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□愛してるって言ってみて
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 雲雀には、どことなく獣じみたところがある、と思う。

 葉が落ちるような些細な音でさえ眠りの淵から浮上するところしかり、
 月光を鋭く反射する牙のような輝きのトンファーを、くるり、と鋭く回しながら発す、咬み殺す、という言葉の響きしかり。特に、

 そこはかとない血の匂いを纏い、奈落色の瞳孔を好戦的に、ぎらり、と煌めかせている奴はまさに、
 引き千切るべき肉を求めて低く喉を鳴らしながら、鋭い爪を大地に食い込ませて身を低くする黒豹さながらだ、と、

 マンションの扉を開けた瞬間ぶつかった、射るような鋭い漆黒の瞳に、ぼんやりと、そんなくだらないことを考えさせられた。

 インターホンという文明的発明品を完璧に無視し、蹴破って入ってくるつもりなんじゃないかと危惧したくなるくらい強く扉が叩かれた時から予測はしていたが、やはり、
 非常に有り難くないことに、雲雀の機嫌はすこぶる悪いらしく、
 肺が震えるような夜気の香りと共に雪崩れ込んできた硬質な殺気に、こくん、と意図せず喉が鳴る。けれどそれは、

 どうやら俺に向けて発せられているものでは無いらしく、
 ぴりり、と皮膚に走った痛みは、思いの外(ほか)脳内に警鐘を鳴らさせることはしなかった。でも、

 いくら自分に向けられたものではないとはいえ、こうも明らかな殺気に触れて平然としていられるわけもなく、
 ほとんど無意識に、衣嚢の中のダイナマイトの存在を確かめたがる右の手を、ぎゅ、と握り締めて制し、俺は、

 さて、何と声をかけるべきか、と、
 第一声に迷い、とりあえず適当な微笑を口元に貼り付けてみた。

 そんな俺に、雲雀は険呑な一瞥を流してみせただけで、
 この部屋の主であるはずの俺に何の断りもなく、乱雑に靴を脱ぎ捨てて廊下へと歩を進める。
 そのあまりに傍若無人な様に思わず目元は引き攣り、文句という名の罵声が喉元にまで込み上げてきたけれど、
 それをすんでの所で呑み込んだのは、ひとえに、
 こういう時の雲雀に喰ってかかると碌な目に遭わない、ということを、今までの経験から既に嫌というほど学習しているからだ。

 苛立たしさをありありと滲ませた足早な歩調でリビングの扉をくぐっていく雲雀の背を見詰め、溜め息を一つ。
 非常に気は進まなかったけれど、いつまでもこんな所でぼさっと突っ立っているわけにもいかないので、玄関の扉の鍵を閉め、雲雀の後を追うように廊下を踏みしめながら、
 額に手を当て、勘弁しろよ、とこっそり口内で呟く。
 その言葉は、雲雀に向けたものではない。勿論、雲雀にも向けたくて堪らないが、とりあえずは、
 先程、扉を開けて恐ろしく不機嫌な雲雀を認めた瞬間から瞼の裏にちらついて止まない、初春の天道の如き黄金色の髪の男へ、向けたものだ。

 記憶の淵から瞼の裏へ浮かび上がってきたその男は、その髪色と同じくまさに、噎せ返るような花の香りに支配された季節の陽光、と形容するのがぴったりの天真爛漫な笑みを、上機嫌にこちらへと投げ掛けてきていて、それは、

 あいつがほとんど四六時中、人の良いその性質を映すように無垢に微笑んでいるから、その、最も良く見る笑みを脳が蘇らせているだけで、
 あいつには全く非がないことは分かっているのだけれど、なんだか、

 いくら、記憶の中で、とはいえ、こんな状況でこうも無邪気に微笑まれると、腹が立ってくる。だって、
 間違いなく、雲雀の不機嫌の原因は、
 あの、光を縒って作ったかのような金糸の髪が印象的な、一応雲雀の家庭教師である、跳ね馬、なんだから。

 分かってはいたんだ。三日くらい前、十代目が、
 ディーノさんが今日日本に来るんだって、と、
 聡明そうな紅茶色の瞳を瞬かせ、教えて下さった時から。跳ね馬がイタリアに帰る日、雲雀は、
 その瞳の漆黒を、血にでも飢えたかのように煌めかせて、俺のマンションにやって来るだろう、と。何故って、
 こんな風に、跳ね馬が帰国した日にこいつが、苛立ちを抑えようともせずに切れ長の眼を細めながらやって来るのは、
 何も今回が初めてではなく、むしろ、
 最早、恒例行事になりつつあることなのだから。

 全く良い迷惑だぜ、と口の端を下げながら、重い脚を引き摺るようにリビングの扉の敷居を跨ぐ。と、雲雀は、
 俺が、破壊的な叩扉音に玄関の方へ呼び寄せられる前まで座していたソファへ腰を下ろし、とんとん、と爪先で苛立たしげにフローリングを叩いていて、
 相も変わらず、不機嫌を隠すつもりはないようだ。
 その傍らのカーペットに転がっているのは、土埃と無数の細かい傷に汚れた一対のトンファー。

 「…今回も随分派手にやったもんだな」
 雲雀の不機嫌に気付いていないかのような語調を心がけ、何気無い風を装って紡ぐと、雲雀は、
 無造作に己の漆黒の髪をかき上げながら、苦蓬(にがよもぎ)でも噛み締めたかのように目元を歪めた。
 「また逃げられた」

