《5》

□Cirrus
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そろそろ荷物をまとめておこう

そう思い立った私はベポが朝食のトレイを食堂へと戻しに行っている間に船長室を抜け出した





途中すれ違うクルー達とは適当に挨拶を交わし廊下を進む。そして手に馴染むドアノブをガチャリと押してやけに殺風景な自分の部屋に足を踏み入れた。

「よし…やるか。」

まずはさっそく要る物と要らない物とに分け始めてみる。下船の際に持っていく物といったらもっぱら衣類と日用品だ。半袖なのに袖口を捲り上げる動作で弾みを付けてから背の低いタンスに手を付けた私はしかし、途端拍子を抜かした。一番上の引き出しの中には見慣れた部屋着が上下各5〜6着程度だけ。

「あれ、私って荷物、少ないなぁ…」

他の引き出しもやみくもに開けてみるがやはり隙間だらけで、どうやら荷造りというよりは簡単な袋詰め作業となりそうだ。

「……」

約一年もの間ここで生活していたとは到底思えないそのあっさりとした手応えに何だか言いようのない物悲しさが込み上げて鼻の奥かつんと痺れた。まるで荷物の量イコール自分の存在濃度みたい。

この船ではいつもつなぎを着ていたし、別に化粧もしない、料理もしない、趣味で何かを収集していた訳でもない。だから普通に考えればそんなに物がゴチャゴチャと増える環境でなかったのは確かであろう。そうでなくともあるいは、家具を買い足す事もなかったから収納を超える買物はしないよう無意識の内にセーブしていたのかもしれない…

物悲しさの理由を心中真っ当に並べてみるも、ささくれた心とは何とも想像力豊かなもので。色濃い狭窄の眼鏡を掛けた猜疑心と自虐も含んだ歪んだ線は見えない点を勝手に繋げ、曖昧な輪郭を生み出しながら堅く縺れた自己完結へと私を至らせた。

「…こうなるって分かってて敢えて身軽でいたんだよ私。賢いなぁ、私…」

弱い犬ほどなんたらか。偉そうに上から目線でさも聡しく振る舞えば心なしか気分が晴れた。でも本当は分かってる。そんなもん、誰に響く訳でもあるまいに…

「あぁぁ、やめよ…荷物荷物。」

私は一度天井を睨み、無様な自分を振り払うようにブンブンと頭を振りながら衣類を袋に詰め込んだ。

「えっと、後は…」

気を取り直して次に要らない物の分別。古くなったタオルや洗面道具はこのまま処分しよう。下着はとりあえず全部持っていってポルドに入ってから処分すればいい。

あーでもないこーでもないとブツブツぼやき、最終の段に入ったところでまた手を止めた私は、見つけたそれらを引き出しの奥から一つずつゆっくりと取り出して横一列、机の上に並べた。

シャチから貰った雪の結晶のペンダントと水色のペン。そしてペンギンさんから貰ったアルパカの手袋と毛皮の帽子だ。

その時々の情景が鮮明に思い浮かぶ。一つ一つに色んな想いがあり、一つ一つがかけがえのない宝物。でも…

「これは、置いていこう…」

どうせ海を離れて島で普通に暮らすんだ…もう勉強はしない。ポルドは春島だから手袋も帽子も必要ない。何より、手元に置いていたらまた縋りたくなってしまう。

私はその宝物達をぎゅっと胸に抱きありがとうと呟いて、昔切り裂いたマットの裏側に思い出ごと全部押し込んだ。

と…その時

「はぁ、良かった!名無しさんここにいたんだね!探しちゃったよ!行き先も言わずに船長室出ちゃダメでしょ?」

開けっ放しの扉からベポが突然顔を覗かせ、ビクリと肩が竦んだ。私はゆっくりと腰を伸ばし、さりげなくベッドから離れてポリポリと鼻先を掻いてみたり。

「ご、ごめん…えっと、荷物をね、そろそろと思って。」

もしかして…今の見られたかな。

「言ってよ!手伝うから!」

「う、うん。」

「あれ?本とかノートも全部捨てちゃうの?何で?」

「え?あぁ…もう何十回って読んだし、内容は全部頭に入ってるから。」

「ふぅーん、そっか!」

しかしそんな私のやましさに頓着する事のなかったベポはドスドスと部屋に入って来ると荷物を其々に紐で括り、処分品を下層の倉庫まで運ぶのを一緒に手伝ってくれた。




















困った事に気が付いたのはその日の夜だった。

「うあぁぁぁぁ…っ!」

私がお風呂に入るのは夕食後と決まっていて、その時間はさすがに当番の2人も席を外す。そんな気遣いもいつもならば助かるところだがしかしこの時ばかりは愕然とした。

「どうしよう…下着も全部、荷物に入れちゃったぁぁ…」

まだ明日あさってがあるというのに、手持ちの下着や着替えを全部W持ってく用の荷物Wの中に片付けてしまっていた。風呂上り、バスタオル一枚になって初めてその事に気付くとはやはり私は救いようのないアホである。

「べ、ベポ…、ベポ…っ」

ベポが待機している隣の部屋に助けを求めに行ってみたが、これがまたこんな時に限って姿がない。

「しょうがない…荷物、解こう…」

髪から落ちる水滴に肩を濡らしたまま、私はバスタオル一枚でパタパタと自分の部屋へ走り出した。



途中誰とも鉢合わなかった事に胸を撫で下ろしながら辿り着いた部屋の前。

「は…」

しかしそこで足を止める事を余儀無くされた。何故なら扉が半分開いている…忍び足でそっと近づき耳を立てるとやはり中から声が漏れてきた。

「ね?こんなところに隠してこのまま置いていくつもりだったんだよ!あんなにいつも大事にしてたのに…」

ベポだ…

「最近の名無しさんったらまるでお人形さんみたいで…。だから不安なんだ、名無しさんはきっと早くこの船を降りたくて、そんで降りたらもうこのままオレ達の事なんて忘れちゃうつもりなんだよ…!捨てられるのは…オレ達のほうなんだよ!」

