*novel*
□大事なものは目蓋の裏
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いつか視る夢の前に
感じたい
共に在るという全てを
【大事なものは目蓋の裏】
それは、中庭の木の下、他愛のない昼食時のおしゃべりでのこと。
「ねぇ、小狼とのキスってどんな感じなの?」
「・・・え?」
海ちゃんに「サクラ、」と名前を呼ばれ、返事をする間もなくそんなことを言われた。思わず食べようと口許に運んでいた卵焼きが箸から零れ、スカートの上にぽとりと落ちる。
もったいないなぁと思いつつも、その黄色いおかずをつまみ上げてお弁当箱の蓋に置いていると、おにぎりを咀嚼していた光ちゃんが声を出した。
「急にどうしたんだ?海ちゃん、さっきまでずっとフェンシング部の話をしていたじゃないか」
頬に白い米粒をつけ、まるくて可愛い瞳を更にまるくして聞く光ちゃん。
隣に座っていた風ちゃんがくすくす笑いながら米粒を取り、そう言われた海ちゃんはうーんと唸る。
確かについさっきまで、海ちゃんは自身の所属しているフェンシング部について熱く語っていた。全国大会までもう時間が無いとのことで、部活の練習がいかに大変で、けれども絶対に結果を残してみせると手にしていたサンドイッチを握り潰す勢いで話していたのに、ふと視線をどこかに泳がせたかと思ったら突然あの台詞だ。
「ん〜・・・特に意味は無いんだけど、ちょっとね」
そう言って長くて綺麗な髪の毛を小さく風に揺らしながら、ある方向を指で示す
。
つられてその先を仰ぎ見れば校舎があり、そして、
「あ、小狼君だ」
ひょこりとわたしの肩に手を置いて、光ちゃんがわたしの抱いた言葉と同じ発言をする。
「先生とのご用事は終わったのでしょうか?」
「そうみたいだね」
眼鏡の縁に指をあてながら、疑問を口にした風ちゃんに同意する。
視線の先には遠い二階の窓越しに立つ小狼君。突然先生に呼ばれてしまい、今日は一緒のお昼は無理だからと久しぶりに三人と食べていたけど、こんな拍子に顔が見れるだなんて。
(ちょっと嬉しいかも・・・・・)
その時、わたし達四人の視線を感じたのか、先生と話していた小狼君がふいにこちらを向いた。
わたしに気付いたとたんに真面目な調子だった顔が緩み、両の瞳を優しく細めて小さく手を振る。
わたしもつられて微笑みながら手を振り返すと、先生が面白そうに笑いながら小狼君に何事かを言った。
小狼君の頬がほのかに赤くなったけど、確かに頷きながら返事をして、それを聞いた先生は肩を揺らしながら大きく笑い、小狼君の背中をバシバシ叩いてから歩き出す。
もう一度だけ手を振って、小狼君は先生に着いて小走りに去っていった。
「仲良いわよね〜、あんた達」
「うん!仲良しだよね!」
「本当に仲睦まじいですわ」
小狼君の背中を目で追っていると、海ちゃん達に口々にそう言われてしまった。
「そ、そうかな・・・?普通だと思うけど・・・・・」
「普通じゃないわよ!・・・それで?」
「え?」
なんだか今の出来事でお腹が一杯になってしまって、もそもそとお弁当箱を閉まっていると、瞳を好奇心できらきらさせた海ちゃんが身を乗り出す。
「だ・か・ら!小狼ってどんな感じのキスするの!?」
「わかんないよ〜!!」
そうな風にじゃれていると、あっという間に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響いたのであった。
* * * *
「それで、これが助動詞だから―――」
さらさらと教科書を手にノートにシャーペンを走らせ、小狼君の説明は続く。
放課後に小狼君の家にお邪魔して勉強を教えてもらっていたけど、私の頭は英語とは全く関係のないもので埋め尽くされていた。
お昼に言われた言葉がぐるぐると回っていて、せっかくの小狼君の説明も右から左に流れるだけ。
どうしても集中できない。
(きす・・・・・)
知らないうちに小狼君の唇を見詰めていた自分に気付き、急いで視線を逸らす。
けれど幾分もしないうちに意識はまた宙に溶けて、ぼうっと再び唇に目を奪われる。
彼の唇は重ねるといつだって柔らかくて、熱っぽくて、言葉を紡ぐ薄い唇からは時折ちらりと白い歯が覗いて・・・―――
「これは仮主語だから、本当の主語は文章の後半の―――・・・サクラ?」
「・・・・・」
「サクラ?」
「・・・・・え、あ!うん、なに!?」
小狼君がいつの間にかこっちを見ていて、慌てて返事をする。
