《2》
□可愛い女
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点滴が終わり顔色も良くなったリンを私は部屋へと連れて行きその日はずっと彼女と話をして過ごした。
途中から記憶はない様だが小舟で漂流していたのは恐らく1週間程度だろうとリンは言っていた。
この偉大なる航路、よく無事でいられたものだ。
「さて…夕ご飯食べよッ。リン、無理しなくていいけどいっぱい食べて体力付けようね。」
「はいッ。」
リンは私より歳が3つ下の18歳。
その大人っぽい容姿とは対照的にとても素直で可愛らしい彼女を私は妹の様に感じ守ってあげたいという使命感すら抱き始めていた。
「んんッ…!美味しい…!この船のコックさん、凄いですね…」
「ハハ…!それ今度本人に言ってあげて。凄い喜ぶと思うからッ。」
「ウフフっ…」
やはりその微笑みは美しい。
きっと私とは真逆の…心に白を持っているのだろう。
そんな事を思いながら彼女を見遣った。
「名無しさんさんて、とても綺麗な人ですね。私そんな深い緑の瞳、初めて見ました。」
「へ…ッ?そうかな…珍しいのかな?」
「はいッ。でもこんな綺麗な人が男の人ばっかりの船に1人でいるなんて…名無しさんさん大丈夫ですか?襲われたりしません?」
「えッ…」
しかし私の思考とは逆行し、リンの第一印象は徐々に変わり始めた。
「あの…さっき点滴の時、部屋に来た男の人ってもしかしてこの船の船長さんですか?」
「あ、うん…そうだよ。トラファルガー・ロー。何で…?恐かった?」
「いいえ…素敵な人だなって。そっか、ローさんていうんですね。」
…ローさん
私は思わずぱちぱちと目を瞬かせた。
すると…
「何かこの船って、素敵な人ばっかりですよね?名無しさんさんは誰と付き合ってるんですか?」
「えッ……?いや…そういうのは…全然全然ッ…!」
彼女に変化球を投げられた私は口元を引き攣らせ顔の前でぶんぶんと手を振りながらそれを後ろへかわし否定した。
「ウフフっ…名無しさんさんて可愛いですね。顔紅くなってますよ。でも確かに誰か1人を選ぶのは難しそうですね!」
「ハ、ハハ…」
この子はきっと私よりしっかりしている…そう確信した。
「じゃ、じゃあ私…トレイ戻してくるから。疲れてるでしょ?寝てていいからね。」
そう言って私は自分の部屋を出た。
「ふぅぅぅ…」
トレイを2つ手に持ち食堂へ入る。
すると…
「おいッ、名無しさんッ!来い来い来い…ッ」
「え…?」
食事を済ませた後そのまま食堂でポーカーをしていたのだろう、テーブルの上をカードで散らかしたシャチとクルー達に手招きされた。
「名無しさんーッ!俺には名無しさんしか見えねぇよッ!」
シャチが私を引き寄せ膝の上に座らせた。
「ちょ…シャチ、止めて…」
「ヘヘ…だってよ名無しさん、こいつらアホだからよ、名無しさんよりあのリンて女のほうが可愛いって言うんだ。底無しの馬鹿だろ?なッ。」
そう言うとシャチは後ろから私の腰に腕を回し肩に顎を乗せてぎゅうぅと抱き締めてきた。
「いやシャチッ!良く見たか?あの黒髪、艶のある肌と唇、目なんてキラキラ光ってて…俺マジで吸い込まれるかと思ったぁぁ…!」
「俺なんて廊下で目が合った時よ、あの子恥ずかしそうに顔赤くしたんだぜ?…何つーの?汚れてない感じ?それが逆に楚々られるよなぁ?」
ニヤニヤと語るクルー達に呆れ私は溜息を漏らしてから言葉を紡いだ。
「あのね…リンをそういう目で見ないて下さいッ…これだから男は…」
しかし私は…それ以上言うのを止めた。
すると、
「んだよッ…お前は捻くれ過ぎなんだよ!可愛げねぇなッ…」
