07/30の日記

15:36
荘子
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古の真人は、生を説ぶことを知らず、死を悪むことを知らず。其の出ずるに訴ばず、其の入るに距まず。翛然として往き、翛然として来たるのみ。其の始まる所を志らず、其の終わる所を求めず、受けてこれを喜び、忘れてこれを復す。

荘子

荘子は、「大小・善悪・美醜といった相対的区分は人為的なものにすぎない、あるがままの世界では、相対的区分や一切の対立差別に囚われず、万物はみな同一である」としました(万物斉同)。
また、こうした自由な境地に立って物事をありのままにとらえる人間を、真人(至人)と呼んで理想としました。
冒頭の言葉は、真人が死についてどう考えるかを述べた荘子の言葉です。

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