書庫<幕恋:短編メイン>
□何故?
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近くても、手の届かない人・・・
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「ねぇ、慎ちゃん。どっちがいいかな?」
「え〜、そんなの姉さんの好きな方にすれば良いっスよ」
「そんな事言わないでよ〜。一応、男の人の意見を参考にしたいんだから」
そう言って、両手に櫛を持って髪にかざして見せる。
俺は結局『一応』男の人でしかないんだよね。
姉さんの周りには、世の中を動かす大きな人たちが集まり過ぎている。
しかも、どの人も姉さんに心底入れこんでいるんだから・・・。
龍馬さんはもちろん、あの武市さん、長州の高杉さんや桂さんに、挙句は薩摩の大久保さんまで。
スゴいよ・・・姉さんは。
これじゃ、俺なんてものの数にも入らない。
姉さんにすれば、俺が一番気のおけない相手かもしれないけど、それは結局のところ特別な想いを寄せる候補にはならないって事なんだよね。
つい考えてしまうのは、
姉さんが・・・いや、名無しさんが、誰にその心を預けるのだろうって事。
心だけじゃない・・・名無しさんは誰に全てを委ねるんだろう?
出来る事なら、こうして一緒に出掛けた機会に、名無しさんを遠くへさらって行きたくなる。
他の皆のいない所へ、俺だけを見てくれる所へ・・・。
そしたら、名無しさんは、『慎ちゃん』じゃなく『慎太郎さん』って呼んで、俺に全てを預けてくれるのだろうか?
・・・そんなのやっぱり無理だよね。
楽しげに櫛を選んでいる名無しさんを見ていると、本当にやりきれない気がする。
「慎ちゃん!何よ、大きなため息なんかついちゃって〜!
女の子には、こういうのはすごく大事な事なのよ!」
「・・・すいません、姉さん」
「ん〜、やっぱりこっちにしよう。お花模様だけど、紫色なのが可愛すぎなくていいよね?」
「いいっスね・・・」
「あ、それ『どうでもいい』って言い方じゃない?」
「違うっスよ!」
「ふ〜ん?・・・ならいいんだけど」
やっと櫛を買い終わって名無しさんがお世話になっている薩摩藩邸へ向かう。
大久保さん・・・役得だよな。
名無しさんと同じ屋根の下なんだから。
せめてもの慰めは、名無しさんが薩摩藩邸に居るせいで、他の皆は手の出し様がないって事。
・・・なんて思う俺・・・やっぱ器が小さいかな。
「あ、姉さん、ちょっと・・」
立ち止まる名無しさんの髪から、風に吹かれて来た花びらを取ってやる。
「ありがと!」
そう言って可愛らしくも艶やかに微笑む。
このまま連れ去りたい・・・よ。本当に。
薩摩藩邸に送って行く、っていうより、何だか大久保さんに名無しさんを返しに行くみたいで、すごく嫌だよ。
名無しさん・・・どうして俺じゃ駄目なんですか?
想いだけなら、誰にも負けないのに・・・。
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