月下香は夜香る

□本編
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夜に香るは月下香。その香りを嗅いだ者は、一生囚われたまま。


蕾  開花時 

月下香の蕾。


亥の刻。足のつま先にまで神経を尖らせ、床がみしりと音を立てない様に慎重に目的の場所まで歩いて行く。奴らは気配に鋭い。勿論私だって気配を消すのは長年の特訓の甲斐もあり得意だけれど、考えてもみろ。予想外の事に驚いて声を上げてしまうかも知れない。気付かれたら私の人生はお終いだ。歌舞伎の様に綺麗な終わりなど到底得られまい。こんな所で人生を終えるなど、絶対に嫌だ。ならばこんな事しなければ良いのにと言われそうだけれど、仕方ない。もう自分で決めた事なのだ。武士たるもの、自分自ら言った言葉に二言は無し。それは私が女であっても、然り。だから必ずや任務を遂行してみせる。そう自分自身に、自分の為に誓ったのだ。
私は息を殺して、周りに何の気配も無いかを探る。こうも静まり返った夜は、どんなに些細な、例え呼吸の音であっても大きく聞こえる。こんな時蝉でも鳴いて居てくれれば、多少の雑音など掻き消されるのに。
そう言えば蝉の命はたったの一週間だ。地中から出てくる前は七年もの月日を地中で過ごすらしいけれど、地中から出てたったの一週間ですべき事を終え、息途絶えるなんて、とても儚い。けれど、そのたったの一週間で交尾と産卵を済ませてしまえる事に、私はとても驚く。あの小さな体に比例し得ない程の大きな声で、雌を求めて鳴く。きっとそれに全身全霊をかけて居るんだろう。蝉の何十倍も大きい人間ですら、あれ程の大きな声を張り上げて女を求める事など、到底出来ないだろう。
私なんてもう十何年、二十年近く生きて来たけれど、未だに自分のなすべき事すら見つかって居ない。ただ今を、その場その場を生き抜く事しか、昔も今も頭に無い。誰かが言って居た。人は一人では生きてはいけないと。確かにそうだ。私には今、両親と呼べる人は居ないけれど、けれど確かに私には両親が居たのだ。両親が居たからこそ、私は今こうして生きている。元を辿ってしまえば、一人で生まれる事など出来ないのだ。初めから与えられたものをどうして途中で捨てる事が出来るだろう。それは私の意志では無かったにせよ、それを選んだのは私であり、私じゃない。確かに私はたくさんのものを捨てて来た。けれど同時に得たものもある。それが大切であればある程、私はしがみ付く。相手の事など考えもしないで。だから今こうして私は生きている。
思考を一旦止めて、もう一度息を呑んで気配を探る。良し、今だ。この機会を逃せば私はあの世行きだ。だけどそんなのは御免だ。
何故こうも危険を冒してまで、その任務を遂行しようと心に誓えるのか。それは、それを遂行すれば、後に待っているものがいかに甘美であるかを理解しているからだ。努力した分だけ、それは自分に返って来る。そして私は危険と言うものを楽しむほんの少しの余裕すら持ち合わせて居る。そして遂行出来れば、してやったりと思うのだ。こんな私にも出来る事があるのだと、自信を得る事すら可能なのだ。
私はそっとその障子を開け、目当ての物を見付ける。それを誰にも知られずに持ち帰る事が、今日の私の任務だ。大きな一升瓶。この中に何が入って居るのかを、私は知っている。
「良し、今日の任務完了。」
「ふうん、何の任務?」
「!?!?!?」
聞こえる筈の無い音。耳元で聞こえた事、そして次の言葉が紡がれない事から、その言葉は私のみに向けられている事になる。私は思わず素っ頓狂な声を挙げてしまう。それはもう蝉にも負けないくらいの大きな声で。私が口を開けて金魚の様にぱくぱくとさせていると、目の前の笑顔を張り付けた男が私に再度問う。
「こんな夜に、一体勝手場に何の用?##NAME1##ちゃん。」
私のこの状況を見れば、そんなの一目瞭然だろう。なのにわざわざそんな事を聞く性悪な男は、この世の中で私は一人しか知らない。私は何と言おうか迷う。そして私の持って居るものに視線をちらりと配り、ふうん、と意味深な言葉を発した。私の名前をちゃん付けで呼ぶ時は、相当怒って居る時だ。
「僕の買ったお酒、勝手に呑もうとしてたんだ?良い度胸してるじゃない。よりによって僕のを盗もうとするなんて。」
「あ・・・・ああ・・・・。」
もう間抜けな声しか出て来ない。私は目の前の未だ笑顔を貼り付けて居る男、沖田 総司を只々恐怖の眼差しで見つめるばかり。そうだ。この男は新選組一と言っても良いかも知れない程、気配に鋭く、また消す事も上手いんだ。だけど、だからってどうして此処に居るの?
「どうしてこういう悪知恵ばかり働くかなあ。新選組副組長の名が、泣くよ?」
