短編


□郷愁
1ページ/2ページ

藍色の着物を纏う秋斉さんと着流しを着た慶喜さんの間を、小さなユリをあしらった浴衣を纏う姉遊女(由梨さん)の後ろ姿が目に入る。

…お似合いだな…

少し後ろから歩く私は、一つため息をついた。

道行く人が、皆、三人の姿を眺望の眼差しで見ている。

自分には、到底眩しすぎる光景。

自分自身と見比べあまりの違いに、段々と足取りも重くなっていく。私と一緒に歩いていた新造の子達も、三人の後ろを歩き楽しそうにお喋りしている。

こちらにきて一年。

慣れることに必死で、ただ周りに迷惑をかけないように、そればかり考えていた。未来とはあまりに違う、幕末で…沢山の人の支えでやってこられた。

最近、思うことがある。

…ここで何をやってるんだろう…と…

翔太君は、龍馬さんの元でこの国のために奔走している。
おかれた場所が違うにしても、そんの自分自身が無意味に感じ、虚無感が心にまとわりついていた。

いつの間にか、足は止まり華やかな集団は遠く先を歩いていた。

足は前へ動くことはなく、来た道を戻っていく。

今頃、お父さんやお母さんは何をしているんだろう…

友達は、何をやってるんだろう…

私は…ここで…何をすればいいんだろう…


とぼとぼと、置屋の暖簾をくぐり玄関先にいた番頭さんと鉢合わせた。

『あ−、あかねはん!ちょうどええところに…少しばかり用があって、出かけなあかんのや。店番たのんだで!』

相当、急いでいたのか言いながらすぐさま出かけていった。
番頭さんが出て行った後、藍色の暖簾が揺れている。

玄関先に腰掛け、ほっと一息ついた。
今は、一人の方が気が楽だ。
皆が夕涼みで出払った置屋の中は、とても静かで時が止まったように感じる。

重い腰を上げて縁側へと場所を変えた。
いつの間にか夕日が沈みかけ夜の闇がそこまでやってきている。
軒先に吊してある風鈴が…チリン…チリン…と風に揺られて音を奏でていた。

『…きれいな音色…』

未来にいた頃は、風鈴なんて気にも留めなかった。自分の中では、お婆ちゃんの家の軒先に吊してあるっていうだけで、あまり意味を持たないものだと思っていた。

この時代は、未来と違いとても静かだ。

かすかな風さえも、音を鳴らし涼しげな音色を届けてくれる。

音色に癒されていく…

今日は特に、夜になっても、まとわりつくように蒸し暑い。
桶に水を張り、足に浸かれば夏の暑さもかなりしのげた。
街頭の灯りもなく電線もない。空を遮るものは何一つ無い中、夜空に輝く星達…。

『…プラネタリウムみたい……』

ごろんと背中を後ろに倒して仰ぎ見る空は、小学校の社会見学に行った科学館のプラネタリウムを思い出される。

…あれって夏の大三角形だっけ…

白鳥座のデネブにこと座のベガ、わし座のアルタイル…だったっけ…?
確かそうだったような…よく覚えてないや。

ちゃんと聞いておくんだった…

懐かしい…


…みんなに……会いたいよ……


視界が滲んで星空がぼやけて見える。一度溢れた想いは、とまることなく涙を流れさせる。
身体を起こし水桶から出すと…チャポン…水が跳ねた。
膝を抱え込み、膝に顔を埋める。

