《5》

□後ろの正面
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暑い…、苦しい

寄せては返す意識の中、悶えるように頭を振る。

「ん…んん」

しかし身体に纏わり付く何かに邪魔をされ、現実の糸をなかなか引き寄せる事が出来ないでいた。

すると

「名無しさん、さん…?」

あ、リンの声…

「ルジョル、スリを呼んできて。」

「はい。」

ルジョルさんの声も…

暗闇から這い出すように
私は無理矢理…瞼を開けた。










「迎えが来る前に少々暴れたんで薬を打ちました。なのでベポがおぶっていったんですが…途中で会いませんでした?」

私がリン達と船を出てから暫くして戻ってきたトラファルガー・ローは船長室の椅子にどさりと腰を下ろすと、窓から見える山の緑に目を置いた。

「あぁ…会ってねぇ」

ペンギンさんは濡れたタオルを差し出しながら同じく島の景色に視線を遣る。我が船長の口端に滲む血は敢えて見ない。

「フフ…回避ルートを選択したと…」

パタパタと跳ねるようにじゃれ合う小さな鳥達。木の実のように張り付くその群れの重みで木々の枝は大きく枝垂れ、濃い色の葉を薫風に散らしていた。その様子を2人は感慨もなく観賞する。

「リンも暫くあんたを待ってたんですよ。話をしておきたかったと…」

「……」

「スリは…どうでした?」

「……」

「奴もなかなか熱い男ですからね。憤慨した顔が目に浮かぶ…」

受け取ったタオルをそのまま机の上に放り投げたトラファルガー・ローは帽子を脱いでぐしゃぐしゃと髪を掻き乱すだけ。一瞥もなくそうやって黙りを決め込むのは、あまり余計な口を利いてくれるなという態である。

しかしペンギンさんにそんな定石は通用しない。構わず滔々と言葉を続ける彼のそれもまた定石であるからだ。

窓から目を逸らしたペンギンさんは机の横の壁に凭れて腕を組み、自身の革靴に視線を落として少し剥げたつま先を一つ、左右にゆっくりと揺らし始めた。

「俺も明日、スリに会ってみようと思うんですが…構わないですか?」

「…好きにしろ」

「リンとシャチも明日あさっては二人で街へ出るみたいですよ。シャチはリンになんか買ってやるって張り切ってました。」

「……」

「あんたは…停泊中どうします?船に籠りますか?街に出て憂さ晴らしでもしますか?それとも最後に…」

「うるせぇ」

ぴたり…ペンギンさんは靴を引き、トラファルガー・ローを見遣る。

「はい?」

「鳥が…うるせぇ」

ガタリと立ち上がり飯を食ってくると扉へ歩き出したトラファルガー・ローをペンギンさんは目で追いながら口角を上げた。

「フフフ…そうですね。ここは別名・うぐいすの島ですから…」

「……」

「あぁ…あと、大事な報告が一つ。」

背中に掛かる声に足を止めるつもりはない。どうせろくな事を言わないのは分かっている。

「あいつの身体に印を付けたんで…たぶん今頃、向こうでは大騒ぎになってるかと。」

バタン…

廊下に出ると尚一層…鳥の鳴き声が耳障りだった。










「ぐ、わ…っ」

目を開けると視界の半分が何かに覆われていた。訳が分からぬままその原因を探る。

「あ、暑い…っ」

まずは頭に被されているそれを剥ぎ取る。一番暑苦しかったこれは… ペンギンさんから貰った毛皮の帽子だ。

次に手を覆う白いモコモコを剥ぐ…アルパカの手袋。

「な…っ」

そして今度は晒された自分の右手を見て唖然とする。グルグルと手に巻き付けられている妙なテープを剥がして剥がしてやっと姿を現したのは…水色のペンだ。

という事は…

汗ばんだ首元を恐る恐る確認すればやはり…雪の結晶のペンダント。

「はぁ…はぁ…っ」

まるで悪夢から目覚めたかのように肩で息をしながら身体を起こし、また私の元に舞い戻ってきた4つの宝物を膝の上にかき集めた。

「何で…」

何でも何も、あの二人の仕業である事は明々白々であるが。

「ごめんなさい…名無しさんさん凄い魘されてたんだけど、目が覚めるまで絶対に取るなってシャチさん達が…」

「あぁ…っ」

事態を把握する事にいっぱいいっぱいだった私はそこで初めて ベッドから目を上げた。

部屋はどうやら医務室のようだった。白を基調とした無機質な空間と仄かな薬品臭、そして私がいるシングルサイズのベッドの横にポルドの衣装を纏う彼女は…佇んでいた。

「リン…!」

嬉しくてベッドから飛び起きた。そして思い切り彼女に抱きついた。

「名無しさんさんっ…」

久しぶりのリンは以前より少し身体の線が細くなっていた。しかしその美しい髪と花のような匂いは何も変わっていなくて。私にとってたった一人の女友達…愛おしいその肩に思わず顔を埋める。そして暫くの抱擁のあと満面の笑みで彼女の両手をギュッと握り、漆黒の瞳を見つめた。

