《5》

□行雲の日々
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足早に通り過ぎていく日々。それはまるで流水に身を任せる木の葉の如く、ポルドでの新しい生活にすんなりと私を溶け込ませた。

淋しくないと言ったら嘘になる。寝る前のひと時にふとあの船での出来事やトラファルガー・ローを思ったり。

だけど朝になればまたリンや国王様達に温かく見守られながら懸命に顔を上げ前だけを見据えて毎日を生きた。

『暫くは城の敷地から出ない事』

私に厳しく課せられたポルドでの約束事は、それと『禁酒』のただ2つのみ。

大好きなピリッと辛口・ポルドのビールを飲めないのは少々残念な気もしたが、しかし暫くして気付いたのはそういえば城にいる人間誰一人として酒を口にしていないという事。

「国王様も禁酒してるんですか?」

ある日の晩、食後の紅茶を啜りながら何の気なくそんな事を聞いた事がある。すると国王様はふと瞳を揺らしそれからいつもの豪快な笑顔を向けてこう言った。

「願掛けってやつかな。それも2つ…いや、3つ分だっ!1つはロー君達の一路順風。後の2つは君と…リンの事かな。まぁ、いずれ分かるさ。」

全部叶うといいですね…だなんてその時言った自分。後で全てを知った時、そんな軽い言葉を笑って口にしていた事を私は恥じた。

日常としては、週に3日のペースでライルが城に遊びに来ていた。彼女の勢いは相変わらずで、毎回毎回ペンギンさん情報を根掘り葉堀り聞き出され、それが終わると今度は一緒に女海賊団を結成しましょう!と勧誘を受ける。

「勿論名無しさんさんが船長で、私が副船長!…後はぁ、団名大事ですよ、どうしましょうか…っ、あっ!そうだ!ペンギン海賊団とかは?!」

意気軒昂な彼女を見送る度に疲弊しきっている私を、リンはお腹を抱えながらいつもコロコロと笑っていた。

スリは普段忙しいようであまり顔を合わす機会がなかった。でも私が彼のお母さんのお墓に毎日花を供えている事をルジョルさんから聞かされると、それからは一緒にお墓の前に座り込んで今までやこれからの事を普通に話すようになった。

ある時、私は自分の母親に会った時の事やゲンという恩人の存在を包み隠さず全て話した。すると…

「あんたの母親…生きてるよ。」

何故か悔しそうに顔を顰めながら彼はそう言った。死んだほうが楽だったかもしれない、全身に包帯を巻いていて口だけ動くまるでミイラだ…とも。

あの爆発の中、血に染まる紅い翼で母を助けたというゲン。驚いた事に彼の最後の雇い主は、母ではなく革命軍であったという。

その目的は…『ミアン暗殺』

大気の能力がもしも政府の手に収まればこの海は鬼哭啾啾となる。母という立場を利用し私の能力を政府に献上しようと自身の巨利に固執していた彼女は革命軍にとって正に万障の存在であったのだ。

しかしかといって革命軍側が私や私の能力を欲っしている訳ではない…と、スリは最後に強く付け足した。

「ゲン、は…」

「は…?」

「ゲンは…どこに…」

私の言葉に目を丸くしたスリ。自分の母親よりゲンを案じたのだから当たり前の反応であろう。

「ゲンは近海に待機していた革命軍の艦まであんたの母親を運んで、息絶えたそうだ…」

「……」

「Wミアンを生かせWと…言ったらしい。確かに利用価値はある。だからあんたの母親は今、革命軍に生かされてるんだ。」

ゲン…

…『全てを任せてもらうとしよう…』

あの時、彼は私に聞いた…母を殺してもいいかと。しかし私は言った…父が愛した母だから、と。

ゲンは私の意思を汲み取り、母を生かした?そして、仲間の元へと…

「ごめん…スリ。泣かないけどちょっとだけ…胸、貸して…」

私はスリの胸の中に顔を埋め、溢れそうになる涙を必死に堪えながらゲンを偲んだ。

「母にはいつか会いに行く。その時はスリも…一緒に来てね…」

スリは何も言わずにそっと私を腕に包むと、ただただ遠い空を見上げていた。




















穏やかに流れていく日々にいつしか淋しさを感じなくなったのはポルドに来て3ヶ月が過ぎた頃だった。

そして現実が目まぐるしく動き出したのも、その頃だ。

最近やけに眠くて身体が怠い。微熱も続いていて一日中部屋でゴロゴロしている事が増えた。そんな私の変化を敏感に察したリンが部屋に医者を呼び、大丈夫だと言い張る私に無理矢理診察を受けさせた。

