シャチ中編

□黄昏に暮れて #7
1ページ/1ページ

ねぇお母さん、何でお母さんはいつも白い花ばっかり植えるの?

『ふふ…そうね。他にも綺麗な色の花は沢山あるけど、でもね…』

でも…、何??

『白は何色にも染まるでしょう?お母さんはね、この庭の花達がイチョウと夕陽の色に染まって黄金色に輝く瞬間が…大好きなのよっ。』

ハハ…そうだよね、綺麗だもんねっ

『でも、もし他に植えたい色があるなら言ってね。名無しさん専用の大〜きな花壇を隣に作るよ!』

うんっ、考えとく!

白は何色にも染まる
例えば血の赤にも

そう感得したのは
五年前のあの日だった…



ガダガダ…ッッ

その日は泊まり客がなく、ご飯もお風呂も早々に済ませた名無しさん達は、いつもより早い時間に其々の部屋に入っていた。

「おい、何か物音が…」

そんな中、ロビーから響いた異音に名無しさんの両親が顔を見合わせたのは、日付けが更新されたばかりの午前0時過ぎ。当時16歳の名無しさんが二階の部屋でぐーすかと寝息を立て始めた頃だ。

「見てくる…お前はベッドの下へ。」

「待ってっ、行かないで……」

「大丈夫だ、狸か何かだろう…だがもしもの時はすぐに名無しさんを連れて屋根裏へ。…いいね?」

名無しさんの父親は釜を手に一人、寝室を出ていった。引き止めたくも宙を掴んだ母親はぐしゃりと顔を歪ませながら、とにかく言われた通りにベッドの下へと潜り込む。

そうだ、きっと腹を空かせた狸、あるいは熊が宿の冷蔵庫を荒らしに訪れた。それだけの話、それが普通だろう…この平和な島では。

だけど、恐い

「あなた…っ、名無しさん…っ」

独裁国家で知られるとある国の王族であった名無しさんの母親は、親が当てがった婚約者ではなく、使用人として城に仕える男と恋に落ちそして駆け落ちをした。

それが名無しさんの父親であり、命辛々二人がこの島に流れ着いたところを偶然見つけ、親身に世話をしてくれたのがケイおじさんであった。

ひっそりと人知れず始まった新しい生活は間もなく名無しさんという宝も授り、小さいながらも島の端に宿も持って、毎日が笑顔に溢れるそれはそれは幸福な日々で。

「お願、いっ…神様…っ」

やっと見つけた幸せが、ささやかながらも優しいこの小さな幸せが、しかしある日突然奪われる…

国を出て17年経った今でもそんな悪夢に魘される事が絶えない母親は髪を毟る勢いで頭を抱え、振動で床が音を立てるのではと案ずる程にガクガクと大きな恐怖に震え続けていた。


「っっ…‼逃げ、ろ…っ…っ…!!」


そこで、ロビーから耳に届いた鈍い声は最悪の事態を察するにはあまりにも容易くて。母親はベッドの下から飛び出すと守るべき者を守る為、ロビーとは反対側の扉へがむしゃらに走り出す。

名無しさんを…早く屋根裏へ

だけどそこにすぐさま三人の男が押し入ってきた。振り向いた刹那、開いた扉の向こうに見えたのは刺されたのだろう自身の血に浸り倒れる夫の脚。

「ひっ…」怯んで足を止めてしまった母親に男達は胸糞悪い笑みを浮かべながら集り、粗悪な力でベッドへと引き戻す。

「悪く思うなよ…全ては国王の命だ。」

「んぐ…っ!!」

激しく抵抗する母親の頬を力一杯裏手で叩いた男。

「俺達は、国を裏切った反逆者としてあんたらの処刑を許可されている。」

そいつは、彼女の細い手首を後ろに縛ると何か面白いダジャレでも思い付いた様な軽い口調で次にこう言い放った。

「どうせ死ぬんだ…その前のついでに、駄賃として少しは俺達を楽しませてもらおうか。…なぁ?」

その言葉を皮切りに、重量を超えた古い木製のベッドは母親の抗いよりも男達の下卑た欲望にギシギシと軋んでいた。



不穏な物音に飛び起きて一階に下りた名無しさんの目に飛び込んできた光景は、ロビーに倒れる父と、ベッドの上で自ら舌を噛み切ったのだろう裸体の母。それはこの世のものとは思えない地獄絵図、正に血の海だった。