「元気だった?あのね、私ね…っ」

しかし

「ま、待って下さい…まだ、話が…」

少々戸惑った様子で私を見つめるリン。

「ん、ん…?」

どうして…?握る手の力を緩めて思考を巡らす。

「あぁぁ…ゴ、ゴメン!厚かましいよね私、自分がこんな状況なのに…」

そうだ。ポルドに貰われる身の分際で、何を一方的に浮かれているんだ私は…

「えっと…ま、まずは…この度は色々とご迷惑をお掛けしてすいません。お世話になります、よろしくお願いします…」

背筋を伸ばし、一国の未来の女王であるリンに改めて頭を下げる。すると彼女は、違うんですと慌ててまた私の手を取り顔を上げさせた。

「そうじゃなくて名無しさんさん…まだ、これも…」

「へ…?」

苦く笑う彼女の視線が私の腕に落ちた。つられて私もそこを見る…と、


「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁ…!!」


それは言うならば…足下に散らばる小石に躓きそうになり寸前で躱してホッと胸を撫で下ろしたところでいきなり頭に隕石が落ちてきたみたいな…そんな空前絶後の衝撃であった。

「な、何、これ…」

何と私の両腕には耳なし芳一の如く、つらづらと油性ペンで文字が書き込まれていたのだ。


『ポルドの花畑にはリン以外と行くな!シャチ』


『ちゃんとご飯食べて、早寝早起きして、変な人には付いていっちゃダメだよ。ベポ』


『貰った物を勝手に捨てるな…最後まで大事に使え。本も簡単に手放すな…常に手元に置いておけ。勉強は続けろ…知識もまた武器となる。叩いてすまなかった…許せ』


ペンギンさんであろう筆体の文は、彼の性格故かあまりにも長すぎて左腕一本を丸々使い切っていた。この文面はまるで父親のようだ。ベポに至っては母親視点であり、そうなるとシャチはいわば…兄貴。立派な家族だ。

「私が迎えに行った時は…Tシャツ、捲ってましたよ…」

「う、うそ…」

恐る恐るお腹を見る…と、


『●触るな危険●』


「がぁ…!」

でかでかと書かれたその文字の周りにはインクをたっぷり付けたのだろうベポの肉球印やその他諸々…とにかく腕よりも更に賑やかな事になっていた。

「寄せ書きだって言ってました。お前も書けって言われて私も書いたんですよ?ほら、このハートマーク。でも落ちるのかな、これ…」

腹の端にある可愛いハートマークを指でなぞりながら呑気に小首を傾げたリン。

「ハ、ハハ、ハハハ…」

笑おうにも口角がヒクついてそこに至れない私。

さすがにこの時ばかりは、決別の悲しさなど天高くぶっ飛んでいた。


ガチャ…


「おやおや、一通り目を通されましたようですな。なかなかの傑作です。」

そこに、ポルド衣装のルジョルさんが微笑みながら部屋に入って来た。彼は握手を交わすとそのまま私の手の甲にキスをした。私はまず挨拶をしようと畏まる。

「ルジョルさんあの、この度はすい…」

「名無しさん様…色々とお辛い事もあったかと思いますが、どうかこれからは気を楽に、少しずつ新しい生活に慣れていって下さいませ。」

「あ…は、はい…」

「国王様もまた貴方様にお会い出来る事を大変楽しみにされておりますよ。」

相変わらず彼は私の礼や謝罪の言葉を遮るのがうまい。いつも物腰は柔らかいが同時に隙のなさも窺える。年の功だろうか…違う、彼はきっと昔からこんな風に厳しくも篤厚な人なのであろう。

「ありがとうございます。」

下げかけた頭を上げてルジョルさんに笑顔を向けた。すると、その肩越しでスリと目が合った。気付いたルジョルさんが身体を少し左にずらす。

「スリ…」

壁に凭れる彼もまたポルドの衣装を着ていた。そして不機嫌なのだろう…剣呑なその目はすぐに逸らされた。

…『あの人は今、スリに頭を下げに行ってるって事だ』

ペンギンさんの言葉を思い出し一拍逡巡するも、私は平常を装い口を開く。

「久しぶり…」

「あぁ。」

「元気だった…?」

「まあね…あんたも思ったより元気そうで何よりだ。」

棘のある声色…

「スリ、あの、さっき…」

トラファルガー・ローと何を話したの?