声が震えている
また泣いているのだろうか…

「今更だけどオレは、名無しさんを離すべきじゃないと思う!みんな間違ってると思う!例え新世界がどんなに危険な所でも、一緒にいてオレ達が守るべきだと思う!名無しさんだって本当はそれを望んでるのにっ、何で…っ!」

ベポが誰かを責め立てるなんて…私は身体に巻くタオルを胸元でぎゅっと握り正面の窓を睨んだ。するとやけに外が明るい。窓の向こうには天真爛漫なまんまるお月様。

今日は…満月か

漆黒の天井にある薄い巻雲が昼の太陽よりも色濃く情緒豊かに月の光に照らし出されている。しかし一ちぎり、二ちぎり…風に騙され母体から引き離された小さな哀しい雲達は、伸ばした手の中に何も掴めぬままゆっくりと消えていった。

なんだか今の自分を見ているようで、私は窓から目を落とした。

「ポルドに行ったら今度こそ本当に名無しさんを取られちゃうよ?スリはまだ名無しさんの事が好きなんだから!二度と会わせてなんかくれないよ?それでいいの?!」

「……」

「今ならまだ間に合うよう!今ならまだ…やり直せるから!ねぇ…!」

居た堪れなさに肩が冷え込み、私はそっと踵を返した。こんな場面におずおずと顔を出せる訳がない。頃合いを見計らってもう一度来る事にしよう…



「おい」



ドキリ…心臓が跳ねる。

恐る恐るその声を振り返れば開いた扉からタトゥだらけの厳つい手が、人差し指をくいくいと煽っていた。

あぁ…話の相手は彼だったのか

逃げる訳にもいかず、俯きながらゆっくりと扉に進む。一歩部屋の中へ入り顔を上げれば、そこにはベッドに腰を下ろして泣いているベポと扉の右側で壁に凭れるトラファルガー・ロー。ベポの傍らには私が昼間隠した4つの宝物が無造作に置かれていた。

「それは何の真似だ」

トラファルガー・ローは前を向いたまま私に声を発した。

「あ、えっと…それは、アレです…」

私もどこぞかを見ながら言葉を探す。質問の要点は分かっていないが。

「別に隠したかったとかじゃなくて…取り敢えずそこに置いといてそれで後から…」

「違う」

「へ?あぁ、何で盗み聞きしてたかですか…?て、いや…違います、誤解です…盗み聞きなんかしてません本当に…」

「その格好の話だ」

「あぁぁぁ…コレ?コレでしたか…コレはですね、あの…」

会話も視線も一向に交わらない為か、必然的に二人して正面にいるベポをじっと見据える態になる。その視線の的となっているベポは至極居心地が悪そうだ。

「キャ、キャプテン…」

「ベポ、此処はもういい…話はまた明日聞く」

「ア、アイアイ…」

「あ、ベポ待って…あのね、持ってく荷物の中にね…」

「ゴメン、オレもう行くから…」

「いや…ま、待って…」

「これはちゃんと二人に返しておくからね…」

何という事か…ベポは私と目も合わさぬまま4つの宝物を胸に抱えて逃げるように部屋を出て行ってしまった。

「どれだ、解くのは」

私が此処に来た訳を察したトラファルガー・ローは沈黙を避けたのか、すぐにW持ってく用の荷物Wへと歩き出した。

「あっ!い、いいです!自分でやりますからっ…下着とか、見られるの恥ずかしいし…」

私は急いでペタペタと駆け寄り、手伝おうとする彼の袖を掴んだ。彼は刹那顔を顰めたが何も言わずに身を引いた。

「す、すぐ解けますから…私のはこの袋1個だけで、あとはリンから貰ったものばっかだから籠ごと持ってくだけなんで…」

落ち着け私。出来る限りの平静を装い膝を突いて袋を引き寄せる。しかし彼の視線を背中に感じ、手が震えてなかなか紐が解けない。

「えぇ…っと、えっと…」

ついでにバスタオルがずり落ちそうになり、それを一度直しては荷物に手を伸ばし、また直しては手を伸ばす。そんなどっちつかずのループに嵌り、一体何がしたいのか自分でもよく分からなくなってきた。

「クク…」

すると突然、彼が堪えるように喉の奥で笑った。死刑宣告以来の彼の声はさっきからいやに心臓に悪い。私は聞こえないふりをしてただひたすらにどっちつかずだけを繰り返していた。

「昨日ペンギンに食って掛かったらしいな…」

「……」

「言っとくが、ポルド行きはただの決定事項だ…船長命令じゃねぇ」

そうとだけ言った彼の気配が踵を返して離れていく。早く、行って…

しかし、そんな願い虚しく彼は扉の前でふと立ち止まり少しだけ私を振り返るとこんな言葉を残していった。


「泣くな、笑え」


「……」


「それが俺からの最後の命令だ」










バタン…










一人になって…やっと

「……っ」

泣いてもいいよと、自分を許した

「ひっぐ…んぐっ…」

ポロポロポロリ…
目から落ちるは、熱い水

「うぅぅ…!ふぐっ…ぅっ」

泣く、な…?
笑え…?

一体どの面下げてそんな…

「誰の…っ…せい、でっ…」

枯れたはずの涙はまた堰を切ったように止めどなく…私は自分の肩を抱いて子供みたいにわんわん泣いた。

























…大っ嫌い

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