そして、事の最中に自害されたのが不服だったのか、腹いせにロビーを荒らすだけ荒らしてからフラフラと宿を出ていく三人の見知らぬ男達…

「あの…すいません…」

「…っ?!」

名無しさんの存在までは把握していなかったのだろう男達は、他に誰もいない筈の宿から出てきた血色悪い少女の声に肩を竦ませ振り返った。

「返して下さい…」

「あ…?何だ??このガキ…」

ケイおじさんの言う防衛が本能であるならば、復讐もまた人の本能であろうか…

「私のお父さんとお母さんです。早く、私に…返して、下、さ、い…」

言って背中に躊躇なく突き刺した刃。薄汚い返り血にも構わず彼女は大の男三人相手に何度も何度も包丁を振り翳した。

今朝の今朝まで母親が大事に水をやっていた庭先の白い花々は倒れる男達にぐしゃりと潰れ、散った花弁は紅蓮に染まって月に光る。

それでも彼女は、騒ぎに気付いた島民が駆け付けるまでずっと…既に息絶える男達の背中を延々刺し続けていたという。

ねぇ、お母さん
白を赤で汚してゴメンね

『でも夕陽色より…綺麗でしょ??』



「ニヒリズム…」

ローの言葉を重複したペンギンが深く眉根を寄せる。バンダナが名無しさんを追ったのと入れ違いにローとペンギンは何食わぬ顔でケイおじさんの店へ入り、前と同じ一番奥の席に着いていた。

空っぽの砂時計の様にカウンターの中で棒立っていたケイおじさんは二人が鳴らしたドアベルに顔を上げるが、"最悪の世代"と世間に知られるトラファルガー・ロー達の二度目の来店にはもう驚きを見せず、前回彼らが嗜んでいた酒をテーブルに運び、そして前回クルー達が何度もおかわりをしていた料理の準備に黙って取り掛かる。

「それはトラウマによる記憶障害、あるいは自殺願望者であると…?」

「いや…」

人は生きていく上で『絶対価値』を其々に持っている。しかし名無しさんはそれを心に置く事の出来ないニヒリスト、無意識的な虚無主義者であるとローは言う。

「記憶はある…例えば最近ならシャチとの出会いや出来事も全部。先も見据える…宿の経営も自分なりに考えて今まで何とかやってきたんだろう。だが、次の日には思考がリセットされる」

「というと…?」

「要は、昨日作ったパズルが次の日にはまたバラバラになってんだ…だから毎日同じパズルを一から組み立てる。それを繰り返す事を疑問に思う事なく、ずっとだ…」

「…はぁ。」

だとして一体何だというのだろう。いくら平和で退屈な島とはいえ、自分達がこれ以上名無しさんに介入すべきなのか…バンダナと同じ疑念を抱くペンギンの顔はますます難しさを増す。

「で…、どうするつもりで?」

「うちの野犬は鼻が利く…」

「は…?」

ニヤリとしたローにペンギンは「あぁ…しまった」と苦虫を噛んだ。

自分に重ねてか、ローは重い過去を背負う人間が好きだ。癒えない傷を抱えもがき苦しむ人間が好きで堪らないのだ。

思えば自分もそれで拾われた。シャチも、ベポも。ハートの海賊団はそんな輩の集まりでもあった。無論、余計な同情などは皆無だが…

「バンダナまで差し向けて何をするかと思えば、まさか貴方まであの女にご執心ですか…?」

揶揄混じりに発した言葉にローは酒瓶を口に付けながら珍しくカラッと笑った。

「俺がどうこうするつもりはねぇ」

「……」

「だがもしシャチが、名無しさんに真理を与える事が出来るんならそれを見てみてぇ…なんてクク、言ったらお前…俺を笑うか?」

言いつつガタリと立ち上がり帽子を深く被り直したローはケイおじさんが鍋を振るうカウンターへと歩き出した。

残されたペンギンは常温の酒を一気に呷ると、空のグラスに言葉を注ぐ。

「フフ…まったく、困った人だ。」

いつも気紛れに見せかけ自嘲するローの不器用な優しさは、普通のそれより実に温かく心に沁みる。

「…勿論、笑いませんよ誰も。」

それにしても今頃、「鋼」と「ガラス」両の精神を持ち合わせるバンダナが名無しさんに翻弄されているかと思うと少々不憫だが、これ以上の采配もなかろう…そう関心しつつペンギンは新しく開けた酒と一緒に笑いを呑み込んだ。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