「名無しさんも少しは恥じらいとか学んで女らしくなれッ。」
「なッ…」
「まぁまぁまぁまぁ…お前の魅力に気付かない哀れなコイツらを許せ名無しさん。」
いつもなら本気で怒るシャチまで何だか余裕の笑みを浮かべて面白がっていた。
「トレイ返すから、離してッ…」
そう言って彼の腕を解き立ち上がるとカウンターでまだお皿を洗うコックさんにトレイを渡し、少し苛ついている自分を落ち着かせようとそのまま手伝いをする事にした。
部屋に戻るとリンは既にベッドですやすやと寝息を立てていた。
そういえば私の寝る場所がない。
どうせ眠れそうにない私は勉強道具を手に操舵室へ行こうとまた部屋を出た。
ガチャ
「あれ?ペンギンさん、まだ仕事ですか?」
「名無しさん…どうした。あの女は?」
操作台で海図を相手に少し疲れた顔をしたペンギンさんが驚いて私を見遣った。
「もう寝てます。私は少し勉強でもしようかと…」
「寝れないのか…コーヒーでも入れよう。」
「あっ、私が入れます。」
ソファの前のテーブルに本やノートを置いて私は急いでコーヒーメーカーに行きカップを2つ出してコーヒーを注いだ。
ペンギンさんも手を休めソファに凭れる私の隣に腰を下ろしコーヒーを啜り始めた。
「フフ…どうした?また苛ついてるのか?」
「あ、いや…え?何で分かります?」
私は両手でコーヒーカップを持ちながらちらりとペンギンさんを見遣った。
「いつも言ってるだろ、お前は分かり易いんだ。嘘がつけないのはいい事か悪い事か。」
「はぁ…」
答えになっていない彼の言葉を私は受け取りコーヒーを啜った。
「どうだ…あの女は。」
「リンですか?別に…何も。いい子ですよ、素直で…可愛らしくて。」
「そうか…」
ペンギンさんはカップをテーブルに置くと私が持って来た気象の本を手に取りぱらぱらと遊ばせながら、ふと私に言葉を発した。
「次の島までは3週間だ。それまで何も起こらないといいんだが。お前は大丈夫か?」
その言葉の意図が掴めず私はきょとんと間の抜けた顔をして彼を見た。
「あの女が素直で可愛らしい…か。俺はとてもそうは思えないがな。だが他の奴らはころっと騙されそうだ。あの女がいる間、お前は周りの言動を一々気にしない、惑わされない事だ。」
「え?」
やはりペンギンさんの言葉を掴み損ねていた私を、彼はふわりと微笑み見つめながら立ち上がると持っていた気象の本をぼさりとテーブルに置きまた操作台へと戻って行った。
カリカリカリカリ
「あぁッ…間違えた!」
睡魔に襲われ集中する力を手放し始めていた私は大切な水色のペンをノートの上にぽいと投げた。
どさり…
ソファに身体を倒し足を肘掛けに投げ出して重たい瞼を何とか押し上げながら、天井を見上げそこに手を翳した。
「“ライトボル”」
天井のライトに照らされる空気を少し貰い浮かばせたそのオレンジの小さな丸を人差し指でつんつんと突つき遊び始めた。
「名無しさん?」
その様子に気付いたペンギンさんがこちらに歩いてくると椅子をソファの横に置き腰を下ろした。
「名無しさん、眠いなら部屋に戻れ。」
しかし私は丸をつんつんしたまま口を尖らせて言葉を返した。
「寝る場所ないんです。今日はここで寝かせて下さぁい。」
「…そうか」
すると…ペンギンさんは立ち上がり突然ひょいと私を抱き上げた。
「そういう事なら早く言え。俺の部屋で寝ればいい。」
「え…いや…それはちょっと…」
私の感情が乱れオレンジの丸はぱちんと姿を消した。
「ここで寝泊まりは駄目だ。他の奴らが出入りする。」
そして私はそのまま操舵室から連れ出された。
私だって出来る事なら
…可愛い女になりたい