたら教えてやっても良いぜ、なんて眼を細めながら、
 指の骨をゆっくりと見せつけるように鳴らし始めるものだから、焦る。
 もう少し時間を稼げるような話題は無いか、と素早く思考を回しながら、
 こんな計画しか立てられず、しかもその計画すらも狂いそうになって、こんな風に必死に時間稼ぎをすることばかりを考えている自分がつくづく情けなくなった。

 今、サブディスプレイに時計を表示させている携帯電話は、
 並盛に君臨する雲雀恭弥が有する携帯電話を呼び出すことが出来るアドレスと電話番号を内包している。
 それは、数週間前、具体的に言えば、六週間前、
 好きだよ、と言葉上は確かに愛を囁く文字を並べているのだけれど、どことなく脅しているような高圧的な語調で雲雀が紡いだ日に、初めてこの携帯電話のメモリーに刻まれたもので、思えばあれから、俺達は、
 なし崩し的に、互いの間に存する心理的な距離を、そして更に言えば物理的な距離も、ほとんど異常な程に縮めていっているのだけれど、
 互いの携帯電話を電波でもって繋げたことは、雲雀からも、そして俺からも、まだ一度も無かった。

 雲雀は、会いに来るにしても事前に俺に連絡して許可を取るような殊勝な真似はしないし、
 俺は俺で、気恥かしさとか矜持とかが相俟って、自分から雲雀に連絡を取ることが出来なくて、

 だから、互いの携帯電話に互いからの着信が入ったことは未だかつて無く、
 だから、俺はこんな莫迦らしい計画を立てる羽目になったのだ。

 五月五日が、雲雀の誕生日であることは、草壁とかいう風紀副委員長が口にしたのを小耳に挟んだことがあったので、随分前から知っていた。
 雲雀は、およそ自分勝手な男で、靴も脱ごうとしないで気儘に俺の中へ入りこんできたような奴だけど、でも、
 他でもないその雲雀に、ほとんど忘れかけていた、隣に人の温もりがあるという多幸感を与えて貰ったことは事実だった、から、
 奴の誕生日は、ちゃんと祝ってやりたいと思っている、のだが、

 繰り返すようだけど、雲雀は自分勝手な男だから、
 会いに来る前に連絡を寄こさないどころか、ごく稀にではあるが、自分が忙しい日や自分の気が向かない時などは貌を見せないこともあって、つまり、

 五月五日に、雲雀が俺の前に現れてくれるか否かは、雲雀の気分一つの問題で、
 五日に雲雀が俺に会いに来ない可能性は五分(ごぶ)の確立であり得た。

 勿論、俺が、五月五日に会いたい、とか言えば、
 奴は恐らく来てくれるのだろうけれど、なんとなく、
 会いたい、なんて言葉を口にするのは、非常に気恥かしくて、気まずくて、

 しかも、雲雀とこういう、妙といえば大概妙な関係になってから、俺の方から雲雀に会いに行ったことは勿論、
 会いたい、なんて口にしたことは一度も無かったから、余計に、
 雲雀は縛られるのが嫌いな奴だから、会いたいとか言われるのは嫌なんじゃないかとか、変なことまで考えてしまって、

 一応、一週間前くらいから雲雀に、ゴールデンウィークは何する予定なんだとか、毎年ゴールデンウィークはどんなことをして過ごしているのかとか問うてみては、五日に会えないか打診してみようと試みてはいたのだけれど、結局、
 俺の口から、五日に会いたい、なんてやはり言い出せなくて、雲雀も、やはり、
 五日に会いに来るか否か事前に言い出すことをしなくて、

 それでも、確実に五日はあいつに会いたかったから、
 会って誕生日を、大したことは出来ねぇけど、祝ってやりたかったから、

 日付が五日に変わった瞬間に、喧嘩をしてやろうと思ったのだ。そうすれば、
 雲雀は絶対に喧嘩を制圧しに現れる、から、
 確実に、雲雀と五日に会える。

 我ながら、良い思い付きだと思った。実際、
 計画通りにことが運べば、なかなか悪くない。

 だが、ここに来て、その計画に生じてしまった二つの綻び。
 一つは、予定よりも早く因縁を吹っ掛けられてしまったこと。

 そしてもう一つは、と、

 短く息を吐き出し、眼前の男達がその瞳に好戦的な光を宿らせてゆっくりと舌を舐めずるのを眺めつつ、
 左の手の中のビニール袋の持ち手に、軽く爪を立てる。


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