「さっき船長と…」

「名無しさんさんっ」

聞きたかった疑問の途中、リンが割って入ってきた。

「まずお風呂入りましょうか。寝汗もかいてたし、それにその寄せ書きも、たぶん何回か洗わないと落ちないだろうし…ね?」

「え?う、うん。」

「ルジョル、私の部屋にいるから、夕食の時間になったら呼びに来て。」

「はい、かしこまりました。名無しさん様、どうぞごゆっくり。」

「はい…」

まるでスリから引き離すかのようにリンは私の手を引いた。スリも何も言わずに前を見据えるだけで私達とは目を合わさなかった。何だろう…モヤモヤする。根拠のない違和感が胸に湧き上がった。










「今日は好物の焼き魚だよぉ?残さず食べなさい?」

ガタリ…

食堂に着けばすぐにコックがトレイを置いた。見ればトラファルガー・ローの好物ばかりだ。栄養配分よりも個人の嗜好を重視した献立はこのコックにしては至極珍しい。

「これから淋しくなるねぇ…」

コックはテーブルの横に立ったままおもむろに話し出す。

「俺なんかねぇ、名無しさんちゃんが船にいる時は忙しさにかまけて何も思いもしなかったのによぉ?居なくなった途端、もっと料理を教えてやればよかったなぁ…なんて思ったりしてよぉ。ガヘヘヘ!あの子、パンもろくに焼けなかったろう?情けねぇが、それが俺の後悔だ。」

「……」

「だが時間を巻き戻す事は誰にも出来ない、後悔先に立たずとはよく言ったもんだぁ。どんなに後髪引かれようとも、それでも人は飯を食って明日をまた生きなきゃならないからなぁ。これで良かったんだと、そう信じて進んでいくしかないんだ。」

トラファルガー・ローは好物に箸を付け、耳だけを傾ける。

「俺だったらぁ…惚れた女を離したくないと目先の感情に囚われて、守れずに失う未来なんざ見て見ぬふりさぁ?それが一番残酷だと知りながら、それが一番簡単だからだ。」

「……」

「だけどあんたは違う。あんたは男だよ…さすがは俺達の船長だ。」

ポンと肩を叩いたコックが厨房に戻った後も変わらず箸を動かした。腹が減っている訳ではない。ただコックの言葉を好物と一緒に咀嚼して喉の奥に流し込んでいた。

すると…

「うーすっ…」

斜向いの席にガタガタと無駄な音を立てながらシャチが腰を下ろしてきた。

「飯食ったんだろ」

「いいじゃないっすか別に…」

かなり項垂れているシャチがわざわざトラファルガー・ローに向き合うのは悶々としている証拠…これも定石だ。

「言いたい事があんなら早く言え…そんなツラ見せられたら飯が不味くなる」

「ひっでぇ…」

溶けた氷のようにテーブルに突っ伏すシャチはそのまま声だけをトラファルガー・ローに向けた。

「俺がリンにしてやれる事は…?」

そこで初めて、箸が止まる。

「俺が…してやれる事は?」

同じ質問を繰り返すあたりさぞ困惑しているのだろう。萎えたちょんまげを暫し見遣ってから、トラファルガー・ローは敢えて平淡な口調を刺した。

「リンの病気は本人も受け入れてる現実だ…KRNDは発症したら余命は半年、今の医学じゃ進行を遅らせる事すら出来ねぇ難病…」

「……」

「お前が気を病むんじゃねぇ、自分に置き換えろ…」

シャチの肩がふるふると震え出す。

「手足が動かなくなる前に、目が見えなくなる前に…お前だったら、惚れた女と何をしたい」

「…つ…っ」

「簡単な話だろが…」

「…ぐっ…っ」

「お前はいつも通りのお前で、ただ笑って一緒にいてやれば…それでいいんだ」

崩れたシャチを見守る。直情はどこまでも直情で…こいつは色々損な役回りが多いのかもしれない。

リンはKRNDとう難病を患っていてすでに発症している。この病気は手足の痺れから始まり、半年をかけて身体の自由を奪いそして死に至る。

リンもその事は知っているし俺達にも伝えられていた。だが、名無しさんにだけは知らせないで欲しいと言う。訳など聞かない、あいつがそんな事を知ったら正気でなんかいられる筈がないからだ。

だがいずれは分かる…リンの身体が動かなくなり目が見えなくなった頃に。そしてそうなった時はもうカウントの段だ。

…『出来るだけ名無しさんさんとは…いっぱい笑って過ごしたいから』

電伝虫の向こうで笑っていたその声は明らかに涙混じりだった。

箸を置いたトラファルガー・ローは苦虫を噛み潰した。リンを思い、シャチを思い、そして…名無しさんを想う。

「思い出もまた…永遠だ」

誰に言うでもない言霊は、ふわりと浮かんで行き場を失くしパチンと弾けて床に落ちた。
























…時間よ、止まれ

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