ずっと否定し続けた想いが吐露していく。

『…戻りたい…』

未来からきたことを話せない想いを、悟られないように取り繕うように話を合わせることにも疲れてきていた。

翔太君も、今…どこにいるんだろう…

手紙は何通か届いても未来いた頃のように直ぐに届くわけではない。
最近では、書くことにも疲れてきている。
全くちがう時代で、便利な物は何もない…

…虚無感…

今日は…だめかも…

気持ちが溢れ、心のおきようが分からない。

その時、ふわり香りが舞い背中に温かいぬくもりに包まれた。

頭を撫でながら、我慢しなくていいと言われているようで、嗚咽が混じり声を上げて泣いた。

限界だった。

『我慢せんかて、ええ…泣きたいときは、わてを頼り』

弱い自分は嫌いだ。

それを見透かすように、優しく語りかけてくれていた。

『あかねはんは、十分過ぎるほど頑張ってはる…もっと甘えたらええ』

甘い言葉は、優しく自分自身を包み込み寂しかった心に、染み込んでいく。不思議と気持ちが楽になっていった。

『秋斉さん、ありがとうございます…大分…らくになりました』

『へぇ』

涙で掠れた声も赤く腫れた目元も…秋斉さんの優しさに包まれながら、心の中が暖かくなっていく。
この手のぬくもりに、癒されていく。

『私…もう大丈夫です!明日から、また頑張ります!これからもよろしくお願いします』

秋斉さんに向き直り、深々と頭を下げた。
今の精一杯の顔で、笑いかけた。

きっとひどい顔をしているだろう。

扇子を広げ口元を隠しながら、微笑んでくれている。

『お気張りやす』

腰を上げ、自分の部屋に戻る。

途中、慶喜さんとすれ違い軽く挨拶を交わして二階への階段を上がっていく。

部屋に戻り格子の窓を開けると、夏の夜空はどこまでもきらきらと星達を瞬かせ、輝いている。
時代は違えど、空は変わらない。
移りゆく様を、時に厳しく時に暖かく見守っていてくれる。

『大丈夫…やっていける』

いつか帰るその時まで、お世話になっている沢山の方々の為に、今出来ることをやると決めた。

…お父さん…お母さん…頑張ります…


fin.


おまけ(side慶喜)

『秋斉…お前ってずるいよね』

『そうどすか?』

『あかねを抱きしめて慰めたかったのに…』

『役得というもんや…』


秋斉の部屋の前であかねを抱きしめているのを見てしまった。

最近元気がないあかねの為に、夕涼みに行こうと誘ったのに、二、三日前から大阪からきた由梨が、何を聞きつけたのか一緒に行きたいと言い出し…あかねを誘おうと思っていたのに…俺が由梨を誘う形になってしまった。

ため息が出る。

その由梨がどんな勘違いをしたのか分からないが、俺から夕涼みに誘われたと置屋の皆に言いふらし、新造の子等も連れて、行く羽目になってしまった。その中にあかねもいた。
どうやら由梨が誘ったらしい…

もしかしたら分かっていたのかもしれない…あかねを誘おうとしていたことを…

つくづく、女の勘というのは怖いと思ってしまう。

だが、あかねとも一緒に夕涼みに行けることは間違いない…

半ば諦めかけていた気持ちが上向き、途中から彼女と二人で抜ければいいと思っていた。

その横顔を由梨に見られているとも知らずに、つい顔が綻んでしまう。

『慶喜はん、由梨はんのこと、どないするつもりや』

『…何もしないよ』

『あかねはんと途中で抜けよう思うてはるやろ?』

案の定、秋斉には見抜かれていたみたいで、答えに詰まってしまう。

小言を言うように“由梨はんも見抜いてる…気をつけなはれ…”と付け足されてしまった。
そんな気はしていたが、やはりそうかと…妙に納得し苦笑いが出る。

夕涼みへと歩く道のりに、俺と秋斉の間を上機嫌の由梨が艶やかな笑顔で歩いている。
少し後ろを振り向くと、楽しげにお喋りしている新造の子等と無理して笑顔を作っているあかねの姿があった。

いたたまれず、歩く速度を緩めようとすると、それを阻むかのように由梨に腕を絡め取られる。
それをやれやれといった表情で眺めている秋斉と目線があった。

秋斉もあかねのこのとは、気にかけているようだった。

由梨に目線を向けると、表情は優しく笑いかけながら、瞳の奥に嫉妬の炎が渦巻いている。

…このままでいるしかないのか…

今すぐにでもあかね駆け寄って抱きしめてやりたい衝動にかられるも、それも強く心の奥に押し込んだ。

由梨に優しく微笑みながら、また夕涼みの茶屋へと歩き出す。

夕暮れ時の街は、賑やかで人で溢れていた。新造の子等に声をかけようと後ろを振り向くと、いつの間にかあかねの姿がどこにもなかった。

自然と眉をしかめてしまう。
秋斉と目が合った。

…はぐれたのか…?

町には人が溢れかえり、下手に捜すことが出来ない。

とりあえずこのままでは、どうしようもならない…

夕涼みの為にと予約した茶屋は、すぐそこだ。仕方なく皆を引き連れて向かった。
既に宴席の準備が整えてあり、それぞれ席につき宴会が始まった。

隣から賑やかしい声が耳に入る中、心ここにあらずで杯をもて持て余している。

隣に着座した由梨がしなだれかかるように身体寄せ、艶やかな笑みを向けている。
分かっているのだろう、心ここにあらずということを。

新造子等が、口々に歓声を上げている。

『わぁ…由梨姉はん…』
『ほんに…お似合いやわ…』

横で見ていた秋斉がため息混じりに“由梨…人前や…やめなはれ”と窘めている。
由梨はそれに構うことなく、艶やかな笑みをたたえながら、ちらっと秋斉を見た後、こちらを振り向き紅を引いた唇が動いた。


つづく
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