《2》
□巡る温み
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「船長?」
「あぁ?」
「行って来ますよー?操舵室。」
昼食と支度を済ませた私は船長室のいつもの椅子でいつもの分厚い本を読んでいるトラファルガー・ローに声を掛けてから、操舵室へと向かおうとしていた。
が…
ガタリッ
突然彼は椅子から立ち上がり、扉の前まで歩を進めていた私の肩をぐいと掴みくるりと回して、また腕で私の腰を捕まえると、にやりと口角を上げた顔を近付けてきた。
「えっえっ…な、何ですか…?」
私はびっくりしてしまいしかし動く事も出来ずにトラファルガー・ローの藍色の瞳を見上げた。
「お前の紋章の横のホクロ、今度俺が舐めてやる」
「は、はい?」
それだけ言うと彼は私を放し、また椅子に戻り本を読み始めた。
私は彼の言葉の意図を掴めぬまま船長室を後にした。
はて…彼は何故私の腰のホクロの存在を知っているのだろうか。
そんな事を考えながらも足早に廊下を歩き、操舵室へ向かった。
「お疲れ様でーす。…あれ?」
いつもの操舵室。
しかし今日はこの場所では普段見掛けない人の姿が私の視界に入ってきた。
「あ、来た来た。名無しさん!こっち来て!」
「え?何してるの?」
そこには操舵室の壁際にあるソファに座り、立ったままのペンギンさんと話をしているシャチの姿があったのだ。
ペンギンさんは私を見ると、仕事に戻ろうとした。のだが…
「ちょっちょっちょっ!ペンギン、こーこ!ここ!」
シャチはペンギンさんを引き止めるとソファに座るよう促した。
ペンギンさんは一瞬瞳を揺らしたが、渋々とシャチの隣に腰を下ろした。
「名無しさんも、はい!椅子持って来て!座って。」
「へ?あ、うん…」
私もシャチに従い、テーブルを挟んだソファの正面に椅子を置きそこに腰を下ろした。
「……」
「……」
ペンギンさんと私は視線が合わないようお互い微妙な場所に目を遣っていた。
そんな2人の様子をうんうんと頷きながら見ていたシャチがこう言い出してきた。
「お前らよ、ケンカしてんだって?」
「は?」
「へ?」
その思いも寄らぬ発言に、ペンギンさんと私は2人同時に間の抜けた声を出しそして2人同時にシャチを見遣った。
「……」
「……」
「俺がいない間に何があった、あ?」
腕を組み、少し猫背の姿勢で私達2人を交互に見ながらそんな呑気な事を言い出したシャチに、最初に言葉を返したのはペンギンさんだった。
「お前な、そんな話だったら仕事に戻れ。俺だって忙しいんだ。」
そう言ってペンギンさんは立ち上がろうとしたがシャチがその肩をがちりと掴み抑え込んだ。
「まぁまぁまぁ、ペンギンよ。お前男なんだから、お前がまず謝れ、な。」
にひひと笑顔で話すシャチに、ペンギンさんは大きな溜息を1つ漏らした。
「なぁ、名無しさん!ペンギンが謝ったらそれでもういいよなぁー!」
今度は私にそう言いながら、可愛く首を傾げて見せた。
「いや…シャチ、これはね…」
悪いのは私なんだと言おうとしたのだがシャチはペンギンさんに言葉を続けた。
「ペンギンよ、お前いつからそんな女々しい男になった!俺はそんなお前、認めねぇ。」
至極真面目な顔のシャチのその言葉にペンギンさんは先程より更に大きな溜息をついた。
「あのなぁ…お前みたいに連日連夜泣いてた男に言われたくない。仕事に戻る。」
ペンギンさんはそう言うと、シャチの制止を振り切り操作台へと行ってしまった。
「何だよペンギンよ!名無しさん、後で俺が言っとくからよ。気にすんな、な!」
私はペンギンさんに謝らせる訳にはいかないと思い、シャチに核心を避けつつ説明しようと口を開いた。
「いや…あのねシャチ…それはね…」
「名無しさんよ。」
シャチは私の言葉を遮り、急に真面目な顔をしてまた話し出した。
「お前、今船長んとこいるんだろ?大丈夫か?」
「…へ?大丈夫?…何が?」
私はきょとんとしてシャチを見た。
「あーいや…何でもねぇわ。俺がとやかく言う事じゃなかったな。気にすんな。んじゃな。」
そう言いながらシャチはソファから立ち上がり、ぐいっと腕を高く上げて伸びをしてからつなぎのポケットに両手を入れて操舵室の扉へと歩き出した。
「あ、シャチっ」
私はシャチを呼び止めた。
「うぉお?何だ?」
シャチは少しびっくりして振り返った。
「あのね、シャチに聞きたい事があって。今日夕食の前にでも時間あるかな?」
「おぉ?そ、そうか。んじゃ俺部屋にいるからよ。待ってるわ。」
「ありがと、ごめんね。」