 そりゃあ逃げるだろうよ、とこっそり口内で溜め息をつく。
 毎度日本に来る度に喧嘩売られる跳ね馬も哀れと言えば哀れだ。

 己の築いた秩序によって完璧に支配された並盛において日がな退屈している雲雀は、ただでさえ、強いと称される者の噂をどこかから耳にすると、その真偽にさして構わずとにかく片端から挑みにいくような生来の戦闘狂であるのだが、

 跳ね馬に対しては、その強さに対する好奇心以外に、奴が家庭教師を自称していることへの、もしくは、その人懐こい天真爛漫な性質への、気に食わなさがあるらしく、
 並盛で跳ね馬の金髪を見掛けるや否や、殺気を押し殺そうともせずにトンファーを構えるものだから、

 最近は跳ね馬も、特にリボーンさんと何やら重要な話があるらしい時などは、
 恭弥に見付かると厄介だから、と身を縮こめながら常に四方へ意識を配っていて、
 その脱獄犯さながらな姿には、十代目も苦笑していらしたけれど、同情を禁じ得ない。

 雲雀と跳ね馬。こいつら二人の不運な点は、両者の力が拮抗していることだろう。
 どちらか一方の力が明らかに勝っていれば、例え乱闘になろうとすぐに決着が着くのだろうが、
 どちらの力も、相手を決定的に下すには足りないから、
 一度トンファーと鞭が交われば、それこそニュートンの揺り籠のように延々と戦い続ける羽目になる。だから、

 この二人の闘争は、大抵は、跳ね馬が帰国を予定している日まで続けられ、
 跳ね馬がなんとか雲雀をまいて飛行機に乗り込み、日本を離れることで終焉を迎えることになる。

 こいつも良く飽きねぇもんだよな、流石戦闘狂、と、
 最早呆れを通り越して感嘆したい心地になり、
 ソファに身を沈める雲雀を眺めながら、なんとなく傍らの本棚に背を預けてみたら、

 消すのをすっかり忘れていたテレビのブラウン管の中では何か面白いことがあったらしく、右方のスピーカーから、どっと笑い声がもれてきた。

 深夜のバラエティ番組特有の安っぽい舞台の上で、司会者らしい男に見るからに熱そうなおでんの大根を口元へ押し付けられそうになっている芸人は、どこに売っているんだろうと呆れるくらい派手な水色の格子縞のスーツを纏っていて、

 その、個性的といえば個性的、悪趣味といえば悪趣味な服装に、
 こいつがもしかして十代目が仰っていた最近ブレイクしているとかいう芸人だろうか、と少し興味を引かれた、が、

 十代目に教わったその芸人のもう一つの特徴である銀色の四角い眼鏡を、そいつが掛けているか見極めようと半ば無意識に身を乗り出した瞬間、
 ぷつん、という軽い音と共にブラウン官から光が失われる。

 あ、と思わず声音がもれたのと、
 煩い、と雲雀が短く吐き捨てながらテレビのリモートコントローラーをソファに放ったのはほとんど同時だった。

 「雲雀、てめぇ」
 一瞬、雲雀の機嫌をこれ以上損ねないよう大人しくしていようと心に決めていたことも忘れて声音を荒げる。だって、
 これは十代目が大好きだと仰っていたテレビ番組で、
 あれ面白いよな、といかにも物知り顔で頷いてみせた野球バカと十代目の間で弾み出した会話に全くついていけなかった俺は、
 なんとしてでもこの番組の面白さを理解し、野球バカが右腕の座に収まるのを阻止しなければならないのだから。

 そもそも、そうだ、何でこうも毎回、跳ね馬に逃げられて苛々している雲雀のご機嫌取りをしなきゃなんねぇんだ。
 理不尽な八つ当たりから己の身を守るには“触らぬ神に祟りなし”が一番だと学んだ時から、なんとなく下手に出てしまいがちだったけれど、
 俺が気を使ってやる謂れ(いわれ)はねぇはずだ、とかそんなことを考え出したら、なんだかどんどん腹が立ってきて、

 ここは俺のマンションなんだから俺が好きな番組を観て何が悪い、気に食わないなら出てけ、とかなんとか、言ってやろうと思って、

 ぎり、と奥歯を噛み締め、ソファに座す雲雀の方へ、
 一歩、大きく足を踏み出した。のだが、

 俺が、雲雀に罵声を浴びせてやるべく深く息を吸い込むより早く、雲雀は、
 ふと、剣呑にその眼を細め、
 おもむろに腰を上げると、こちらのパーカーの胸元を粗雑に掴んで、急に、
 す、とその面(おもて)を近付けてくる、から、

 思わず、鼻白んでしまう。

 「…な、何だよ」
 ぐっと顔を寄せてきた雲雀の鼻先が首筋を擦る感覚に、なんとなく背骨が震えるのを感じながらも、声音が頼りない響きを纏わぬよう胃に力を入れる。

 雲雀は俺の言葉が聞こえなかったかのように、いや、違うな、
 雲雀は、俺の言葉なんか端(はな)から聞く気がなかったかのように、
 ただただ低い声音を綴った。
 「今日、どこ行ってきた?」


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