小説の頁

□御月様の薫り
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capital 1.『牡丹色』



月は欠け、殆どその姿はない。

なんだろうか。不気味な雰囲気が辺りを纏っている。
寒気立つような。そんな気持ち悪さ。

どこからだろう。リンリンと軽やかな鈴の音。
だが、その鈴の音もどこか震えているようで、か細い。

あぁ。さっさと帰ろう。こんな気持ちの悪い処にずっといられるものか。
海を走らせ、帰路を急ごうとした。

「お待ちくださいっ」

そんな声が聞こえ、僕は止まった。

「お待ちください、あの、私、蛍というものです」

蛍、そういった彼女からは鈴の音。
あぁ。君からだったんだね。その鈴の音は。
一人納得して、彼女の声に応対する。

「蛍ちゃん?どうしたの。こんなところで」

よく見ればまだ幼い。僕と見た目6歳ほど違うのではないだろうか。

「社に帰るはずが、ま、迷っちゃって、」

震える彼女は今にも泣いてしまいそうで。
僕は海から降りて、彼女の頭を撫でた。

「大丈夫大丈夫。僕が送ってあげるよ。社の名はなんていうの?」

送るなんていつもの僕なら言わない。
ただ、この気持ち悪さのなか、泣きそうな幼い少女を置いて行ってもいいのだろうかと。
珍しく善地味た事を思って、彼女の返答を待った。

「外宮です。豊受大神宮」
「豊受?あぁ。君豊受大神?」

外宮。僕の社は内宮摂社月読宮。外宮と言うことは兄さんの社の方面か。
まさか豊受だとは。余計放って置けなくなってしまった。

「馬に乗って。一気に抜けるよ」
「はっはい!」

彼女を海に乗せて、僕も乗った。
しっかり背中に掴まるようにいい、海を走らせる。
時折、わぁあという歓声を出しながら彼女は、しっかりと僕の背中にしがみついていた。

「蛍ちゃん、大丈夫?」
「は、はいっあの、貴方の、名前はなんて言うのですか?」

そういえば言ってなかったか。

「僕の名前は薫。月読命だよ」
「ふぇええ!?つ、月読様!?!?」

彼女が驚いた拍子に、僕の背中に掛かっていた圧が一気に軽くなった。
彼女が手を離したのだ。

「ふぁ、、っ!!」
「っ!!」

落ちる、と思ったのと同時、いや、それよりも先に体が動いた。
彼女を抱き抱えて、背中や腰に襲いかかる激痛。頭も打ったかもしれない。

「つ、月読様!も、申し訳ありません!ふぁ、あ、だ、大丈夫、ですか?」

良かった。彼女は大丈夫そうだ。
僕は体が痛むことが彼女にわからないように起き上がった。

「大丈夫大丈夫。わぁ。見事に落ちちゃったねぇ。」
「ご、ごめんなさいっお、お着物が、」

少し気が動転している姿を可愛いと思ってしまった。
僕は大丈夫、とだけ言い、海を呼び、再び彼女を海に乗せた。

「もう離しちゃだめだからね」
「は、はい」

僕も海に乗り、彼女が僕の背中に手を回したのをちゃんと確認して、走らせた。
先程よりも強く抱き締められている。
否、先程は掴まれていたのだが。

「月読様っ」

彼女が呼ぶから、返事を返した。

「月読様、いい香りがしますね。これ香り水ですか?」
「体臭」
「え!?」

先程から背中あたりがこしょばいのはそれか。
僕等月読は体臭が香り水のような匂いがする。
長男の兄は香り水でいうムスクのような匂い。
次男の兄はバニラの木の匂い。まぁようするに甘ったるい匂い。
そして僕は柚子のような匂い。
簡単に彼女に説明だけをして、最後に月読が香り水を使えないことを言った。

「え?なんでですか?」
「体臭きつくて。。意味ないんだよねぇ」

彼女は一言、なるほど、といって、 また僕の背中に顔を埋める様にした。
そんなに気に入ったのかな。柚子臭いのに。
あ、豊受だからか。料理のアクセントになるもんね。柚子って。
独り言の様に、心で呟いた。

「月読様」

またどうかしたのだろうか。名を呼ばれる。

「どうしたの?」
「また、会えますか?」

本当にどうしたのだろうか。
僕に対して、そんなこという子は今まで余りいなかった。
変わってるなぁ。としか思えない。
本当に。変わった子だ。

「会いたいの?」
「はいっ」

明るい、鈴のような声。
僕も心のどこか片隅で、彼女と同じ事を思っていたのだろう。
次の返しには、査定の意を示していた。
彼女の笑い声がする。
そんな彼女の声を聞いて、僕まで笑顔になってしまった。

