《4》
□沈む太陽
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次の日も…
いつもと変わらない、朝が来た。
誰にも言えない背中の大きな擦り傷が服に擦れ血が滲む。
そこを庇う為、夜中こっそり医務室からガーゼを持ち出しそれをベタリと不器用に貼った。
勿論、一睡もしていない。
頭の中は…
「シャチ…」
私の身体なんて元々、汚れている。
男なんてそんなもんだと割り切る事も出来る…ただ、
何でシャチが…あんな事したのか
「私のせいだ…」
彼の想いを知っていながら私が放った心ない言葉。
優しさに甘え、その存在はいつもそばにある当たり前のものだといつの間にか勘違いしていた私が、彼をそうさせてしまったのだ。
「ごめん、ね…」
そしてあの時…その行為とは裏腹に
ベージュの瞳はゆらゆらと
やはり私に助けを…求めていた。
今頃彼はまた、自分を責めているに違いない。
「このまま…私を嫌いになって。」
心に浮かぶ、眩しい太陽…
だらしなく靴の踵を引きずりながら操舵室に向かった。
「お疲れ様ですぅ。」
すると
「名無しさん名無しさん、ちょっと来い…」
一人のクルーが私の手を掴みソファへと座らせた。
そして彼はテーブル越しに立ったまま腕を組むとおもむろにこう言ってきた。
「お前、シャチを何だと思ってんの?」
「え…?」
彼はこの船の中でシャチと一番仲がいい。
「惚れた弱味につけ込んで、随分なんじゃね?早く仲直りしてやれよ。」
事情を知らない突然の苦言…にしかし言い返す言葉など、無い。
「シャチはいつも笑って馬鹿な事してっけどよ、人を信用してねぇんだ…ガキん時に親に捨てられてっから、また人に捨てられるのが恐ぇって昔言ってた。だから今まで適当に、楽に…生きてきたんだよ、特に女に関しては。」
「……」
「それなのに…今まで自分を守る為に引いてた境界線を越えて、傷付く覚悟もないまんまお前に惚れちまった。あいつが人に執着したのも心を求めたのも、お前が初めてだ…」
「あ、あの…」
「ああ、悪ぃ、別にお前を責めるつもりはねぇんだけどさ、ただ余りにもシャチが惨めに思えちまって。だからこれだけ、言わせてくれ…」
「……」
「あいつはよ…いつも心が、淋しいんだ。」
クルーはそう言って目を逸らすと自分の持ち場へ行き、仕事を始めた。
「……」
私は唇を噛み締め、遠くにあるレーダーの画面を無心の中で…睨んだ。
「心が…」
点滅する緑の光
まるで私を、笑っているかの様。
「淋しい…」
いつも私やクルー達を賑わせてくれた向日葵のような彼は、そうする事で自分を誤魔化していたのだろか。
そしてそんな彼が求めているものとは
いつも寄り添い繋がり合える、心。
見えてきた…シャチの、傷。
「でも、もう…」
せめて喧嘩したあの日をやり直せるなら…今も2人は、笑い合っていられたのかな。
雲に霞む太陽…
「…名無しさん?」
「……」
「名無しさん、聞いてるのか?」
午後、いつもの様にペンギンさんと海図の山に埋れていた。
「…ん?は、はい…すいません、何ですか…?」
仕事に集中していたのか違う事を考えていたのか自分でもよく分からない、が…ずっと話し掛けられていた様だ。
「もうすぐ次の島に着くんだが…」
「…はい。」
「今回は少しいつもと違う。」
「違うって…?」
私はペンを机に置いた。
「ログが貯まるまでの5日間、エンジンの交換とついでに点検も兼ねて船を造船所に預けるから、俺達は島の宿に泊まる事になるんだ。」
「あ、そうなんですかぁ…」
へぇーと呑気に頷く。が、
「だが念の為、お前はクルー達とは違う宿をとってもらう。」
「何で、ですか…?」
「もし他の海賊や賞金稼ぎに襲撃された時、お前の存在に気付かれると厄介だ。手配書が取り下げられてからまだ日も浅い、世間の記憶に残っているうちは出来れば船から出したくなかったんだが…」
「あぁ…そ、そうですね。」
「それで、だな…」
ペンギンさんは帽子を深く被り直した。
「名無しさん、お前が島の人間の前に出る時はクルーとしてではなく…身なりを変えてこの船専属の娼婦として振舞ってもらいたいんだが…いいか?」
「……」
「名無しさん…?」
…『まるで娼婦だな』
トラファルガー・ロー
彼の言う事はいつも現実のものとなる。
「分かりました…そうします。」
申し訳なさそうな様子のペンギンさんを私はまっすぐに見つめ、笑いながら返事をした。
仕事を終え、部屋に戻る船内の廊下。
今日はいつもよりやけに長く感じる。
私は窓を横切る度に、傾く夕日を受け入れようと両手を広げる水平線に目を遣っていた。
すると
「あ………」
向こうからシャチが歩いて来る。
何か大きな箱を持ちまだ私に気付いていない。
普段この時間に顔を合わす事などないのにこんな日に限ってバッタリ会ってしまう。
…人生とは何とも不思議なものである。
「ど、どうしよ…」
戻ろか…
いやしかし今からじゃ、遅い。
じゃあすれ違う…?
そして普通に挨拶を。
でも、どんな顔で。
「そ、そうだ…」
私は…壁に向かいベタリと張り付いた。
昔、父の船で読んだ本。
そこには、ワノ国にニンジャというとても器用な戦闘部族がいて、呪文を唱えるだけで敵から身を隠す術を持っている…と。
あれは確か…
「忍法・隠れ身の術…」
白いつなぎに白い壁
私にも…出来そうだ。
「ニンニン…」
その呪文を唱え、彼が通り過ぎるのを待った。が、
シャチはピタリ…背後で足を止めた。
「……」
「……」
そういえばつなぎの背中にはドクロが笑っているが…これは見えていないのだろうか。
「……」
「……」
ゴクリ…沈黙の中、唾を飲む音だけが廊下に響いた、その時
「…昨日の事、謝まるつもりもねぇから…」
気付かれていた…
「…最初は信じたんだ、リンの言葉をよ。けどよく考えたらあいつは、お前を守る為にああ言っただけだよな…」
「……」
「俺はお前ん中に、夢を見てただけだ…そんなもん、もういらねぇ…」
その言葉と共に彼はまた歩き出し去っていった。
「…ぅ…ぅう…っ」
溢れ出す涙。
それだけが虚しく滲みながら
沈む光が齎す影に隠され
白い壁に…同化した。
消えていく、太陽の笑顔…