*novel*
□*Birthday 4/1*
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本当の夢。
共に生まれたこの日に、もう一度、
【優しい夢を】
暗い空に数多の星がきらきらと輝いていた。
サクラはそれをベランダから見上げており、ほう、と吐息を漏らす。その瞳はどこか焦点が定まっておらず、夢でも視ているかのようにとろりとしていた。
「サクラ姫…まだ、起きてますか?」
トントンと控えめなノックの後に聞こえたのは、姫の恋しいひとの声。
その小さな声にハッと意識を戻し、サクラは慌ててドアノブを捻る。扉を開けば、そこには夜遅くにも関わらず普段着のままの小狼の姿が。
「小狼君、どうしたの?」
「いえ…少し、眠る前にお話でも…と、思いまして…」
いつにも増してよそよそしい口調の上に心なしかそわそわとした様子の小狼にサクラは首を傾げるが、すぐに身を引いて部屋の中に迎え入れる。
「今日は楽しかったね」
2人でベッドに並んで腰掛けたところで、サクラはほんのりと頬を染めてそう言った。対する小狼も「そうですね」と優しく笑って応える。
今日は、四月一日。
小狼とサクラの誕生日。
そのため、朝から大騒ぎだったのだ。
まだ途切れ途切れの記憶しか戻っていないサクラにしてみれば、誰かに生まれてきたことを祝ってもらうというのがとても遠い出来事で。
だから、相当嬉しかったのだろう。
その証拠に、いつもなら既に夢の中という時刻になった今でも、起きて余韻に浸っていたのだ。
次々と今朝からの出来事を追って話すサクラを見つめている小狼も、それは同じ。
今日という生きている証をいとも容易く創ってくれた愛しい少女と、その日を過ごせたのだから。
「そういえば、凄かったね」
「え?」
「黒鋼さんからのプレゼント」
「あぁ…」
クスクスと笑っているサクラに反して、小狼は妙に引き攣った笑顔を作る。
それもそのはず、小狼が黒鋼に貰ったものは、実に反応に困るものだった。
『お父さんとお母さんからのプレゼントだよ〜』とご機嫌のファイはサクラに、不本意そうに唇を真一文字に結んだ黒鋼は小狼にプレゼントを渡したのだが…
「まさか、誕生日プレゼントにダンベルを貰うとは…思いませんでした」
「そうだよね」
小狼が黒鋼に貰ったのは、群青色をしたダンベルだったのだ。
再び、クスクスと鈴を転がしたような愛らしい笑い声が月明かりのみのほの暗い部屋に響く。
黒鋼にしてみれば、脚力には目を見張るものがあるのだから腕力もそれにつり合わせろ、という心配りだったのだろうが、筋トレグッズを誕生日に貰って喜ぶ者がどれほどいようか。
少なくとも、今まで通りに蹴り技中心というわけにもいかないな、と思っていた小狼でも素直には喜べないのが現状。
『黒ぽん、自分の欲しいものあげちゃ駄目だよー』
ファイのいつものへにゃりとした声が、小狼の耳の奥に甦る。
そんなことを言われて黙っている黒鋼ではないので、今にも蒼氷を手にしそうな彼に慌てて「ありがとうございます」と言った小狼の何と健気なことか。
「姫は、ファイさんにバラの花を貰ったんですよね」
「うん!机の上に飾ったの!」
話の流れを反らそうと他の話をしだした小狼だが、サクラはそんな意図に気付かずに嬉しそうに応える。
『女の子にはやっぱり花でしょうー』と言ったファイがサクラに渡したプレゼントは紅い薔薇の花束で、受け取るサクラの隣に座る小狼のところにまで鮮やかな芳香が届いたほどだ。
「そういえば、姫と同じ名前の桜の花も、あの花と同じバラ科なんですよ」
「え…?そうなの?知らなかった……」
開け放したままの窓から微かに覗く桜の樹。時折、風に乗って花びらが部屋の中に入ってくる。
その桜と、次いで机の上に活けられた紅薔薇を指差して小狼が言うと、サクラはぽかんと口を開いて小狼の指先を目で追う。
「全然似てないのに、不思議だね」
「この間読んだ本には、棘の遺伝子を失くした花、と書かれていました」
今も変わらないで同じなところと言えば、魅入る程の美しさ、でしょうかね、なんて少しばかりロマンチックなことを言った後、小狼は「でも、」と続ける。
「おれは桜の方が好きですけど」
柔らかい色とか、優しそうなところとかが。
月の光にのみ照らされた小狼の横顔は、やさしくやさしく微笑んでいて。
そんな彼のどこか可愛くて、柔らかく緩んだ顔を真横からバッチリと見ていたサクラは、「桜が好き」という言葉が自分に向けられているような気がしてしまって、思いっきり顔を赤くした。