そしてシャチは踵を返し仕事へと戻って行き、私も大きなつなぎの袖を捲り操作台で海図の整理を始めた。
仕事を終え操舵室から真っ直ぐ船長室へは戻らず、シャチの部屋へと向かう。
少し遅くなってしまった。
コンッコンッ
「おぅよ。」
ガチャ
「ごめんね、待たせて。」
「いやいや、俺もさっき帰って来たとこだ。まぁ入れ。」
シャチの部屋に来たのは何度目だろうか。
付き合っていた頃もあまりここには来なかった。
今日は随分と部屋が整っている。
もしかしてわざわざ片付けたのだろうか。
「ここ座れ」
シャチはベッドを指し示した。
「あ、シャチ座って。私床でいいから。」
「いんだって。俺は床が好きなんだ。」
「あーごめん…ありがと。」
そう言って私はベッドにシャチは床にそれぞれ腰を下ろした。
「んで何だ?聞きたい事って。」
シャチは帽子とサングラスを外し、髪をくしゃくしゃと掻きながら聞いてきた。
「うん、あのね…」
私がどうしても聞いておきたかった事。
「前、シャチが私に誕生日のお菓子をくれた時に言ってた、ジャカル島の情報の事なんだけど…」
シャチは記憶を辿る様に1度視線を天井に上げてからまた私に目を向けた。
「はいはいはいアレね。アレがどした?」
私の聞きたかった事、それはシャチが私の誕生日を1ヶ月間違えてお祝いしてくれた時の、その間違えた理由についてだ。
「その情報って、シャチはどうやって調べたの?」
「あぁ、あれは電伝虫でな。詳しくはあんま言えねぇけどよ、まぁこの船と付き合いのあるとこからいつも情報貰ってんだ。そいつらに名無しさんの誕生日調べてくれって。誕生日とかなら島の登録調べるのが1番簡単だからな。それぐらいはすぐ分かる。」
「そっか…そんでジャカル島の登録を調べたって訳か。でも私、島で登録なんてした覚えないんだけど。」
「あぁーでも、誰でも島に1年以上住んで働いてる奴はその島の役場に登録するって決まりになってんだ、一応な、島民としてよ。」
「へぇ、そうなんだ…私知らなかった。」
私は父の船で生まれ育った為、そういった島の生活の常識などは知らなかったのだ。
そして酒屋の店主からも島民登録の話など聞いた事もなかった。
「じゃあその登録はドルさんが、あ…ドルさんて私がいた店の店主なんだけど…ドルさんが島に登録してたのかな?」
「んー名無しさんが自分でしてねぇんならそうなんじゃねぇか?島の納金とかの関係とかさ、店やってる奴は役場から色々言われるみてぇだし。」
「そ…っか。」
島で生活を始めてから1年後には私はステン・ラウリーと出会っていた。
ステン・ラウリーがわざわざ島に登録する筈はない。
何せあの男は海軍の裏稼業の指揮者の1人だったのだから。
「どうした名無しさん?何か気になんのか?」
「あー、いや後さ、私の誕生日以外って何が登録されてるの?」
「普通はそいつの住所、電伝虫の種類、家族構成、職業、納金歴じゃねぇか?あ、後、犯罪歴もだ。」
「ふぅーん…なる程。」
「だがお前の場合は、あの島にはもう名前と誕生日しか残ってねぇよ。たぶん今は公の情報は海軍が持ってる筈だ。捕まって島を出た訳だからな。」
「あぁ、ハハ…そうだね…」
私は何かが脳内で留まっていた。
何故私の誕生日が1ヶ月ずれて登録されていたのか。
ドルさんが間違えてしまったのか…。
しかし彼は毎年誕生日には一緒にお祝いをしてくれていた。
どういう事だろうか…。
「名無しさん?大丈夫か?」
難しい顔をしている私をシャチが覗き込んできた。
「あ…ごめん。シャチありがと。もうそろそろ食堂行く時間だよね。じゃあ私も戻るね。」
私は遅くなってしまった事を謝り、ベッドから腰を上げてシャチに手を振ってから扉へ行こうとした。
その時…
「名無しさん」
シャチが私の手首を掴んできた。
私はびくりとしてシャチを振り返った。
「ど、どうしたの?シャチ…」
見るとシャチの瞳はまた助けを求め揺れている様に私には…見えた。
ドクリ…
心臓が疼いた。
そしてやっぱり切ない。
私は何故この人の悲しい顔を見たくないと強く思うのだろうか。
私を掴んだその手からは彼の優しさと温かさが皮膚を通して私の身体にとくとくと循環していった。
すると彼は1度唇を舌で濡らしてから言葉を発した。
「また来て…ここに。」
「……え?」
その言葉が私の心の芯にじりっと痺れを走らせ彼のベージュの瞳から目を逸らす事が出来なかった。
しかしふと彼は私から視線をずらしそしてその手をパッと離した。
「わりい……じゃぁな。」
シャチは少し淋しそうな顔で笑った。
「う、うん。ありがと、また明日ね。」
私は笑顔で手を振ってシャチの部屋の扉を出て…そして閉めた。