EYE SHIELD 21/ANTHOLOGY
□夏の獣
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ずだんっ!
と、彼は相当ひどく地面に背中を打ちつけたと思う。
それにしては軽く眉をひそめた程度で、大して痛そうな素振りも見せなかった。受身の慣れもあるだろうが、そもそもヒル魔は突進してくるセナを避けようとしていない。甘んじて、その凶暴ともいえる攻撃を全身で受け止めたのだ。この程度の痛みは予想済みだったのだろう。
「……!」
はぁ、はぁ、と肩で息をしながら、セナは仰向けに倒れ込んだその姿を見下ろした。
地面に肘をついたヒル魔は、煩わしかったのか乱暴にヘルメットを外した。汗にまみれて乱れた金髪が、真夏の太陽に照らされて、きらめく。
それから、切れ長の瞳がまっすぐにセナを見た。
「……」
ヒル魔は何も言わない。ケケケとも笑わない。ただじっとセナを見つめている。
見上げるヒル魔を、元より飛び込んだあとのことは考えていなかったセナはその視線の数十センチ先で地面に腕をつき、見下ろす。
セナの鼓動は、全力で駆けたそのまま、いまだにどくんどくんと強く脈打っている。おさまりそうにもない。視線は、ヒル魔の強く射抜く瞳に縛られている。カラカラに乾いた喉が、ごくんとだけ鳴った。
結果的には、セナのブリッツは失敗であった。
綿密に練られた計画のうえでの奇襲であってもヒル魔はもちろんそれを承知していて、ヒル魔にしかできないであろう自然さで油断の演技をし、実際にはセナのタックルを受けながらもあっさりとロングパスを成功させた。
現在もやまぬ歓声は、見事ボールを運んだレシーバーに向けられている。
「……」
二人、至近距離で見つめ合った時間はそう長くはない。数秒、もしくはほんの一瞬であったかもしれない。
けれど、セナの目にはヒル魔の頬を伝う汗、呼吸を整えるために薄く開かれた唇、ほんの少しのぞいた犬歯、その奥におさまる赤く濡れた舌、それから上下する喉、プロテクターの隙間から見える薄く浮き出た鎖骨、そのうえに流れ落ちる汗......そういう、ヒル魔を彩る全部が焼き付いていた。
喉の渇きはもはや、飢えに近い。
くらくらする。灼熱の太陽が照りつけるフィールドは、遠くにゆらゆらと陽炎が立ちのぼるほどに、熱い。
「あの、」
乾ききった喉から絞り出した一言は、測ったかのようなタイミングで「さっさとどけ」の一声でかき消された。ついでに、すぱかーん、とヘルメットではたかれた。セナを押しのけて立ち上がると、彼は仕事は終わったとばかりにさっさとベンチに引っ込んでしまった。
その去り際に見えた汗に光るうなじですら、セナの心をとらえて離さない。
正直に言えば、この無謀な作戦を提案したのはセナ自身である。どうしたって、ヒル魔にブリッツを仕掛けるといってきかなかった。雲水などは、ロングパスの瞬間には言わんこっちゃないと天を仰いでいたものだが、それも「男には、勝負しなきゃいけないときがあるんスよ!」と拳を握って力説するモン太に「そういうものか......」なんて諦め気味である。
「惜しかったぜ、セナ!」
「そ、そうかな……あはは…….」
ベンチに戻り、無茶な作戦を決行した挙句の失敗を詫びると、雲水はやれやれといった体で尋ねた。
「やっぱり、ヒル魔には勝ちたいのか」
ほんの一瞬、セナが答えに迷った本当の意味を、察した者はいないだろう。
「え、ええと、勝ちたいっていうかなんていうか……」
見下ろしたヒル魔の頬に、滴る汗。
地面に手をつく自分の腕の中から見上げる、切れ長の瞳。
そのほんの刹那だけ、狂いそうなほどの喉の渇きが、癒されるような気がする。
結局、セナの言葉の続きは語られないまま試合は再開されて、真夏のフィールドはまた灼熱の熱気に包まれた。
定められたポジションに立ち、合図を待つ。
視線の先、彼はさっきと何も変わらない様子でテキパキと指示を送りながら持ち場につき、
それから、
「……」
カラカラに乾いた喉が、ゴク、と鳴った。
ニヤリと。
口の端に乗せた笑みは、間違いなく自分を見据えていた。
喰えるもんなら、喰ってみやがれ。
挑戦的に喉をそらし、悪魔はわざとらしく、その首元を滴り落ちる汗を手の甲で拭ってみせた。
獰猛な獣が、己の中で咆哮する。
その喉、かっ喰らってみせよう。
フィールドが、まるで呼応するように灼熱に燃え、揺らめいている。
ますます全身から雄の気配を燃えたぎらせたセナを見て、ヒル魔はひどく満足そうに笑った。
どうやらヒル魔は、そのセナの中の獣をいたく気に入っているようである。
【 E N D 】