物語

□懸想文【完】
3ページ/29ページ



『……チュン…チュン…』

外から、鳥の鳴き声がする。

『……んっ……』

まだ、働かない意識の中で、ぼんやりと目を開ける。

目を覆っていた布は取られ、見慣れない天井が視界に入る。

『……ここ…どこだっけ……』

昨日の事を、思い出していた。

そうだ、誰かに路地に引きずり込まれて、両手足縛られて……

胸に動悸が走る。

両手首を見ると、赤い跡がくっきりと残っていた。嫌が応にも思い出す。唇を強く噛んだ。

触られた手の感触を、身体が憶えている。

吐き気が…する。

…気持ち…悪い…

布団の中で、両腕を抱きしめるように掴み震える身体を抱きしめていた。

嗚咽が漏れ、涙が零れ落ちる。

鳴き声を漏らすまいと、布団に顔を埋める。

誰にも聴かれたくなかった。


自分が自分じゃないみたいに、元には戻れない事に、空虚感が支配する。

大好きな人の顔が思い浮かぶ。

…もう…会えないよ…


その時、襖の向こうから声がかかった。

『…おはようさんです。入っても、よろしおすか…』

女の人の声だった。

『…は…い…』

身体が重く、上半身を起こすことが出来ず目は襖を見やった。

『失礼します。』

女の人は、頭を下げ部屋に入り、着替えを持ってきてくれたようだった。

『着替え、手伝わさせてもらいます。』

『…えっ』

私は、間抜けな声を出した。

起きれないでいたが、着替えを手伝って貰うわけにはと、思っていた。

なぜなら、身体には、昨日の痕が至る所についていた。

誰にも見られたくは無かった。



女中さんの手は遠慮がちに伸びてきて、肩まで被っていた布団をめくる。

『…すんまへん。』

と、一言いうと、

私の着物に手をかけ、脱がせていく。肌につけられたら痕は見ないように目線を逸らしながら…

肌襦袢に手が掛かり、私は、声をあげた。

『わ…私…自分で…着ます…』

女中さんは、困った顔をして、私に視線を向ける。

『ですが…旦那様の言いつけですので…』

と、言いかけ、彼女は口元に手をあてた。

『…旦那…様…』

まずいといった表情で視線をさまよわせた。

『旦那様って…』

と、言いかけた私の言葉を遮るように、彼女は、頭を下げて言った。

『すんまへん。この事は、旦那様に言わんでくれますやろか…』

最後の方は、消え入りそうな声で、畳に頭を擦り付けるように頭を下げる。

『あの…そんなに謝らないで、顔をあげて下さい。私、ゆっくりなら一人で着れますから。』

彼女を安心させるように声をかけた。

よく見ると、彼女の手は、小刻みに震えていた。

布団に横たえていた身体を、ゆっくりと起こし彼女の手を取りそっと添えた。

はっとした顔で、私の顔を見た。

眉尻を下げ、また、頭を下げた。

今度は、先程とは違う、やさしい笑みで、

『…おおきに…』

と、礼を言った。


涙が溢れた。


ここにきて、初めて温かいものに触れた気がした。


それから、彼女は仕事の合間に私の様子を見にきてくれ、話し相手をしてくれた。

でも、夕方になると哀しげな表情で部屋を出て行く。
彼女は、知っていた。


これから、何が行われるのかを…


夕方から夜になり空が闇に染まると同じ様に、私の部屋にも闇が訪れる。

焚かれる香。

私の目は闇に覆われる。

無理やり頭を押さえ口付けされ、飲まされる液体。

視界も、身体の自由も全て奪われる。


けっして最後まで求める事のない行為。


もう、何度目になるだろう…



気持ち悪い感覚も…吐き気も…どこか…遠くに行ってしまったのかもしれない…


置屋に戻る事なんて…


…もう出来ない…




自分の身体が、酷く醜く思える…


いっそ、命をもぎ取ってほしかった。


…私は、帰る場所を失ってしまった…




そんな頃、思いもよらぬ人が訪ねてきた。



秋斉さんが迎えにきたのだ。


つづく
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