灯りが見える。もうすぐで着く。
鳥居の前には人影が。豊受様だろうか。
後ろの彼女はまだ気がついていないよう。相変わらず僕の背中にくっついている。
そんな彼女に、もうすぐ着くよ、と言い、海を走らせた。

鳥居の前で海をとめた。
やはり人影は豊受様だった。僕の後ろにいる彼女を見て少し驚いている。
彼女も豊受様に気がついたようで、お母様、と、笑顔を見せている。

「ほ、蛍あんたって子は、、あぁあぁ、、ったく、、、薫くんごめんなさいね。わざわざ送ってくれて、、」

豊受様は困った様な顔をしてみせ、そのまま彼女の頭を撫でた。
僕は馬から降り、彼女も降ろした。

「いえいえ。大丈夫ですよ。気味の悪い草原で独りで居たので。無事で良かった」

彼女は僕の傍らから離れない。
豊受様はそれを見て、何か思ったようだが、只、笑みが深くなっただけなので悪い意味ではないのだろう。
いや、悪い意味も何もないのだが。
すると突然、豊受様が僕の着物を握った。
そして生地をまじまじと見つめ、言った。

「薫くん。どうしたのこれ。泥だらけじゃない」
「あぁ。ひょんなことで海から落ちちゃって。大丈夫ですよ。兄が術でなんとかしてくれます」
「そうね。ここまで染みてると洗濯でもなかなか落ちないし」

豊受様は彼女がバツの悪そうな顔をしたのを見逃さなかった。
あんた、何かしたんでしょ。と鋭く言い、彼女は素直に全てを伝えた。

「まぁまぁまぁまぁ。あんたって子は、、薫くんごめんなさいね。何から何まで。。」

僕はやっぱり、大丈夫です。と返し、彼女の頭を撫でた。
彼女は嫌という顔をせず、ただ受け止める。
すると彼女は、何か思い立ったように持っていた巾着袋を開け、何かを取り出した。
見ればそれは鈴だった。

「お母様!これ!水琴鈴っ病気治れって渋川さんがくれたの!お母様に!」

豊受様は病を患っている。
神が消える時によく起こるもので、発症すると力がどんどんと弱くなり、社を次の世代に回さなくてはならない。
豊受様は人望厚い。初代豊受大神だから当たり前なのだが。
なるほど。それで尾張の渋川まで守りを貰いに行ったのか。

渋川の祭神高御産巣日神は造化の三神の一柱。
様々な大役を終えて、『疲れた。大きい社は息子達にまかせる。私は小さい社でのんびり過ごしたい』と発言し、尾張の地に日本武尊の父の時代に留まった。
そんな彼の願い、のんびりと過ごす事は今のところ、あまり実現できているとは言い難い。
何故なら、伊勢の医者としての活動もしているからだ。
祈祷。治療。検診。祈祷。社の仕事。伊勢の仕事。祈祷。
彼の腕は神一とも言える。只少しメンタル面が弱いのがあれだが。

そう思うと、彼女はとても優しい子なのだなと思った。
伊勢から尾張まで、歩いてなら大分かかる。
術を使えば一瞬だが、彼女ぐらいでそれはまだ難しいだろう。
母の為に歩いて伊勢から尾張まで。
危険なところも少なくない。

「蛍、、あんたって子はぁ、、、」

豊受様の目に涙が浮かぶ。
当たり前だ。我が子が自らの為に隣の国まで出向いて、守りを貰ってきてくれたのだ。
病を患っている自らの事を案じて。

「だからお母様、早く良くなってね」
「えぇ、、っ」

僕はそんな二人から、離れるように去ろうとした。
場違いだろう。僕がいるのは。
だが、着物の裾が引っ張られた。

「待って月読様っ」

そのまま、抱き締められる。
まるで、逃がすものかと。言っているかのように。

「ありがとう、月読様。また、今度来てください。私、頑張ってご飯、作りますから」
「わかった。また来るよ。楽しみにしてるね」

僕はそれだけ言って、兄の社に向かった。
















「美しい方です。まるで牡丹の花の様」
「恋しちゃった?」
「はい、お母様」
「いいと思うわ。頑張りなさい。蛍」


牡丹の花の様な薫様。


次は、いつ来てくださるのでしょうか。
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