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□アイオライトに恋をして。
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『もう、お前とは遊ばない。さよならだよ、聖川』
『やだよ、おにいちゃんっ!待って、置いていかないでぇっ……!』

「おに――っ!!」

待って、何度もそう言って追い掛けるのに、目の前を歩くレンはどんどん遠くなっていく。
そんなレンに、どうにかして立ち止まってほしくて、大きな声で”お兄ちゃん”と呼ぼうとしたところで、真斗は目を開けた。

「……夢、か…」

真っ暗な視界は、先程見ていた夢と変わらないが、真斗が確かめるように右手をそっと動かすと、すぐに橙色をした髪の毛にぶつかる。そのまま細くて長い髪の毛に指を絡めると、その髪の持ち主が「ん……」と小さく身じろいだのが分かり、真斗はほっと息を吐いた。

レンと真斗が恋人という関係になってから早くも3ヶ月が過ぎようとしていた。だが、二人がここに辿り着くのに、どれほどの時間が掛かったのか。それは最早思い出すのも億劫なくらい長い月日だった。

大財閥の跡取り息子と、大財閥の三男坊。似ているようで全く違う立場を意識すればするほど、確執は大きくなっていき、それはもう幼い二人にはどうしようもできない程重たいものになってしまった。

だが、長いこと二人を包んでいた、まるで氷河期のような年月も、小さなきっかけで春の日差しが差し込むこととなる。

ここ、早乙女学園での再会、そして同室で1年間共同生活をしなければいけないという、何ともおかしな偶然の中の、忘れられない一コマ。

『…放っておけ…貴様の世話になるくらいならば、ここで今切腹した方がマシだ…っ』
『馬鹿だな。そんなフラフラになって何言ってんだ。さっさと食べろって』

それは春先の出来事だった。慣れない寮生活、多大なるストレスの原因との共同生活、学業での疲れが次々と真斗を襲い、酷い熱を出して倒れてしまった。

ふらふらしながらも、授業に出なければという使命感に駆られ、制服に腕を通す真斗を見かねたレンが、少々乱暴に布団へと押し込む。

勿論真斗は、人馴れしていない野生動物のように暴れたが、弱っている真斗を捻じ伏せることなど、レンには造作もないことだった。

『……いらん。腹は減っていない』
『お前が食べたいかどうかなんて聞いてない。食べないと、いつまでたっても薬が飲めないだろ。……それとも俺に、あーんってされたいわけ?』

学園内に設置されている購買部で買ってきた、インスタントの御粥を差し出すレン。食べたくないと首を横に振る真斗の顎を捕まえて、無理矢理こちらを向かせる。すると、目を若干潤ませ、気怠そうにでも必死に睨み付ける真斗と目が合った。

『ぷっ……お前、それで睨んでるつもり?全然、気迫がないんだけど…っ』
『なっ!?』

声を上げて笑うレンに、誰のせいでこんな目に遭っていると思っているんだ、と初めは頭にきたものの、ただ無邪気に笑うレンを見ては、段々と怒る気力も失せてきてしまった。それどころか、こんな表情で笑うレンを見るのはいつ振りだっただろう、だなんて考え始める有様で。

『……』

まるで、昔のように戻ったみたいだ。そう思った真斗の心に響いたのは、あの時レンから冷たく突き放された時から止まっていた時間が、動き出す音だった。電池を入れ替えた時計のように、一瞬一瞬を紡ぎだす音がする。

『……聖川?』

一頻り笑った後、自分の顔を見てボーっとする真斗に、おーい、とレンは目の前で手を振る。いよいよ意識も朦朧とするくらい熱が上がってきてしまったのだろうか、無意識に真斗の体調を気遣うレンの思考は、もう昔の”お兄ちゃん”そのものだった。

『……いや…何でもない……おかゆ、食べるからレンゲを貸してくれ』

手を差し出す真斗に、漸く食べる気になったか、と、レンも気分を良くする。

御粥を食べながら、レンと真斗は昔話をポツリポツリとしたり、冷戦期間だった時間を取り戻すように、色んな話をした。その時は珍しく、口げんかに発展することもなかったし、幼い頃のような酷く穏やかな時間が、2人を包む。

そんな、小さな風邪がきっかけで、レンと真斗は絆を段々と取り戻し始めた。以前よりも大分会話もするようになったし、互いの存在がストレスだとも思わなくなってきた。

きっとこのまま、昔のような関係に戻れるのだろうと、真斗が心の何処かで考えていた初夏の日、幼い頃とは違う、決定的な何かが芽生え始める。――そう、恋情だ。

何をしても、いつの間にかレンのことを考え、自然と目で追うことが増えて行く日々に、それまでまともな恋もしたことのなかった真斗は、どうしていいのか分からず、当然戸惑い、酷く悩んだ。

