*novel*

□我愛イ尓
1ページ/2ページ



君の、その声で、その唇で、



【・・・――――】



「おはよう。または、こんにちは」

「に・・・にぃ、はぉ?」


いつもは静かな部屋の中に、もはやお馴染みとなったさくらの声が滲む。
すっかり冷たくなってしまった紅茶が、そのつど音に反応して波紋を生んだ。


「こんばんは」

「わん・・・しゃん・・・は・・・じぇん?」

「『晩上好(ワン シャン ハオ)』な。さよならの『再見(サイ ジェン)』とまざってる」


おかしな失敗にくすりと笑みが零れ、おれは手作りのテキストをペンでなぞりながら間違いを指摘する。
さくらは「はぅぅぅぅ・・・」と声を漏らしてノートに顔を埋め、机にへたり込んでしまった。


「ほら、頑張れ」


くたりと力を無くしている頭をポンと叩いて声をかければ、くるりとまるい瞳がおれを見上げる。


「頭がパンクしそう・・・」


集中力が切れたのか、すっかりしまりのなくなった顔が髪の間から覗いている。


「・・・少し休憩しようか。新しいお茶いれてくる」

「あ、私も手伝うよ?」

「一人で大丈夫だよ。お前はちょっと休んでろ」


寄って来たさくらの額を軽くこずき、肩を押してソファに座らせる。おまけとしてさくらが先日持ち込んだもふもふのクッションも投げて渡す。


そのクッションに頬を寄せながら、肌触りにはにゃーんとなっているさくらを見て再び口許が緩んだ。



* * * *



さくらが中国語を勉強したいと言い出したのは、つい最近のことだ。
なんでも、中国語でおれと会話をしたいんだとか。


おれもおれの家族も日本語を話せるのにかと聞くと、そういう問題ではないとぴしゃりと言われてしまった。
珍しく意気込んでいた気がする。

大道寺いわく、『乙女心は複雑なのですわ』とのこと。



しかし、さくらと自身の母国語で話すことができれば嬉しいというのも事実なので、その日から毎日放課後に主におれの家で勉強をしている。


先程のさくらの様子からすると、今日も長くなりそうだった。


甘い香が漂うティーポットの前で、おれは緩んだ頬を撫で付ける。さくらと居ると、どうも顔の筋肉が緩んでしまうのだ

さくらにか、おれにか、対象のわからないため息を一つついた。



* * * *


「じゃ、お前の誕生日は?」

「すー、ゆえ・・・いーはお(四月一号)」

「おれの誕生日は?」

「七月一三号!」


もたもたと指で数えながら自分の誕生日を言ったと思ったら、次の瞬間には随分と早く答えが来た。発音も正解に近い。


「今のは早かったな」

「うん!」


新しくいれた紅茶で申し訳程度に唇を濡らしていたら、さくらは満面の笑みを浮かべて小さく拳を作る。



そして「だって、小狼君のことだから」と、はにかみながら、そんな言葉がほろりと柔らかな唇から零れる。

紅茶のように甘い声にクラリとした。
照れたように眉を寄せて、制服のスカートの裾をいじっている動作の一つにも、酔ってしまいそうだった。



溶けた思考に押されてさくらの肩を抱き寄せる。


小さな悲鳴と軽い衝撃を残して腕の中におさまった存在を、たまらなく愛しく思う。


「・・・――――」

「ほえ?」


さらさらと指の間を滑り落ちる髪を撫でながら、真っ赤になった小さな耳に唇を寄せる。





そして、震える声で囁いた、大切な言葉。





「・・・・・?小狼君、今、なんて――――」

「・・・宿題」


きょとんとした顔でおれを見上げるさくらを見て、ちょっとしたイタズラ心が生まれてしまったんだ。
だから、


「宿題。・・・明日までに調べておいてくれ」

「えぇぇぇ・・・?も、もう一回言ってくれない?」


可愛いお願いが嬉しくて、だけど少し恥ずかしくて、照れ隠しにさくらの髪を撫でる。

そのまま蜂蜜色の髪を一房持ち上げて、毛先に軽くキスをした。



再び赤くなった頬にも口付けて、請われた言葉をもう一度、





我愛イ尓
(「愛してる」と、もう一度。)




END
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