書庫<幕恋:短編メイン>
□春の雪
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春空に舞うのは、花びらか、雪か・・・
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春なのに、急に冷え込んでしまった。
空から舞い降りて来るのは・・・雪。
まるで綿毛の様に軽やかで儚い。
名無しさんに出逢い、春の日差しの様な明るさと無邪気さ、そして花に例えるならまさに桜を思わせる可憐な少女に魅せられた。
まだ蕾の清楚な秘密を持ちながら、将来はどんなに美しく艶やかになるであろうかと、見るものの想像をかきたてて止まない不思議な魅了を持つ名無しさん。
初めて会った時、晋作の言う様に長州藩邸に呼ぶべきだった。
晋作を、そして長州の立場を心配する余り、間者かと疑い、躊躇してしまった私の愚かさ。
それに比べ・・・大久保殿の目の聡い事だ。
さすが、と言うべきだろう。
『小娘』と呼び、一見馬鹿にしている風を装いながら、隙のない理詰めで薩摩藩邸に連れて行ってしまった。
あの時は、寺田屋ではなく薩摩になった事に少しホッとしたのだが・・・。
今ではすっかり大久保殿の『紫の上』になってしまった名無しさん。
大久保殿に慈しまれ、好みに仕上げられ・・・少女から若い女性へと、その花びらをほころばせて行く。
大久保殿を見上げる瞳・・・。
もし、あなたが長州藩邸に来ていれば、あれは、もしかしたら私に向けられていたかもしれないのだろうか。
もっとも、そんな事を思ってみても、今ではもう遅すぎる。
その身を包む着物も、その髪を飾る櫛も、全てが大久保殿の見立て。大久保好み。
悔しいが、そんな風に仕立てられたあなたは、憎らしい程に可愛らしい。
大久保殿が、あなたの全てを味わってしまう前に、あなたを長州藩邸へ、私の許へ呼ぶ事が叶うのであれば・・・。
しかし、そんな事は春の雪の様に儚い夢。
淡く消えていくだけのもの。
私の夢は、雪の中で凍ってしまった花。
決して開く事は、ない。
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=END=