すると女性の医者は変わった問診の後に変わった診察をして最後に一言、こう言ってきたのだ。


「おめでとうございます。」


間の抜けた顔でリンを窺えば、彼女まで満面の笑みで此方を見ている。

「計算するに現在14週目くらいでしょうかね。順調ですよ。」

それは、つまり…

「赤っ…赤っ…赤っ…赤っ…」

「はい。名無しさん様…貴方様のお腹の中に、赤ちゃんがいるって事ですよ。」

暫くの間、医者を睨んだまま固まった私は…

「ぎゃああああああああ…!!」

ポルドの城が…大きく揺れた。

「だから禁酒っ、それとコーヒーじゃなくて紅茶っ、だったんですよ?あ、でも紅茶じゃなくて正確にはルイボスティっていうんですけどね。茶葉をシャチさんからいっぱい渡されたんで。ちなみにポルドの船のコーヒーもノンカフェインのものでした。でもあれはあんまり…美味しくなかったですよね、アハハ。」

「リ、リン…」

「お父様の願掛けの1つも、名無しさんさんが無事に命を授かりますように…です。後はあの船を出る時に貴方が打たれた薬も、勿論赤ちゃんに影響のない物です。」

医者が帰ってから聞けばリンはあっけらかんと答えた。傍目八目とはこの事か。

「な、何でそんな皆…私がローの子を宿すって、確信してたの…」

「それは…ローさんが貴方を守る為にそう強く願ったからだって、ペンギンさんが言ってました。だけどもしもの場合も想定して、はっきりするまでは本人には伏せておくようにって。」

…『お前には繋がる未来があるんだ』

ふとペンギンさんの言葉が蘇る。ついでに、シャチが書いたお腹の寄せ書きも。

「……」

最後に身体を重ねたあの夜、愛してるという言葉の代わりにトラファルガー・ローが私にくれたもの。

それは生きる事、生きてまた会う事、そしてその先を共に歩む事を誓う永遠という名の絆。

「名無しさんさん、おめでとう。」

「う、うん…ありがと…」

何故だか恥ずかしくなって顔を真っ赤にした私はベッドに寝そべったままそっとお腹に触れてみた。

今までと何も変わらないペタンコなこのお腹の中に、新しい小さな命が生きているだなんて。

「ロー…っ」

急に彼が恋しくなった。
そして泣きたい…だけど、我慢だ。

だって…

…『泣くな、笑え』

ギリっと奥歯を噛み、左手の薬指に輝く指輪を右手に握り締め彼のいる海に思いを馳せる。と、その様子を見遣っていたリンがゆっくりと私のお腹を撫でてきて嬉しそうに呟いた。

「男の子かな…女の子かな…」

「ん…」

「見たい、な…。2人の赤ちゃん。」

「え…?」

また…この不安感。

彼女の言葉に私は眉を寄せ、その手をガバリと掴んだ。リンはビックリして肩を竦ませる。

「リン。」

「は、はい…」

「赤ちゃん産まれたらさ、リンが1番最初に抱っこするって指切りしよっか。」

「え…?」

酷く狼狽える彼女に構わず指を絡め、私は大きな声で歌い出した。

「せーの!指切りげんまんっ…嘘ついたら針千本飲ーますっ…」

「……」

「指切ーーーったっ…!」

無理矢理切った小指と小指。だけどこんなの、私の不安を振り払うだけのただの独りよがりだったのでは?彼女にとっては迷惑な事でしかなかったのでは?

知りたくともその答えは…もう届かぬ空の彼方に。





















少しずつ大きくなっていくお腹。リンは毎日私のお腹に話し掛け、そしてポルドの歌を楽しそうに唄う。

「あっ…今、動いたよ…!」

「本当に…?!わぁ、触らせてーっ。」

そんな賑やかな日々が日常だった。これからもずっと続いていくと思った。だってそれが私にとっての、当たり前に繰り返す毎日だったんだから…

ちょうど私が8ヶ月目に入ったその日の朝も、一緒に食堂でご飯を食べるいつもと変わらない朝。

…の、筈だった。


ガシャン…っ!!