変に大きな声を出してしまったから、小狼君は不思議そうに眼を瞬かせていたけど、ふいにいたずらっぽく口の端を上げる。
「今日はなんだかずっとぼんやりしてたけど、どうしたんだ?おれの顔に何かついてる?」
「そ、そういう訳じゃなくて・・・!えっと、その・・・―――」
つん、と自分の頬を指でさしながらそう言われ、反応に困るわたしを見て、にっこりと笑う、彼。
(う・・・イジワルなかお・・・・・)
旅をしていた時は見たことのない笑顔を浮かべながら、「じゃあ、なんでだ?」と聞かれて、わたしの頭はパニック寸前になっていた。だから、言っちゃった。
「しゃ、小狼君!キスして!!」
「え?」
叫ぶように言ってから、自分が何を言ったのか気付き、顔から火が出る勢いで赤くなった。思わず顔を手で覆って俯く。
「や、やだ、わたしったら何言って・・・―――」
「・・・・・」
わたしの言葉に意地悪そうな笑顔も消えて、ぽかんとしている小狼君。
言いたい事や聞きたい事がごちゃまぜになって、順序も狂っての唐突な発言だったんだから当然だ。
恥ずかしくて仕方がなくて、ぎゅっと目をつむっていると、突然小狼君の指が顎に伸びて、そのまま顔の向きを変えられる。
一瞬の間も無く重なる唇。
驚いて眼を開けると、そこには身を乗り出してわたしにキスをする小狼君の顔。
しっかりと閉じられている瞳をただただ見詰めていると、ゆっくりと隠れていた琥珀色の眼が現れて、それと同時に顔も離れる。
「キス、して欲しいんだろ?」
「!しゃお、」
腕を引かれて抱きしめられ、再び唇が重なり言葉も飲み込まれる。
ほんの数秒程度重ね合わせただけの先程とは違い、今度のキスはすごく長く感じた。
背中に回された腕に、苦しいくらいに抱きしめられて、わたしも無意識のうちに小狼君の服に指を絡める。
頬が上気するのを感じながらうっすらと眼を開くと、小狼君は眼をつむっていて、微かに睫毛が震えているのが分かった。わたしが眼を開けているのに気付いたのか、再び静かに琥珀が現れる。
弱々しく視線が絡まり、発熱反応でも起こしたかのようにじわじわと熱くなる互いに我慢ができなくなって厚い胸板を押すと、触れるか触れないかという程度に離れる熱源。
小狼君の唇からは、震えるような、そっと熱い息が零れて、熱っぽい吐息にわたしの唇が撫でられたようで。躯だけではなく心の芯まで震えた。
思考は溶けて、何度目かの伏せられた瞳につられて目蓋を下ろすと、また、熱い燃えるような口付け。
小狼君の柔らかい髪の毛先が額にかかり、ちょっとくすぐったくて身をよじらせるとすべらかな手が頬に添えられる。
頬を滑り、そのまま髪を撫でる手は、どこまでも優しい。
酸素を求めて口を開けばその隙間から熱いものが口内に侵入して、全てを掬い上げるような感覚に浸る。
重ねた唇も、触れ合う指と肌も、頭の先から爪先まで。
全てが溶けてしまいそう。
* * * *
「満足した?」
いつの間にか膝の上に座らされて、わたしの髪に指を通していた小狼君は、にっこりと笑いながらそう言った。
わたしは調度今日の昼休みに皆と話したことを説明し終えたところで、何に満足したかなんて主語が抜けていても分かる。
「今日の小狼君、なんだか意地悪だよ・・・」
「意地悪・・・か。そうかもな」
目を合わせていられなくて、ぽふりと彼の胸に沈むと、頭の上からはくすくすと楽しそうな声が降る。
「今日のサクラは、いつも以上に可愛いから」
ぎゅっと額を彼の胸にくっつけながらその声を聞いていたけど、ふとあることを思いつき、顔を上げる。
「そういえば、小狼君ってわたしとキスとかする時、いっつも眼を閉じてるよね」
「・・・そうか?」
年相応に幼さを残した顔に疑問を浮かべた小狼君は、「そうかも」とぽつりと零す。
なんで?とわたしが尋ねれば、小狼君はちょっと考え込む様子を見せた後、そっと自身の右眼に触れる。
「―――あの頃の・・・」
「?」
「右眼が見えなかった頃の、名残かな」
そう言って、眼の端をふわりと滲ませながら微笑みを浮かべる。
「名残?」
「ああ」
そしてわたしの両目を手で覆う。
真っ暗で何も見えないけど、小狼君が嬉しそうに笑っているのが、気配で分かった。
あ、と思った時には唇が触れ、ぱっと視界を覆っていた手ごと離れる。
照れたように頬を染める小狼君は、はにかみながら、何度も重ねた唇から言葉を紡いだ。
大事なものは目蓋の裏
(見えない方が、感覚全てで、君を感じられるから)
END