夢
□ハイとイイエどっち?
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こういうところさえ無ければ、誰から見ても ヒソカはいい男のはずだ。
「こういうところ」というのはもちろん「ク レイジーなところ」という意味だ。
待ち合わせで女性を待たせることはしないし 、ドアはヒソカが先に開けてくれている。
女性が好みそうな容姿だし、話のひきだしも 多い。
レストランでのマナーも完璧で、いったいど こから奪った教養だと問いただしたいくらい だ。
ちなみに、レストランでの「赤ワインの毒混 入疑惑」も「“今夜”の返事」も、最終的に どちらも答えはノーだった。
となりの席にいた老夫婦に、量が多いからす こし飲んでいただけないかと頼んだら、ここ ろよく飲んでくれて、安全を証明してくれた 。
もし、まんがいち何かが起こってもレストラ ン側に罪をきせることができるし、あたしは 安全。
ふつうでないことぐらい承知している。 やはりあたしもヒソカと同じでクレイジーだ 。
ワインは、深く濃い、のどにくる味で、肉料 理によくからんでとても美味しかった。
支払いはあたしの反対を押しきってヒソカが 持ち、あたしたちはそれぞれのホテルまでタ クシーで帰ることにしたのだった。
別れを交わし、店のまえで客を待っているタ クシーの群れへ向かう。
左腕がぐんと引っ張られ、体が後ろへ持って 行かれた。
手や腕をつかまれたのではなく、引っ張られ て。
――ヒソカのバンジーガム
そんなに距離がなかったのか、抵抗するひま もなく、あっという間にあたしはヒソカの胸 の中にいた。
ちゃっかり腰に回された両の腕があたしの癪 にさわる。
「もしかして眠いのかな?油断だらけだった けど…」
ヒソカはややおどろいて言う。 否定はできなかった。 たしかに油断していた。
「……ワインのせいよ」
いつものあたしだったら、ヒソカにバンジー ガムを付けられたときに気づくはずだ。
密着していた体をすこし離すと、ヒソカは優 しく自然な動作であたしの両肩に手を置いた 。
「なにか用なの?」
「タクシー代渡してなかったから」
「それくらい持ってるわよ」
ばかにされた気がして、言い返すために視線 を上げる。 すると右の頬が手につつまれ、唇に柔らかい ものがかさなった。
ヒソカが最後に飲みほしたワインの味がくち びるを通して広がる。
それと同時に、首に電流が走ったような痛み 。
「また会おう」
胸の膨らみのあいだに折った紙幣を挟んで、 踵を返してタクシーへと向かうヒソカ。
痛みの走る首筋をなぞると、真っ赤な血が垂 れていた。 薄皮を切られていた。
遠くなるヒソカの背中。
あたしは何を否定するでもなくゆっくり首を 横に振って、あきれたようにわらう。
「歪んでるわ、ヒソカ」
彼は首をひねってうしろを見た。 すこしだけ斜めにかしげて、薄くわらう。
風を切る音。 シュルシュルと鳴る紙。
あたしに向かってまっすぐ投げられたトラン プカードを指で挟み受け取ると、いっそうヒ ソカの切れ長の目がうれしそうに細められた 。
スペードの4。
右のすみには血。 あたしの血だ。
胸のあいだに挟まれた紙幣は1万ジェニー札 が3枚。
それは十分すぎる金額だった。
いちばん上の紙幣の端には「Be careful(気を つけて)」という文字。
ドッキリテクスチャーで即興で書いたのだろ う。
あたしは振り返らずにタクシーへと向かった 。
20年を超える付き合いのあたしから言わせ てみれば、ヒソカはただの変態殺人快楽狂で はない。
文学的センスがあり、よく気が利くし、博識 で頭が切れる。 また紳士でもあり、ロマンチストな面も持っている。
だがなにも今挙げた側面が、彼が変態快楽殺 人狂であるということを否定する材料になる わけではない。
なぜならそれは否定なんてこれっぽっちもで きない、事実なのだから。