短編
□誕生日
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慶喜さんが謹慎生活を送り始め、日本の各地では未だ戦火が上がるなか、ここは別世界のように穏やかだ。
澄み渡る空…静かな庭先…私達を嫌な顔せず、迎えて下さった方々に感謝の思いがこみ上げる。
広い敷地内に家を建ててもらい、そこで秋斉さんと暮らしている。
あの鳥羽伏見の戦いの時には、想像も出来なかった穏やかな日々が…不謹慎にも幸せを感じてしまう。
でも秋斉さんとの距離感は相変わらずで、口付け以上の事は何もない。
近頃は、忙しいのか誰かに書状を送ったり慶喜さんの側で、幕臣側にいた大名の救済するため嘆願書のようなものを書いているようだ。
慶喜さんの心情を少しでも軽くするために…
秋斉さんは、何一つ自分の為に生きてこなかった人だからこそ、せめて私が秋斉さんの側に…寄り添って生きていきたい。
何があってもでもどんなことがあっても…離れない。
固く心に誓っている。
彼のために生きていく、この明治という世の中で…
お父さん、お母さん…親不孝でごめんなさい…
大切なかけがえのない人ができたんだ…笑って許してね…
庭の掃き掃除を終えてから、炊事場に向かい、昼餉の準備を始める。
炊事場にかけてある暦に目がとまった。
…今日は、誕生日だ…
幕末にタイムスリップしてから、こちらでは誕生日を祝う習慣が無いらしく、年が明けて皆一つ年を重ね祝うようだ。
だからなのか、一緒にやってきた翔太君以外、誕生日の事を話したこともない。
もちろん秋斉さんにも。
もし、話したら秋斉さんは贈り物をしてくれるかもしれない。でも、それはプレゼントの要求をしているようで、忙しそうに動き回っている彼に申し訳なくて…言えずにいる。
本当は…貰えたら嬉しいけど、今こうして一緒にいられることの方が、私には最高のプレゼントだ。
だから…このままでいい。
『すみません!
あかねさん、おられますか』
『はい』
庭先の方で呼ぶ声がして、そちらに出向く。
慶喜さんの身の回りのお世話している滝さんが、“あかねさんに、お届け物です”と言って小さな小包を渡され御礼を言って、滝さんは屋敷に戻っていった。
『誰からだろう』
縁側で小包を開き、中から出てきたのは手紙と、手のひらに収まるぐらいの桐の箱だった。
桐の箱を開けると、丁寧に和紙に包まれ、玉飾りがついた飾り櫛が現れた。
一目みて、この国ものではないのがわかる。
…かわいい…
…すごく可愛いい〜〜!…
桐の箱を傍らに置き、膝の上に置いた手紙を手に取り広げると、そこには見慣れた書体で、
あかねへ
誕生日、おめでとう
あかねに似合うと思って、良かったらつけて下さい!
結城翔太
と書き綴られており、胸が一杯になる。
こんなに高価な物……
…翔太君、ありがとう…
…大事に使うね…
手紙を折りたたみ、自分の部屋に入り小さな手鏡を手にしながら髪の毛に挿してみる。
……うん、いいよすごく……
小振りな飾りが髪の毛に栄えている。
自然と笑顔になっていく。
毎年、翔太君は欠かさず誕生日近くになるとプレゼントを贈ってきてくれた。
未来にいた頃は、もらった事なんてなかったけれど、こちらにきてからは忘れずに…毎年…離れていても必ず…まるで、私達が未来から来たことを忘れないよう、二人だけの秘密を守るように。
感謝してもしきれない。
勿論、翔太君の誕生日にもプレゼントを贈っていたけれど…
お互いに、いつか元いた未来に帰るのだという想いも込めて渡していた。
縁側に置きっぱなしになっていた桐の箱と手紙を持ち、着物が入れてある引き出しの中に入れた。
嬉しい気持ちが出ていたのか、鼻歌混じりに昼餉の続きに取りかかる。
珍しく大好きな未来の鼻歌を歌いながら、今日はそんな気分で幸せな気持ちで一杯だった。
