短編

□空より深い青に染まる
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―――コツ、コツ、コツ





階段をゆっくりと昇る私。

通いなれたこの階段も、この段数には慣れることがない。


おまけに今日は荷物も多い。


「はあっ、はあっ、」


(あと、ちょっとだ)



―――コツ、コツ、コツ





―――――ギィーッ


古びた音を立てるドアを押し開けた。



同時に広がる世界に、笑みがこぼれる。


夏の強い日射しとともに、心がスカッとするような、本当に真っ青な空を見ると階段を昇った甲斐があると思える。





「あ"ー、つかれた…」

よっこいしょ、なんて言いながら持ってきた荷物を地面に置いてそこへ寝そべった。


「やっぱり、屋上が一番だ」


誰よりも空に一番近いと錯覚するその場所で、仰向けになったまま両手を上に伸ばした。


そのままぐっ、と両手を握る。

当然空を掴むだなんてできるはずもないけれど、そうしたら何かが掴める気がしてついついいつもやってしまう。



「まーたやってんのかよ」


がばりと慌てて身を起こした。後ろを振り返ると

「あ、青峰君っ!」

空よりも深い青色をもつ男の子が貯水タンクの上からこちらを見下ろしていた。


「また来てたの?最近よくいるね」


そう、三ヶ月前くらいから彼は私が来るより先にここにいるようになった。


「まあな。ここにいれば、会いたいやつに会えるからな」


そう不敵に笑った彼に


「ふーん。青峰君にもそういう人いるんだね」


なんて返しながら持ってきた荷物の中からスケッチブックを取り出した。


それをパラパラとめくる最中、ここまで言ってもダメか、なんて聴こえたけど、意味がわからなかったから黙殺することにする。


「今日は、誰を描くんだ?」

なんていう少し拗ねたような響きをもった声に、悩みながらグラウンドを見渡した。


私が屋上に来たのは、絵を描くためだ。

風景のときもあるし、人のときもある。

そういえば風景のときはすっげー、なんて喜ぶ彼が、人を描いたときは少し不機嫌そうな顔になる。


(男の子って、謎だ)




最初は空ばかり描いてた私。

だけど屋上からふと地上を見下ろしたとき、真剣に部活に励む人達を見てふいに人を描きたくなった。


真剣な彼らの



無我夢中にボールを追いかける姿。


コンマ一秒の世界を争ってトラックを駆ける姿。


多彩な足技で到底真似できないようなドリブルを繰り出す姿。



ここから見える色んな姿に感動して、きらきらと輝く彼らを写真ではなく、このキャンバスの上に描きたいと思った。




「…んー、今日は…サッカー部の中山君かな」


一年生ながらレギュラー入りを果たしたという彼のサッカーは見ていてすごく楽しい。

練習でも妥協をせずにコートを常に縦横無尽に駆け回る彼には、自然と目が引かれるものがある。


だけどそう言うと


「ちっ、またあいつかよ」


またもや彼が不機嫌になった。


「何で?中山君のこと、嫌いなの?」


「…別に。………お前こそ、あいつのこと好きなのかよ?」


「………は?や、ちょっと待ってよ、どうやったら突然そんな話になるのよ?」

「…お前、よくあいつの絵描いてんじゃねえか」


そう言われて、少し考えてみた。

「……まあ確かに、よく描いてるような、気がしないこともない…かも?」

「ほらみろ」

「…うーん、だけど別に、好きとかそういうんじゃないよ。ただすごくきらきらしてるから勝手に目がいっちゃうだけ」


そう、特に深い意味はない。



「…なあ。お前、」


彼の発する言葉を、スケッチブックにシャッ、シャッと鉛筆を走らせながら聴いていた。

「んー?」


―――シャッ、シャッ、


「部活やってる奴を描きたいんだよな?」



―――シャッ、シャッ、

「んー、別に部活限定じゃないけど、そうだね、好きなことやってる人を描きたいな」


―――シャッ、シャッ、


「…いーこと思いついた。俺って天才かもしんねえ」


(また突拍子もなく…)


―――シャッ、シャッ、


よっと、という声がして、地面に着地したような足音が聴こえた。


私は特に気にせずに鉛筆を走らせる。


―――シャッ、シ


突然鉛筆が重くなる。


「…ちょっと、邪魔しないでよ」




正しくは、鉛筆を持つ右手を後ろから彼に握られた。


むっとしながら後ろを振り返ると、予想以上に近い距離に彼の顔があって


「、な、なに?」

なんてどもってしまった。


そんな私を見て彼は嬉しそうに


「ハッ、緊張してんのか?」

なんて言いながら鼻の頭が当たりそうになるぐらいまで顔を近づけてくるもんだからたまったもんじゃない。


「っ、ちょっ、どうしたのよ青峰君!?」


焦りながらも何とか言葉を繋ぐと、意外にも呆気なく彼は身体を引いた。


(び、びっくりした…)



