*novel*

□〜大好きだよ〜 アルストロメリア
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今はただ、静かに。

いつかの涙も胸に抱いて。




【大好きだよ】




サワサワと微かに風が吹き、花瓶にいけられた花が揺れる。
小さな葉の揺れる音でサクラはふと顔を上げ、大きく開け放された窓を見た。


薄い青色に染まる空を切り取られた枠の中から見ていると、かつての旅の仲間達を思い出してしまい、思わず頬が緩んだ。


柔らかい風を受けていると何だか無性に窓の外が見たくなり、サクラは机に手をついて椅子からゆっくりと立ち上がる。
木材でできていて色は羽根のように真っ白なこの椅子は、長時間座っていても体が痛くならないようにと、サクラの為に造られたものだ。



杖を使って動かない右足を引きずりながら窓まで行こうとすると、そっと、後ろから手をとられる。


「小狼君・・・・・」


振り返るとそこにはお茶を煎れるからとキッチンに消えたはずの小狼が居て、大丈夫ですか、と優しく緩められた目がそう言っていた。


「天気がとても良いみたいだったから・・・―――お外の様子が見たくなっちゃって」


だから、大丈夫。
そうサクラが応えれば、小狼はふわ、と目許を和ませ窓まで一緒に歩き出す。サクラが転んでしまわないように、右手はサクラの手をとり、左手は腕を廻して腰
に添えて。


狭い部屋なので窓にはすぐ辿り着いたのだが、サクラは小狼の手を繋いだまま綺麗に掃除されている桟にもたれ掛かる。

椅子に座っていた時よりも一層風を感じられて、嬉しそうに目をつむった。
小さな声で「ありがとう」と言えば、小狼も静かに目を細める。



その時、ふと知らない気配を玄関の方から感じ、小狼は繋いでいたサクラの手をするりと離してそちらを見る。


「どうしたの?」


無邪気に首を傾げて問い掛けてくるサクラに小狼が返事をするよりも先に、扉の外に掛けてある呼び出し用のベルがカラン、と声を出した。


「すみませーん。隣に引っ越して来た者なんですがー」


若い女性の声だった。
殺気も感じられないことだし、小狼はようやく緊張の糸を解いて扉に向かう。


「はーい!今行きまーす!」


サクラが、にこにこと笑いながら、元気にそう言った。


「こんにちは。ご挨拶に来ました〜」


待たせてはいけないと急いで扉を開けた小狼に、女性はのんびりと応える。
おまけに、「このベル可愛いですね〜」と意味もなくカランコロンとベルを鳴らす。

まろやかな曲線を描くパールホワイトのこのベルは、「モコちゃんみたい」とサクラが気に入った為、備え付けのものがあったのだが先日購入したものだ。
陶器製なのか、普通のものとはちょっと違う優しい音で小狼も気に入っている。
サクラがつけた赤いリボンが、鳴らす度にふわりふわりと揺れていた。


「こんにちは。今日越して来たんですか?」


杖をつきながらゆっくりと歩いてきたサクラが聞けば「はい!」と元気の良い答えが返ってくる。こくこくと何度も頷いた為、サクラと同じ柔らかそうな栗色の長い髪が大きく揺れた。



この辺は住みやすいのかだとか二人だけで生活しているのかなど、おっとりとした唇から溢れる質問にサクラが全て肯定していると、女性は嬉しそうに笑っていた。

小狼が楽しそうに会話を続ける二人をほほえましい思いで横から静かに眺めていたら、女性が「それで、貴方は?」と突然話題を小狼に振ってきた。


急なことだったので小狼は一瞬だけ目をきょとん、とさせるが、すぐに苦笑して喉に手をあてた。
そのまま首を横に振る。


「え・・・―――?」


こちらもきょとんとした様子で小狼を見返す女性に、サクラちょっと眉根を下げて静かに言った。


小狼君は、声が出ないんです・・・―――



* * * *



何かあったら、いつでも声をかけて下さい。


そう、何度も言って女性は自分の家に帰っていった。
片足が不自由な少女に、声が出ない上に右目の見えない少年の二人暮らし。心配するのは当然だろう。



少しばかり陽の落ちた室内に戻り、サクラを椅子に座らせて小狼は再びお茶を煎れる為にキッチンに入った。


サクラの様子を見ようとしてほったらかしにしてしまった紅茶は良い具合に蒸れていて、これなら美味しいお茶を煎れられると小狼は揚々と次の手順に移った。






声は、サクラと二人で暮らし始めるにあたり、この家を得る為に次元の魔女に対価として渡したのだ。

誰か知る人も居なければ、誰にも知られていない世界で二人静かに生きる為に。


声を失くしたことを、小狼は後悔していなかった。

最初こそサクラも「わたしが」と言ってごねたものの、説得を続ける内に納得してくれた。



「サクラが動けない時に、おれの名前を呼べなかったら困るだろう?」



そう言えば、随分と間をおいてから、こくんと頷いてくれた。


それに日常の生活の中で困ることはなかった。



言葉にせずとも眼を見さえすれば小狼の言わんとすることがサクラには解ったし、唇の動きを見れば何と言っているのかもたやすく理解できた。


「ただ、もうわたしの名前を呼べないんだと思うと、ちょっと淋しいな」


声を失くした小狼に、サクラはいつだかそう言った。
すると小狼は、ずっと「サクラ」と唇を動かし続けた。

照れたサクラが「もういいよ」と言っても、何度も何度も呼び続けた。


サクラの大好きな、いつもの優しい笑顔を浮かべながら。






綺麗な琥珀色に染まった紅茶をサクラのお気に入りである、お揃いのティーカップに注ぎ、小狼はサクラの居るリビングへ戻る。

紅茶の甘い香りがふわりと部屋中に広がって、また窓の外を眺めていたサクラがぱっと振り返った。


「ありがとう、小狼君!」


カップを机の上に置くと、サクラがにっこりと笑ってお礼を言う。



それがとても可愛くて、小狼はついでの作業と言わんばかりの動作でサクラの頬に口付けた。

ちゅ、と柔らかい音がして、サクラの顔は一瞬にして赤くなる。
それを見ていた小狼は、サクラの隣の自分の椅子に座りながら今はもう声の出ない喉を震わせて笑う。



照れ隠しのように俯いて紅茶を啜るサクラがやっぱり可愛くて、小狼は堪え切れずに「サクラ」と呼んだ。

もちろん声は出ない。


それでもサクラはそれに気付き、まだ赤いままの顔を上げる。
淡いピンク色の唇が、紅茶で少し濡れていた。



愛し過ぎる少女の肩を抱き寄せて、今度は唇にキスをする。


そして、いつものように笑いながら、小狼は己の両眼に想いを込めた。








大好きだよ
(声なんか出なくても、想いは全て、伝わるから)




END
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