《5》

□春告げ鳥
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別れの島の輪郭が水平線からぼんやりと顔を出し始めた





ログは丸3日のバンナ島。だが島に着いたらすぐにポルドの船に移る予定になっている私はシャチと一緒に少し早めの昼食を摂りながら刻々と迫り来るその時を船長室で待っていた。

「昼過ぎに島に着く。ポルドの船は今朝方港に入ったらしい…てことはつまり、アレだな…出港は、お前達が先って事になる。」

「うん…」

「忘れ物とかあったら…それまでに取りに来ればいい。な?」

「うん…」

「あとは…何だ…もし何か、言い忘れた事とかあったら…それも言いに来ればいい。な?」

「うん…」

神妙な面持ちでそう話すシャチと、同じく神妙な面持ちで頷く私。

しかし内心、可笑しくて仕方がなかった。何故ならば彼はさっきからずっと、ソファで向かい合う私ではなくテーブルに置かれている焼き魚に向かって懸命に話をしているのだ。すっかり冷めたその魚は焼けた我が身を解される事なく、まるで本当に相槌を打っているかのように彼と視線を交錯させていた。

「あぁ、あと…コックがよ、肉巻きチーズを山ほど作ったからお前に持たせてやってくれって。それも、忘れずに…」

「うん…」

「あとは…何だ。ないか…」

その神妙ながらも微笑ましい彼の姿に目を細め、そっと心に焼き付ける。

最後にもう一度、あの太陽のような笑顔を見たかったな…

シャチとはいっぱい傷付け合った。でも泣いて笑って縋り合った日々は今でもこの胸に深く刻まれている…そんな甘くて酸っぱい感傷が喉元に込み上げていた。

ぐらり…

暫くしてちょうど2人共が箸を置いた頃、船が左右に大きく揺れた。どうやら接岸したようだ。帆を畳み錨を降ろすクルー達の喧騒が扉の向こうから俄かに伝わる。

私は立ち上がって窓を覗いた。見れば雄大な深緑の岳が港のすぐそばまで裾野を広げており、此処から窺える空の面積を半分以上その稜線に覆い隠していた。

そして宿り木だろうか…小さな鳥の群れが山のてっぺんの木の葉を揺らし、物凄い数で奏でられる賑やかな鳴き声が、山に弾かれ潮風に乗ってこの船まで流れ着いてきた。

しかしふと、何かの音に驚いたのだろう鳥達は一斉に空へ飛び立った。舞い散る羽根は風に任せ、群れはもつれ合うように山の向こう側へと消えていった。

窓の手前の机に手を乗せ、余韻を孕む木々の揺れを凝視していた。その時

コンコンコン

ガチャ…

「着いたぞ。名無しさん、支度は?」

一仕事終えたのだろう、袖を捲ったペンギンさんが船長室に入ってきた。

「あ、はい…大丈夫です。」

「リンが迎えに来る。お前はここで待機だ。」

端的にそう言いつつ彼はつかつかと一直線にソファに歩み寄った。そして何をするのかと思えば、項垂れるように鎮座するシャチの背後で足を止め、いきなり…

…バゴっ!