「…なあ夕凪、いいもん見せてやるよ、荷物まとめろ!」

「は?私今、」

「いーから早くしろっ!」


そう言いながら彼は私の荷物をまとめて片手に持つと、もう片方の手で私の手を掴んだ。


「行くぞっ!」


「ちょっ、まっ、」


私の言葉なんて全然耳に入ってないみたいに、それでいて私でもついていけるギリギリの速さで手を引く彼。













(すごい、なあ)


行きは私の両手で必死に持ってきた荷物が、今は彼の片手に収まっているのを見て何だか複雑な気持ちにならない訳じゃないけど…


私の手を握る彼の手は、私のそれよりも随分と大きい。


やっぱり男の子って、すごい。









「……はあっ、はあっ。う、運動不足が身にしみる…」


屋上からここまで走っただけで、もう息切れしてる。


「…ねえ、ここって、体育館、」


言いかけた私の言葉を遮るように、彼がまた私の手を引いて体育館の二階へ上がった。


そしてベンチまで連れてこられて


「夕凪、ここに座って見てろ。目ぇ離すんじゃねーぞ!」

そう言いながら彼は階段を下りて行ってしまった。


そろそろ部活が始まる時間。

ちらちらと下からこちらを窺う視線を感じて、ひっじょーに居心地が悪い。


(もー、何だって言うのよっ)


ようやく部室から出てきた彼がボールを取りに私がいる場所の下の所まできた時に、気まずさに耐えきれず叫んだ。


「ちょっと!ねえ、どういうつもりよ?」


彼は人差し指の上で器用にボールを回しながら振り返ると、


「うるせーよ、黙ってみてろ。いーもん見せてやるって言っただろ?惚れさせてやるから、目ぇかっぴらいてちゃんと見てろよ!」

それだけ言うと遠くにいる赤い髪の男の子と短く話した後、何人かの人達とコートに入った。






「……今の……」


私の、聞き間違い?





胸がバクバクしてる。

(ほ、ほれ、惚れる…なんて)


公衆の面前でさらりと言われて、余計に視線が集まった。





(もう大人しくしていよう)



―――きっとただの、言葉のあや、だよね?

皆が惚れるぐらい良いものだから期待しとけ、って。





きっと、ただそれだけ。






一人であたふたしてる間に、試合の始まるブザーが鳴り響いた。


バスケのルールはよくわからないけど、全国クラスらしい帝光のバスケは素人目に見てもすごいと思った。


まず、一人一人の気迫が違う。


校内戦だというのに、ぴりぴりとした緊張感でこっちまで手に汗をかくぐらいだ。













――――言葉を、失った。



無意識にスケッチブックを広げると、鉛筆が踊るように動き出す。



試合が長くなればなるほどにわかる、彼の強さ。


鮮やかにゴールを決める青色がコートの中で一際輝いていて、まばたきの一瞬ですら惜しいほどに目が離せない。



思いもかけない姿勢、タイミング、方向から次々と放たれては、吸い込まれるように次々とリングをくぐるボール。


まるで手品を見ているようだ。










試合が終わる頃には、今までとは比べ物にならないぐらいの大量のスケッチが出来上がっていた。


一人の人をこんなにたくさん描いたのは初めてだ。



だけどすごく、わくわくした。



彼の輝きを、どれだけ絵に表すことができるだろうか。


(彼を、描きたい)



「っ、おいっ、夕凪!」


少し息を切らした青峰君が、いつのまにか階段を昇ってきてたみたい。


「ちゃんと見てただろうな?」


「うんっ!青峰君、すごかった!ほんとにほんとにすごかった!今までで一番かっこ良かった!!」


すごいとしか言えてないけど、他にどんな言葉も見つからない。


圧倒されるぐらい、本当の本当にすごかった。



「とーぜんっ!…惚れただろ?」



「うんっ!本当に惚れちゃいそうなぐらいかっこ良かった!」


そう素直に答えたのに、彼はまた肩を落として頭に手をやると、心底困ったように、ったく、これ以上どうしろってんだよ、なんて呟いた。



「……夕凪、」


彼は諦めたように息をつき、そして何かを決心したように口を開いた。


「な、なに?」









「俺は、お前が好きだ」





  
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