だが、それはレンも同じだったのだと、すぐに思い知ることとなる。

『俺はきっと今から、聖川を酷く混乱させると思う。だから、先に謝っておく。ごめん』
『…神宮寺?』

もうすぐ夏休みに入ろうとする頃、蒸し暑い室内からベランダに出て、二人で静かに夜風に当たっている最中、突然告げられた、レンからの謝罪の言葉。レンからの言葉に頭が付いていかないまま、曖昧に真斗が頷くと、レンはじっと真斗の瞳を見つめた。

射抜くような真剣なその瞳は、サックスを奏でるときの表情によく似ていて、本気なのだということが嫌でも伝わってくる。

『…俺は、聖川のことが、好きなんだ。これから残りの間、お前と同じ部屋で一緒に暮らすのは、正直辛い。だから、夏休みが入る前にこの部屋から出て行く』
『!』

苦しそうに表情を歪め、レンは再び小さくごめんと呟く。だが、当の真斗はと言えば、レンからの告白まがいな台詞に、必死に頭をフル回転させた。
レンが、この部屋を出て行くと言っている。何故?俺のことが好きだから。でも、俺も好きだと言うのに、出て行くのか?

真斗がレンへの気持ちの変化に戸惑っている間に、人より経験値の多いレンでさえも同じように戸惑い、悩んだ末、この部屋を出て行くなどという滅茶苦茶な答えに辿り着いたのだろう。

何だ、答えはこんなにも簡単に出ていたのではないか。俺たちは同じ気持ちだった、ただそれだけ。他には何もいらない。

『…馬鹿だな。何を勝手なことを言っている。それでは、俺だってお前のことが好きなのに、離れ離れで生活しなければいけなくなってしまうではないか』
『…お前と俺の思う好きは、多分違うよ』
『違う?それはおかしいな。俺は、お前を見るとこんなにも胸が高鳴って、こんなにも愛おしく思う。触れ合いたいし、沢山話もしたいと思う。この気持ちは、神宮寺の思う好きとは、違うのか?』

ほら、とレンの大きな手を引っ張って、真斗自身の左胸に宛がう。こんなにドキドキするのは、レンを見ているときだけ。こんなに愛おしいと思うのは、レンを想っている時だけ。それの何が違うと言うのだろうか。

首を傾げる真斗に、レンは堪らず空いている手で真斗を思い切り引き寄せた。すると、更に真斗の脈数が上がったのは、気のせいなんかではない。

『……っ…ひじり、かわ…』
『…思い止まってくれたか?』

真斗の言葉に、小さく頷くレン。そっと逞しくなった背中に真斗が腕を回せば、きゅっと宝物を抱き締めるように優しく抱いてくれた。

こんな風にレンから抱き締めてもらえる日が来るなんて、昨日までの自分には到底想像もつかなかっただろう。そう思ったら、何だかおかしくて真斗は小さく笑ったのだった。

こうして、夏の夜空一杯に広がる星空の下で、レンと真斗は晴れて恋人という新たな関係が追加された。

それから3ヶ月。こうしてレンのベッドで一緒に眠るのは、気付けば当たり前になってきた。

キスも数えきれない程したし、セックスだってした。全部全部、真斗にとっては初めての体験で、羞恥心が消えることは恐らく一生ないだろう。

でも、自らレンとだからしたいと思って、望んでそうなった。何も後悔などしていないし、これからもきっと後悔することなどない。

「……」

こんなに近くで、子供のような表情をして眠っているレンは、真斗のもの。それは間違えではないはずなのに、時々こんな風に酷い悪夢に襲われるのは、どうしてなんだろう?何かを指し示す暗示なのだろうか。

「……馬鹿だな、俺は…」

少なくともこんなにも幸せなのに、何を不安がる必要があるのだろう。ちゃんと自分を見失わずにしっかりしてさえいれば、この日々は続くに決まっている。だって、レンの恋人は真斗以外の誰でもないはず、なのだから。

まるで自分自身に言い聞かせるように真斗は心の中で、何度も得体のしれない不安を振り切るようにレンの好きな所を考える。暫くして漸く心が落ち着いたところで、再び布団に潜り込んだ。

「……おやすみ…」

無防備に晒されている、大きなレンの背中に小さなキスを贈って、真斗はそっと目を閉じたのだった。

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