書庫<幕恋:短編メイン>

□花に誓う
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桜の下には鬼が棲むという・・・

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「大久保様、お手紙が届いております」

差出人は小松殿か。
早速開けてみると、それは花見会への招待だった。

「宇治か。そうだな・・・今頃はさぞや美しいであろう」
書面からふと目を上げて外を見れば、柔らかな春の日差しが庭に注いでいる。

日々の雑務に追われ、春が来た事はわかっていても、それを花見の様な行楽に結びつける心の余裕がなかった。
特にここ数日は、名無しと一緒の時間も朝餉の時に限られ、向かいの膳につきながら名無しが私の方へ時々曇った表情で視線を投げていたのに気がついていた。

小松殿の誘いはいずれにしろ断れるものでもないし、せっかくの機会だから名無しにも着物を新調して一緒に出掛けるとするか・・・。
美しく装った名無しが満開の桜と並ぶ姿は、さぞ愛らしいだろうな。
思わず笑みが漏れる。


「小娘、開けるぞ」

名無しの部屋の障子を開けると、机に向かって書の練習をしている名無しの姿があった。

「ほう。手習いか? 小娘にしては殊勝な心がけだな」

「大久保さん!・・・手習いっていうか、ちょっとぐらいは時間を有意義に使いたいなって思って。
一人で出掛けちゃいけないって大久保さんが言うし、じゃあ何かお手伝いしようと思っても皆さんから『お嬢さん、とんでもない!』って断られちゃうし。
する事・・・ないんですもん」

そう言って、つまらなそうに筆を置く。
退屈というよりは、たった一人で心細い思いをしていたのだろう。可哀想な事をした。

「仕事の付き合いで近く出掛ける事になる。それにおまえも連れて行こうと思っているが、一緒に来るか?」

「お仕事の席に私なんかが行ってもいいんですか?」

まだ拗ねた気分が残っているらしく、猜疑心に満ちた目で私を見ている。

「まあ仕事と行っても、難しい事ではない。ただの付き合いだ。
宇治の花見に招かれている」

「わぁっ!お花見ですかっ?!」

そう叫ぶと、さっきまでの拗ねた様子が嘘の様に消え、瞳が輝いている。

「花見は明後日だ。宇治はここからさほど遠くはないが、一晩向こうに泊まる事になろう。夜桜を愛でながらの酒宴もあるだろうからな。そのつもりで用意しておくように」

「はい!」

と元気よく返事をするものの、名無しは既にどこか心ここにあらずの風情だ。
何をどう準備すればいいのか、悩み始めたところなのだろう。


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「ちょっと出掛けてくる」

そう、藩邸のものに伝えると、馴染みの呉服屋へと行った。

「これは、これは、薩摩の大久保様。ようこそお出でくださいました。今日は何をご用意させて頂けましょうか?」

「振袖が欲しいのだ。藩の花見会に出るためのものだから、単に華やかなだけではなく、それなりに品と格式のあるものが良い」

「左様でございますか。それでしたら・・・」

主人と暫くあれこれ話し合いながら、名無しに似合いそうなものを選び、藩邸に届けて貰うようにした。

急な話で主人は恐らく困った事であろうが、得意先である薩摩にそんなそぶりは、さすがに見せはしない。

出来あがった振袖を着て、桜の下に佇む名無しを想像すると、つい自分の口元がほころぶのがわかる。
花見会など、いつもであれば厄介な義務でしかないのだが、私もどうやら浮かれ気味になっているようだ。

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