ボフン、と効果音の付きそうな勢いで。
「サクラ姫?」
どうかしましたか、と顔を真っ赤に染めるサクラに気付いた小狼が問いかければ、サクラはテレのあまり声が出せず、金魚のように口をパクパクとさせるだけだ。
小狼は一体どうしたのか、と考えを巡らせて先刻までの会話を反芻し、すぐに自分の発言が原因だと気付いてこちらも派手に頬を染める。
「す、すみません!」
「ううん!わたしこそ!」
真っ赤になった2人は同時に顔を体ごと背け、少しばかり気まずい空気が流れる。
互いに、相手に自分の心音が聞こえてしまうのでは、と心配してしまう程に、胸の鼓動を激しくさせながら。
しかし、ここで小狼が「あ、」と小さく声を漏らす。
「? なに?」
「少し、待っていてください」
未だに赤い頬を両手で覆いながらサクラが首だけ巡らせて聞けば、小狼はほんの今まで赤面していたことも忘れてしまったような声で返事をして扉に向かう。
また、目が合ってしまいそうだった為、サクラはパッと視線を元に戻す。
小狼が開いたのであろう扉の軋む音が、酷く耳に響いた。
扉の開閉音にも、彼の静かな足音にも、いちいち反応してしまう。
堪え切れずに傍にあった枕をぎゅっと抱きしめていると、姫、と大好きな優しい声で呼ばれ、サクラはそろりそろりと振り返る。
すると…-----
目の前には、鮮やかな色遣いの模様が施された大きな袋が。
呆気にとられたサクラが見つめる中、小狼はシュルリと巻いてあったリボンを解く。すると、中からは、つぶらな瞳をした真っ白なクマのぬいぐるみが顔をだした。
「これ…?」
「お誕生日おめでとうございます、サクラ姫」
ふかふかの柔らかいぬいぐるみを渡され、サクラは思わず枕を放してそれを抱きしめる。
先刻までずっと小狼が抱きかかえていたのか、ほんわりと彼の香りがして、微かに赤みの残る頬が自然と緩んだ。
「ありがとう」と、少しくぐもった声のお礼に、小狼はにっこりと笑って応えた。
「すごく可愛い…それに、不思議な眼をしたコだね」
「瞳はアレキサンドライトという宝石らしいです。太陽光の下では暗緑色だったりと、光源によって色が変わる石らしいです」
得意の豆知識(?)を繰り広げる小狼の隣で、サクラは嬉しそうに顔を綻ばせて頬を寄せている。
まさに夢見心地、といった風に。
「あっそうだ!」
「え?」
何かを思い出し一気に夢の中から戻ってきたサクラは、少しばかり大きな声をあげる。
疑問符を浮かべる小狼に「ちょっと待っててね」と言ってベッドから立ち上がり、パタパタと駆けて部屋に備え付けであったキャビネットから深碧色の紙袋を持ってくる。
「あの…これ、わたしからの……」
「え…おれに、ですか?」
口元を押さえながらモゴモゴと言うサクラに半信半疑のまま問えば、小さく頷かれた。栗色の柔らかそうな髪も、ぴょこりと跳ねる。
「これ……」
紙袋から顔を出したのは、ふくふくとしたまあるいほっぺの男の子が描かれている、この国の絵本だった。
「この本はね、昔からこの国に伝わっている童話の絵本なんだって」
本当は、歴史書とか遺跡の本にしようと思ったんだけど、と言っているうちに、サクラの言葉はどんどん尻すぼみになっていく。
実際、サクラはそのつもりで意気揚々と本屋に向かったのだ。けれどモコナが一緒に居たとしても文字が読めるようにはならない為、この国の文字が読めないサクラはどの本がそういった類のものか全く分からなかったのだ。
そんな、途方にくれている時に見つけたのだ。
この、絵本を。
やっぱり文字は読めないのだけれど、淡々しい色合いの中に繊細な筆遣いで描かれていたイラストに、すっかり惚れ込んでしまったらしい。
「わたしは挿絵でしかこの本を読めなかったんだけど、それでもお話の流れはなんとなく分かって…」
両の指先を合わせて訥々と話すサクラを微笑ましい気持ちで見ていた小狼だったが、その心地良い声を耳にしつつ絵本の頁をめくる。
亡くしてしまった大切なヒトを思い出の花に重ね、毎日をその花の世話をして過ごす少年の物語。
最後には、少年の夢の中にその花を抱いた亡きヒトが現れて…---という、どこか切ない、優しい物語。
おれの為に困らせてしまったな、なんて思いながら、小狼はそれが自分だけの為だったとのだと思うとついつい嬉しくなってしまう。
明るい月夜の中、2人腰を並べて絵本の頁を追っていく。
桜の花を抱いた少女が笑う、最後のページまで。
優しい夢を
かつて夢見たものとは違っていても
君が居れば
それが しあわせ
『優しい夢』…fin