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レポートNo.39:城山荘&鵜沼城跡
所在地:岐阜県各務ヶ原市鵜沼南町七丁目→地図
木曽川を挟んで国宝犬山城と対峙する位置にある鵜沼城跡。別名宇留間城とも。その山頂にあった旅館が城山荘です。
鵜沼城は永享年間(1429年〜1440年)に大沢薩摩守治利(利治とも)により築城され、以降代々大沢氏の居城となりました。
応仁の乱の頃の城主伊豆守清金には七人の子がいて大沢七人兄弟といわれ大いに武威を振るったと言われています。
しかし、その七人兄弟の長男和泉守正吉が城主の時、土岐定頼と戦って敗れ、兄弟は全員討死してしまったそうです。
その正吉の孫の次郎左衛門正重は土岐氏→斎藤氏と仕え、鵜沼の虎と呼ばれ斎藤家中でも一目置かれていて、1564年からの織田信長による美濃攻めでは、他の城が次々陥落する中、しぶとく抗戦を続けていました。
その後1567年、木下藤吉郎=豊臣秀吉の調略に応じ織田方となりましたが、信長はその心底を疑い殺害しようとしたので、藤吉郎がひそかに手引きして逃がしたそうです。
以降は廃城となった模様です。
山頂に大沢家歴代碑があり、土塁等の遺構が残っているそうですが、現在城山一帯が立入禁止のため詳細は不明です。
ちなみに正重の弟の大沢主水は織田信長のもとにスパイとして潜りこみ、藤吉郎の長槍隊を相手に短槍隊で試合し、敗れて逐電したことが太閤記に記されております。
城山荘のほうは、平成始めのあたりまでは営業していたそうですが、現在は廃業し、ここ数年の間に山頂にあった廃墟が取り壊されたと言われています。