□相互表情
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彼女は笑わない女だった。



「ねぇ、笑いなよ」



「イヤよ」



「オレ、名無しさんの笑った顔見たことないよ」



「ふふ…当たり前じゃない。貴方が、笑わないん…だもの」



「ねぇ、笑いなって」



「いーや」



「これで最後なんだよ?」



そう告げても彼女が無表情を崩す気配はな かった。



彼女の顔が浮かべる無表情と彼女の口から 漏れる虫の息が不釣り合いで何だか少し可笑しい。



「オレは名無しさんの婚約者なのに名無しさんはオレに喜怒哀楽を見せないまま死ぬんだ」



「わ…たしだ、て…貴方のきど、あいらく見 たこと…ない」



皮肉めいた言葉にハハと声だけで笑った。



「この期に…およん、で、また声だ…けで、 笑うな、んて、嫌なひと…」



彼女もまた声だけで怒った。



「いるみ」



「何?」



限界が近付いてきたのか彼女の色白の顔は 更に白さを増し、青白くさえ見える。



今なら本当に人形になれそうだ。



頭の片隅で場違いな事を考えつつも彼女と 視線を交えた。



「いる…み」



「何?」



もう一度呼ばれた名にいつも通り返事を返す。



「いる…み。あい、してる」



噛み締めるように紡がれた言葉に胸の奥が 締め付けられた。



「何いまさら」



「だて、うまれ、てから…一度も…言ったこ 、となか…たの」



何だろう この感情…

切ないくて… 痛くて…

どうしようもなく 苦しい…



「……名無しさん泣いてるの?」



彼女の頬に透明な水が伝っていた。



「だって、あな、たが………ないて、るから 」



「は?」



名無しさんは何を言っているんだろう



オレが泣くなんて…



オレの腕の中で、寝ている名無しさんの頬にポタリと雫が落ちた。



上から降ってきた雫は彼女の涙でも雨でも ない。



紛れも無く、オレから零れ落ちた物だった



泣くなんて行為…… ずっと忘れてた



そっか…涙は 辛くて、苦しいと出るんだった



「あな……たの、なきがお、みれ…て…よか た」



「オレは名無しさんの笑った顔が見たい」



「ふふ………あなた…が、そんな、かおして る…のに、わらえ…ない」



「ねぇ、笑って」



「いる…み。あいし、てた。ありが、とう」



「ねぇ…」



「…………」



「名無しさん…?」



彼女から人の気配が消えていくのが分かる







「死んだ?」





答えてくれる人間がいない事を理解しながら 一人問い掛けるように呟いた。



「………オレは名無しさんに隣で笑っていて欲しかったんだよ…」



オレは感情表現なんてもう忘れてしまった から。

名無しさんには笑っていて欲しかった。



ずっと…ずっと…



「なのに最後に見せた顔が泣き顔なんて酷 い女だね。名無しさんも。」



「でも……それでもオレは名無しさんを愛してたよ 」



まだ温かい彼女の唇に、オレは初めてキスを した。



不器用な二人。彼女に笑って欲しかった男と二人で笑いあいたかった女。



初めてのキスは涙の味がした

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