《2》

□深む灰色
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「痛いです痛いです痛いです痛いです痛いぃぃぃ…」

「騒ぐなアホ、もう終わる」





私は今、医務室のベッドに横になり顔を歪めている。
今日は抜糸の日なのである。
そして今が正しくその時であった。

「終わりだ。もう風呂も普通に入っていい」

トラファルガー・ローはピンセットを箱にしまいながら少し呆れた様に私を見遣った。

「あぁぁぁ…船長もうちょっと優しくして下さいよ…」

私は涙目になりながらぽこりと腫れ上がる脚の傷を軽くなぞっていた。

この船に戻って動ける様になってからは私は船長室ではなく自分の部屋に戻り過ごす様になった。

部屋が別々となればトラファルガー・ローと船の中で会う事はあまりなく、まともに顔を見て話をするのは久しぶりの様な気がした。

「お前はMなんだからこれくらいがちょうどいいだろ」

「ちょッ…誰がいつそれを認めましたかね…」

私はじろりと彼を睨みそう言ったがそんな視線を気にする事なくトラファルガー・ローは箱を棚に仕舞うと次は隣のベッドで横になるベポの傷の消毒を始めた。

「キャプテン俺もう動けそうだよ!今日はちょっと外に出てもいい?」

ベポの傷の回復は順調でご飯も毎食山盛りを完食していて、本人はずっとベッドにいる事が段々と苦痛になってきている様だった。

「お前も抜糸が終わるまではそのままだ。まだ2〜3日は様子を見る」

「えー、そんな!オレ暇だよ…」

「医者の言う事は聞いておけ」

いつも思うのだがトラファルガー・ローはベポに優しい。

口調もそうだがベポを見る目が私や他のクルー達の時のそれとはだいぶ違う気がする。

「じゃあ船長、ありがとうございました。私部屋戻りますね。ベポ、またお昼にご飯持ってくるからね。」

そう2人に声を掛け私は自分の部屋へと戻った。










昼食の時間、先にベポにご飯を持って行ってからまた食堂へ戻った。

席を見てみるとトラファルガー・ローとペンギンさんはまだ来ていない様だった。

「おぉ名無しさん、抜糸もう終わったのかー?」

自分の席でご飯を食べ始めていたシャチが私に気付くときらきらした笑顔で声を掛けてきた。

その笑顔に誘われ私も自分の席に着くとすぐに昼食を運んでくれたコックさんにお礼を言ってご飯に手を合わせた。

「それが聞いてよシャチ、もう船長の抜糸が痛くて痛くて。本当、泣きそうだったよ…」

「まぁちまちまやられるよりは、スパッとやって終わったほうが結果いいだろ。」

「はぁ…それはそうだけどさぁ…」

私は不満気な表情でシャチを見遣った。

するとシャチはお皿に残っていた最後のトマトをぱくりと口に入れるとそれを咀嚼しながら急ににんまりと笑みを浮かべそしてこう言ってきた。


「名無しさんお前よ…サフル島で俺達から逃げたもんなぁ…その罰の話は忘れてねぇよなぁ…へへへ」

「へ…?」

その言葉とシャチの怪しい微笑みに私はどきりとして口に入れ掛けていたフォークに刺したゆで卵を思わず落としそうになった。

「俺からの罰はもう決めてあるんだ。名無しさん、お前は明日俺の言う事を聞け…な!」

「は、はい…?」

「丸一日って訳じゃねぇから安心しろ。そうだな…午後の操舵室の仕事の時間以外だ。」

「いやえっと…それって結構な時間…な、何をするの…?」

私は顔を引き攣らせながら恐る恐る確認した。

「悪い様にはしねぇ、安心しろ。」

「いやその笑顔がとても恐いんですけど…」

しかしシャチはそれ以上は教えてくれずそして笑顔のまま席を立ち手を振りながら食堂を出て行った。










午後、私はまず甲板に出て大気の観測を始めた。
ゆっくりと空を仰ぐのは久しぶりであった。

今日の空は灰色の雲に覆われていて風も強く吹いている。
どうやら今上空にある気団はこの船と同じ進路で進んでいく。

雨は降らないだろうが明日の夜までは青空を隠すこの雲の塊と共に航行する事になるだろう。

そんな重く濁った空を眺めているとふとある事を思い出した。

そういえばこの前、変な夢を見たのだ。
空を飛んでいる夢であった。

まるで霧の様な大気の霞みにぼやけ、空と海の境目が分からず自分の行く先を見失うというものだった。

空なのか海なのか、上なのか下なのかさえも分からなくなり私は飛ぶ事を諦めた。