彼の頭を思いっ切り、上から叩いた。

「い"い"っっっ…!!」

突然の暴挙にシャチは怯み、ちょんまげ頭を抱えながら振り返った。涙目だ。私も唖然とペンギンさんを見遣る。

「な、何す…っ!」

「そんなしけたツラして、お前は一体誰気取りだ。」

「あ…っ?!」

気色ばんだ目を向けるシャチ。しかしペンギンさんは狷介な然を返す。

「そんな顔をしていいのはあの人と名無しさんだけだ。それから泣いていいのはベポだけだ。お前のそんなツラ、泣きも…何の足しにもなりはしない。」

「……」

その低い気圧に、シャチは溜飲を下げる他なかった様だ。

「名無しさん…」

「へ…」

次にペンギンさんは射るように私を見据えてきた。今日の彼はいつもと違う…この時はまだその事に気付かないでいた。

「さっき船長がポルドの船に出向いた。今回、国王は公務で来ていない。実質、スリがトップの立ち位置だ。言ってる意味が分かるか?」

「え…?」

分から、ない…

「考えろ。」

「……」

まるで怒られている子供みたに必死に目で言葉を探す私を彼は待った。しかしタイムリミットは短くて、すぐに次の言葉が降ってかかる。

「あの人は今、スリに頭を下げに行ってるって事だ。」

「は…?」

険を孕んで彼を見返す。

「何、で…」

「今までのお前の事、これからのお前の事…曲解のない了を得るまで説示に努める。膝を突けと言われれば突き、頬を出せと言われれば差し出すだろう。」

…『トラファルガー・ローを一発ぶん殴らせろ』

あぁ…そういえばスリがご立腹だと、前にシャチが言っていた。

「……」

震えそうになる膝に精一杯力を入れて、私は垂れ込むように声を発した。

「させないで下さい…」

私の為に、誰かに頭を下げるトラファルガー・ローなんて…

「そんな事…彼にさせないで下さい。」

憤る私にしかしペンギンさんは何故か口端を引き上げた。そして腐すようにこう言ってきた。

「仮にも懸賞金2億の男が、拳を畳んで自ら泥水を飲むんだ。お前という一人の女の為に…」

「……」

「フフ…罪な女だな。」

「…っ!」

揶揄されてカッと頭に血が上った。だから身体が勝手に扉へと走り出していた。

「く…っ!」

しかしペンギンさんの横をすり抜ける事は叶わず、ガシリと二の腕を掴まれた。

「どうした?」

「離してっ…」

「離してどうする…」

「止めに行くにっ…決まってるでしょ?!」

「お前の出る幕はない。これもいわば、外交だ。」

「じゃあ、何でっ…私に教えたの?!そんな事聞かされて、黙ってられる訳ないって分かってるでしょ…?!」

掴まれた腕は明らかに力が加減されている。だが一向に振り払う事が出来ない。

「私はっ、そんな事されてまでポルドに行きたくない…!頭下げてまでどうか貰ってやって下さいだなんて…そんな事、望んでないっ…!」

「甘ったれるな…お前がポルド以外、何処でどうやって一人で生きていける。男に嬲り物にされて、奴隷のように扱われるだけだろうが…」

煽られている…そう分かっていても悔しくて悔しくて…

「奴隷?嬲り物?だから何…!どうせ私なんか誰にも必要とされてないゴミみたいなもんなんだから…!生きてたってしょうがないっ…生きてる意味がないっ!価値もないっ!何なら今ここで…嬲り殺してくれたほうがよっぽど…っ」

パシン…!

「っ…!」

頬に衝撃が走り、視界が横にずれた。

一瞬何が起こったのか分からなくて…でもペンギンさんに引っ叩かれたのだとすぐに解した。

「……」

「……」

ジンジンと脈打つ頬の痺れも構わず私は彼を低く睨みつける。

「何すんの…」

「もういっぺん言ってみろ…」

ペンギンさんは憤懣の意を露わに私を見下ろしていた。そのあまりにも恐ろしく冷たい空気に全身が一気に総毛立つ。

「もういっぺん…言ってみろよ。」

にじり寄られて思わず後退った。彼は私の腕をまた掴もうと手を伸ばしてくる。

…恐、い

「モス、ボル…!」

こんな事するつもりなんてなかった。だけど彼という恐怖に呑まれ平常のメーターが振り切れたのだ。

私はペンギンさんの顔に向かって右の手を翳し、鉛の空気を至近距離から弾き出した。

しかしペンギンさんはそれを余裕の態で腕に受けると、私の口を手で塞ぎその勢いのままにベッドへ引き摺り込んで上から押さえ付けてきた。

「ふっ…ん…ぐぅ!」

そこからは容赦のない粗悪な力に変わった。まるで私を敵と見做しているような…

「シャチ、あの薬。」

「あ、あぁ…」

私を見下ろしたままのペンギンさんの示唆にシャチは薬品棚へ走り出した。耳の奥には低い声が滑り込む。

「前に言ったよな?俺から逃げたいなら俺を殺せと。尖った爪の使い方も知らない子猫のくせに、一体どういうつもりだ…」

「っ…、…っっ!」

顎まで押さえ付けられて呪文を唱える事もその手に噛み付く事も出来ない。袖を捲ったままの彼の腕からは、皮膚に開いた数個の穴からボタボタと鮮血が滴り落ちている。

彼はそのまま顔を寄せた。そして瞳孔を見開き…

「何ですぐ噛み付く…!何ですぐ刹那に走る…!直情径行なのは結構だが、誰かに煽られる度にそうやっていつも捨て鉢になるのか…?!これから先、お前に何かあっても俺達はもうそばにいてお前を守ってやれないんだぞ…!」

ビクッ…

「自重しろ!踏みとどまる事を覚えろ!誰に何を言われようとも絶対に流されるな!お前には…繋がる未来があるんだ…!」

怒鳴りつけられて…頭が真っ白になった

「…っ」

この人が最後に私に残したかったものとは、一体…

と、その時…暴れて汗ばんだ肌にチクリと微かな痛みが走った。どうやらシャチが私の腕に薬を打ったようだ。

「10秒で堕ちる…」

静脈から冷気が伝い、すぐに思考があやふやになる。ペンギンさんはゆっくりと手を離し脱力していく私を見守った。私は肺の中いっぱいに息を吸い込みそして血の滴る彼の傷口に震える手をそっと伸ばした。

「ごめ、…」

「平気だ。」

「私、…」

そこでプツリ…意識が途切れた。










「ふぅ…何でわざわざこんな事した。こいつを叱正すのはお前じゃない、あの人の役目だろ。それとも何だ、やっぱまだ未練タラタラか…」

溜息と共に注射器を置いたシャチはガーゼを手渡しながらペンギンさんに問い掛けた。

「そんなんじゃない…」

ペンギンさんは身体を起こし傷口を手早く処置して白い袖を下ろす。

「ただの…やっかみだ。」

「あぁ…?」

「こいつもあの人も不器用過ぎて、見ていて実に腹立たしい。だから振られた側の腹いせとして少し虐めてやっただけだ。それに、最後にもう一度だけこいつに触りたかった。こうでもしないともう…触れないだろ?」

「お、お前は…とことん悪辣な男だ…」

私の髪を撫でながらふわりと笑みを浮かべたペンギンさんに、シャチは呆れて言葉をなくした。

「フフ…で、お前はどうなんだ…?」

「何がだ…」

「お前は、最後にこいつに何をしたい…?」

「お…おぉ??」

まるで点火した爆弾を突然渡されたみたいに慄いたシャチだが、しかしそのまま眉根を寄せて考え込んだ。

そんな事言われたら、アレもしたいしコレもしたい…思い浮かぶは何とも不埒な事ばかりで。蓋をするのに随分と時間が掛かった。

「あ、…アレだ。」

やっと何かを思い付いたのか、ポンと拳を手のひらに落としたシャチはゴソゴソ…ポケットから何かを取り出す。

「へへへ…コレ。」

「……だな。」

2人はニヤリと笑ってハイタッチを交わすと寝ている私の身体に手を伸ばし…すぐにその行為に取り掛かった。

























…お前に、悪戯したい

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