突然、正面に座るリンの手からグラスが滑り落ちテーブルに砕けた。冷たい水はクロスに染みるより先にポタポタと彼女の膝に滴っていく。驚いてリンを見遣るとその手はガクガクと震え、焦点があやふやになっている。

「リン…?!」

お腹が大きい私はすぐに彼女のそばまで回り込む事が出来なくて、とにかく椅子から立ち上がり手元のナプキンで彼女に向かって流れる水を堰き止めた。

「誰かっ!医者をっ…!早くっっ!!」

異変に気付いた給仕達はもうとっくに医者を呼びに行っていた。それにルジョルさんもすぐに駆け付けた。でも…

「早く!医者を呼んでぇぇぇっっ!!」

私はずっと…叫び続けていた。


「KRND…」


部屋に運ばれたリンは何種かの薬を打たれると痙攣も落ち着きそのまま眠りについた。しかしグラスを落とした側の手は石のように硬い。

身重の私を椅子に座らせた国王様は立ったまま病気の説明をする。

徐々に身体が動かなくなる事、目が見えなくなる事、そしてこの段に入れば余命は1ヶ月である事。

「そんな…」

絶望の淵に…頭を抱える。

「ねぇ、リン…」

眠っているリンの手を取り、再び小指を絡ませた。

「赤ちゃん、もうすぐ産まれるよ…?あと、もう少しだよ…?」

この前はあんなに柔らかくて温かかったのに今ではまるで人形の指のようで。

何故、私は今まで気付かなかった?いつも一緒にいたのに何故、日々渇いていく彼女の身体の変化を見過ごしていた?

悔しさで肩が震える。すると国王様がそっと手を差し伸べ私の背中を摩った。

「名無しさんさん…病気の事、黙っていてすまなかったね。でも、これだけはどうしてもってリンが譲らなかったんだよ。」

「……」

「実はもう、目のかすみもだいぶ進行している。だからそろそろ車椅子での生活が始まるんだ。だがね、耳は最後まで聞こえるそうだから、貴方の元気な声をどうかこれからも…リンに聞かせてやってくれないかな。」

振り返り見れば、国王様は気丈にも微笑んでいた。その姿が返って切なくて途端目の奥が熱くなる。

「はい…勿論です。」

でもここで私が揺るぎなくそう答える事が出来たのは、やはりあの最後の船長命令があったからだ。

数日後から車椅子の生活に移行したリン。私がその背を押して城内を散歩するのがこの足早に流れ行く日々の新しい日常となった。

春島のポルドにはいつだって色とりどりの花が咲き誇り、その甘い匂いと降り注ぐ柔らかな日差しに心がほだされ顔が綻ぶ。風はフワリと頬を擽り髪を弄んでは空に逃げていく可愛い悪戯っ子だ。

「はいっ…じゃあ、この花は何色??」

散歩中に必ずする事が1つ、それは『花の色当てクイズ』。あの時、彼女が小箱のリボンを一緒に解いてくれたように私もそっと手を添えて、もう動かない彼女の両の手に花を握らせる。

「ん〜…黄色、じゃなくて…白…?」

「おぉっ、正解っ…!ハハ!」

「やったぁ…!アハハ!」

私を見ているようで見ていない彼女の曖昧な視線。それでも私達は見つめ合い、時に全てを委ねながら…笑っていた。




















その日の空は、海をも灼き尽くす鮮やかな緋色だった。窓から射し込むその色に部屋は静かに染まり、立ち尽くす私達には深い影を齎す。

ぼんやりと開くもう何も見えない彼女の瞳は出会ったあの日と全く同じで見惚れる程に深く美しい漆黒。唇だって頬だって何も変わってなんかいない。

なのに、それなのに…

浅い呼吸を繰り返すリンは、国王様、スリ、ルジョルさん、そして私が見守る中で最期の時を迎える。

「お父、様…」

「あぁ、いるよ…大丈夫だ。」

「ス、リ…」

「何も心配しなくていい、後は全部俺に任せろ。」

「ル…ジョル…」

「はい…リン、様…っ…」

皆が順番にリンの手の甲にキスをする。隠し切れなかったルジョルさんの涙だけが彼女の指を濡らした。

そして…

「名無しさん、さ…ん…」

床に膝を突いた私もそっとリンの手にキスを落とし、そのままギュッと握り締めた。彼女の胸にはシャチから貰った可愛いテディベアがずっと置かれている。

「リン…」

あぁ…神様
お願いだから、まだ…

「赤…ちゃ、ん…」

「うん…」

「楽、し…み…」

「うん…」

最期まで微笑んでいたリンは静かにゆっくりと…まるで風に舞い上がる花びらの如く、シャチの心にいつもあるあの緋色の空へと旅立っていった。

























…指切り、嬉しかった
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