すると諦めたその瞬間、身体に物凄い圧が掛かった。

しかしそれすらも自分が落ちているのかそれとも浮上しているのか感覚を掴む事が出来なかったのだ。

そしてがくんと身体が揺れ…目が覚めた。
嫌な夢だった。

思わず溜息をつき空を仰ぐのをやめた。
その時…

「名無しさん」










その呼び掛けに私は少し驚き振り返った。

「ペンギンさん…どうしました?」

ペンギンさんは帽子を被らず甲板まで出てきていた。

「雨はどうだ、降りそうか?」

強い風にその黒い髪が大きく靡き眉の上の傷がちらちらと顔を覗かせていた。

「いえ、雨は大丈夫ですよ。ただ明日まではこんな感じです。」

私は眉の上の傷を気にする事なくペンギンさんの目を見てそう答えた。

「そうか、じゃあ今夜の星の観測はなしだな。」

そう言うとペンギンさんは珍しく私の隣に腰を下ろしそして珍しく私の顔を覗き込んできた。

普段滅多に近くで見る事のないペンギンさんの透き通る様な奥深いグレーの瞳に私は思わず見惚れてしまった。

「あー今日は…そうですね。でも明日の夜は大丈夫だと思いますよー。」

ペンギンさんが自分からこんなに近くにくるなんて。
何かあったのかと思い私も不思議そうに彼を伺っていた。

するとペンギンさんが突然、私の頬にその大きな手を伸ばしてきた。

とても優しくしかし熱く包み込まれた感触に思わず背中がぞくりと痺れた。

「ペンギン…さん?」

動揺した私の頬をその手で優しく撫でながらペンギンさんは言葉を発した。

「名無しさん、お前に話しがあるんだ。何も言わずに最後まで聞いてくれるか?」

「え?話…ですか?」

何だかペンギンさんがいつものペンギンさんじゃない。

私はしばらく目を泳がせたがこくりと頷いた。

私の了解を得るとペンギンさんはふわりと微笑み頬に触れていた手を離しその手で私の肩を抱き寄せ

そして…唇を重ねてきた。

それは決して押し付けられるものではなくじんわりと身体に染み込んでくるものであった。

どれくらいそうしていただろうか。
その間、私の中に抵抗という感情が生まれる事はなかった。

ペンギンさんはそっと唇を離すと優しい微笑みのまま私の顔を覗き込みこう言ってきた。

「お前があの島でいなくなった時、俺は生まれて初めて自分を見失いそうになった。もしお前に何かあったら…もしもう2度とお前と会えなかったら…そう思ったら冷静でなんていられなかったんだ。だから今、目の前にいるお前に迷う事なくはっきりと伝えておきたいんだ。」

そう言うペンギンさんの眼差しはあの時の、サフル島で切なく揺らぎながら私に問うてきた時のそれと同じ様に見えた。


「名無しさん、俺はお前を大事に思っている。お前にいつも笑っていて欲しい。そして幸せになって欲しいんだ…分かるか?」


「え?は、はい…」


「要はお前に惚れてるって事だ。」


「え……?」


私はペンギンさんのその想定外の言葉に一気に身体が熱くなった。

しかし脳内に染み込んできたその言葉を時間差で理解したところで思考が…止まった。

トラファルガー・ローやシャチの時とは違うそれに戸惑いを感じたのだ。

まさかペンギンさんが私にそんな事を言うなんて。
今まで考えた事もなかったのだ。

私はつい視線を外し重い空をまた見上げた。

するとそんな私の心の動きをじっと見ていたペンギンさんはまた私の頬を優しく撫でてこう言った。

「名無しさんを困らせるつもりで言ったんじゃない。お前が考え込む必要は何もないんだ。」

その言葉に彼を見遣るとグレーの瞳の奥にとても綺麗な光を見つけた私は思わず吸い込まれそうになりながらも言葉を探しそして紡いだ。

「あの…ペンギンさん、私…」

しかしペンギンさんは私の言葉を遮るかの様にゆっくりと立ち上がった。
そして…

「フフ、本当はお前に打ち明けるつもりなんてなかった。ただでさえこの船には他にも似た様な奴らがいるからな。これは俺のわがままなんだ。だから気にするな。」

そう言うとペンギンさんは踵を返し船内へと戻って行ってしまった。

1人残された私は身体も思考も停止したまま、ただペンギンさんの優しい言葉と唇の余韻に溺れていた。

























ペンギンさんの瞳…

彼の瞳の奥をもっと知りたい

そんな気持ちが…私に芽生え始めた

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