炊事場に戻り、出来上がった昼餉をお膳に乗せると、慶喜さんの屋敷に出向いていた秋斉さんと慶喜さんも連れだってやってきた。
『やああかね、今日も一段と可愛いね』
『あ、ありがとうございます』
『あかねはん、お疲れさんやね』
二人の目が、細められたのも気付かず、慶喜さんのお膳も用意して、食事を始める。
どことなく秋斉さんの表情が硬いことも気付かず、浮かれていた。
嬉しくて、終始笑顔で箸が進む。
時折ニヤニヤしていたのか、秋斉さんに“行儀が悪い”なんて怒られながらも綻ぶ顔はとめられなかった。
その後、昼餉を食べ終えお膳を下げ他愛もない話をしながら、お茶を入れる為、炊事場に湯飲みと急須をお盆に乗せて戻る。
秋斉さんと慶喜さんのいる縁側に持って行こうと部屋の角を曲がろうとしたときに、二人の話し声が聞こえてきた。
『しかし、あれは何だろうね…』
『さあ、なんやろね』
『お前が贈ったものでは無いんだろう?』
『ああ』
『誰だろうね…あの櫛…西洋の物のようだし、あかねに贈ったのは…
お前は気にならないのかい?』
『そないな事…早よ帰りよし』
『…ふう〜ん…なるほどね…俺は、あかねが入れてくれるお茶を待ってるだけだよ』
大きなため息が聞こえた。
盗み聞きはよくないと思いつつも、床に縫いつけられたように足が動かない。
ここからでは秋斉さんの表情も慶喜さんの表情も分からない。
けれど、原因はこの櫛にあることは間違いない…だけど、今日だけは外す気にはなれない。
今日は…誕生日だ。
意地を張っていたのかもしれない。
翔太君の気持ちをむげには出来ないし、何よりこの飾り櫛には色々な想いが込められている。
気を取り直すように、歩き始めた。
『慶喜さん、秋斉さん、お茶を…どうぞ』
笑顔は引きつっていたかもしれない。
『ねぇあかね聞いてもいいかい?いいことがあったのかい?』
二人の目線が突き刺さるようにこちらを見ている。
『はい、この飾り櫛を貰って…』
『そうか…。誰から貰ったんだい』
『…翔太君からです』
秋斉さんの眉がひそめられるのが分かった。
『今日だけは、つけていたい気分で…』
『何で、今日だけはつけていたいんや?』
突き刺さすような言葉が、秋斉さんから発せられ、正直に話そうかと迷いながらも決心した。
ひどく呆れられるかもしれないが話し始めた。
『今日は…誕生日なんです』
『『誕生日?』』
二人の声が重なり、首を捻っている。
『はい。誕生日というのは、生まれた日の事で…未来では、生まれた日をお祝いするんです。
無事に育った事を祝い、家族で…ご馳走を食べたりケーキ…甘いお菓子を食べたり、プレゼント…贈り物を貰ったりするんです。
…こちらににきてからは毎年、誕生日になると翔太君が贈り物を…』
と言い掛けたときには、扇子を広げ口元を扇子で隠し、盛大なため息を吐かれ…
聞こえないくらい小さな声でボソッと呟かれた。
『…何で…言わへんのや…』
その後、誕生日について話しながら、慶喜さんは屋敷に戻っていった。秋斉さんは、また自室にこもり書き物をしている。
一人残された縁側で、日向ぼっこをしている。
呆れたかな秋斉さん…
ため息が出た。
『誕生日なのに…』
自然と漏れ出た言葉は、一番幸せに過ごせるはずの日が、今は気持ちが沈んでいく。涙がこぼれそうになる。
櫛…ささなければよかったのか…自問自答を繰り返し、自身の髪の毛から櫛を引き抜いた。
その瞬間頭の中で、翔太君の顔が浮かび…
そんなの贈ってもらった翔太君に申し訳ない…彼の気持ちが込められている。
手に取り可愛らしい玉飾りが付いた飾り櫛を撫で、また、もう一度髪の毛にさしていた。
暖かい日差しが全身を包む。
ぽかぽかして、いつの間にか転がるように眠ってしまった。
つづく