それは私よりも寧ろ貴方の方に言えるんじゃないでしょうか。何時も隊務そっちのけで子供たちと遊んだり、お菓子を食べまくったり、副長に悪戯をしたりしている貴方が、私にそれは言えないんじゃないでしょうか。そうは思ったけれど、今この状況でそんな口が叩ける程、私、強くない。
「ま、いいや。それはそうと、一体どんなお仕置きしてやろうかなあ。君って意外と自虐的だよね。変態。」
楽しそうにそんな事を言う総司。ま、不味い・・・・!まさかよりによって総司に見つかってしまうなんて!##NAME2## ##NAME1##、一生の不覚!!そして任務遂行ならず・・・・。
でも、変態呼ばわりされる覚えは無い。もしかしなくても総司の方がずっと変態だ。
だけど今の自分の立場でそれを言うと、より悪い立場になる事を知っている。だから言わない。心の中で思っておく。
どどどどどうしよう。これならいっその事、腹を詰める方が自分にとって幸せかも知れない。だって総司だぞ、あの沖田 総司だぞ。大事な事だからもう一度言うけど、あの沖田 総司がお仕置きなんて不吉な言葉を口にしているんだ。切腹を命じられるよりきっと絶望的で屈辱的な思いをさせられるに違いない。ああ、今日は私、運が悪かったんだな。
「ご、ごめん!許して総司!もう絶対にしないから、今回は大目に見てよ!」
「何言ってるの。今君を斬り付けたりしないだけ、僕はとても優しいし、許してあげてるじゃない。良かったね##NAME1##。僕が寛大な心の持ち主で。だけどお仕置きの件は別。まあ##NAME1##がお仕置きされるの好きならご褒美になっちゃうけど、ま、良いよね。あーなんて僕って優しいんだろう。神様みたいだよね。それじゃあ僕の部屋においで。」
まずい、まずいぞ私・・・・!私よりも数倍大きい手にがっちりと手首を掴まれ、ずんずんと歩いて行く総司。それに引っ張られてもたつきながらも歩くけど、このままじゃ本当にまずい事になる。うわわわわわ、どうしようどうしようどうしよう。誰か・・・・!!
と心の中で叫んだ途端、襖から誰かが出て来た。総司は出て来た人物を見るなり、貼り付けて居た笑顔を更に深いものにする。
「総司・・・・に##NAME1##か。何故此処に居る?」
「別に此処に居たわけじゃなくて、通る寸前にはじめ君が部屋から出て来ただけだよ。これからね、僕の部屋で良い事するんだ。はじめ君は入れてあげないよ。」
「は・・・・はじめ君助けて!いや悪いのは私なんだけど、でも助けて!」
そんな私の必死の縋り付きに、はじめ君ははあと溜め息を吐く。またくだらない事をしたのか、とでも言いたげな呆れ顔(彼の表情の変化はそこまで無いけれど、多分今の表情は呆れを出しているんだと思う。)で。
「こいつの事だから、必死に許しを乞うたのだろう?解放してやれ、総司。」
「はじめ君、何が起こったのかも知らないのに解放してやれ、だなんて、ちょっと勝手過ぎない?はじめ君、##NAME1##にだけ優しいよねえ。」
含みのある言葉だと思う。けれどそんな安い挑発に乗るほど、はじめ君は馬鹿では無い。
「そういう訳ではない。何があったのかは知らぬが、あんたは元より三倍返しが基本だろう。必死に許しを乞われたのなら、今回は許してやったらどうだ。##NAME1##はまだ子供だ。」
子供だ、って言うはじめ君だって、そんなに私と歳が変わるわけじゃないのに。でも今は庇って貰っている身。何も言い返せない。私は歯を食いしばって、何か口から出て来てしまいそうな言葉たちを飲み込む。
「ふふ、ってことは、##NAME1##は自虐的って事だよね。それを分かってて、僕が楽しみにしていたお酒を盗もうとしたんだから。悪い子。」
うう・・・・はじめ君、今度こそ思い切り呆れた顔をしてる・・!そうだよね、これじゃ庇い様がないよね。折角助け舟を出してくれて、いくら頭の良いはじめ君でも無理だよね!ああ、そうか、これは神様が私に与えた罰なんだ。調子に乗って人のものを盗もうとするから、浮かれた私に神様が罰をお与えになったんだ。
「分かったわ、腹をくくる。煮るなり焼くなり、好きにしたらいいじゃんか。」
「うん、良い子だね、##NAME1##。こんなに良い子なのに、なんでわざわざお仕置きを受けたがるのかなあ。」
総司の頭の中では、私が彼の良い様に踊らされて居るんだろう。それを考えてさも楽しそうにくつくつと喉の奥で笑う様は、猫が獲物を見付けて舌なめずりをする様とそっくりだった。
私は後悔する。どうして総司のお酒に手を付けようなんて思ったのか。そんなの至極簡単。だって美味しそうだったんだもの。だけど私が総司に素直におねだりをした所で、彼が素直に良いよ、なんて言うわけないんだ。そもそもそんなの総司じゃないし。少しでも自分に良い方向に向かう様に、そういう事に関してとても長けている総司は、
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