牧場物語
□それぞれの片想いver.アカリ
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授業終了のチャイムが鳴り響き、先生が教室を出ていくと今まで静まりかえっていた空間は途端に休み時間独特の騒がしい空気に変わる。
そんな喧騒を横目にあたしは自分の定位置、窓際の一番後ろの席でいつものように頬杖を付き、窓の外…向かいの棟の一階を覗き見る。
(…この席からはよく見えるんだよね)
癖のない綺麗な黒髪。
知的さを際立たせる眼鏡。
真っ白な白衣。
(…ウォン先生)
席替えで、この席が当たった時はラッキーだと思った。
この席からは向かいの棟にある保健室がよく見えるから。
そう、あたしは恋をしている。
決して叶わぬ無謀な片想い。
保険医である…あの人に…。
…切っ掛けは
一年生の時だった。
「………」
「………」
「…全く、君はどうしてそう怪我が絶えないんだい?」
眉間に深く皺を寄せて、呆れたように息を吐くウォン先生に思わず唇を尖らせてしまう。
(だから、来たくなかったのに)
あたしは保健室が苦手だった。
この独特な薬品臭さも、白に包まれた音のない空間も、何よりも口煩いウォン先生が苦手だった。
別にあたし自身は先生の言った通りに傷が癒える頃にはまた新しい傷を作ってる訳だし…治療なんか必要としてなかったのだけど、幼なじみでクラスメートのチハヤは何かとあたしの世話を焼こうとして、怪我をすればすぐに保健室に連れて行こうとするのだ。
それも逃げられない訳じゃないけど、チハヤはあたしがすぐに逃げ出すと考えているのか(当たっているけど)手を引っ張られて保健室まで連れていかれれば、あたしの意思を無視して先生に治療をお願いして逃げ出せないようにといつも保健室の扉前で待っている。
そんな事をされては流石にあたしでも逃げ出す事は出来ない。
「ほら、頬を膨らませていないで右肘出して」
先生に言われて渋々といった様子で右肘を差し出す。
先生の治療は丁寧だ、いつも大量に擦り傷を作ってくるあたしにも毎回丁寧に治療を施してくれる。
確かに…良い先生だとは思う。
よくよく見てれば、切れ長の瞳に整った目鼻立ちをしてるし…女子達に騒がれるのも分からない事はない。
けど…口煩いのが玉に傷だと思う。
あたしは昔から、こういうタイプの人間が苦手だった。
頭が堅くて融通が利かない。
大抵、こういうタイプの人は決まってこういうのだ。
『子供じゃないんだから』
と。
あたしの大嫌いな言葉。
[子供じゃない]
[高校生にもなって]
そんな事はわかってる。
けど、人にあたしの事をとやかくは言われたくない。
自分達にとっての普通をあたしにも押し付けないで欲しい。
…まあ、こんな事を考えてる時点で子供なんだろうけど…。
そうこうしている内に治療は終わったらしく、消毒液の蓋を閉めながらウォン先生は此方に切れ長な瞳を向けて…口を開く…。
「…君は…」
その表情に仕草から、この人が何を言わんとするのかを察して、機嫌がますます急降下していく。
(またお決まりの文句か)
「…女の子なんだから、あまり危険な事はするものじゃないよ」
耳を疑ってしまった。
…女の子…?
驚いて先生を凝視してしまう。
今まで大人にも男子達にすら女の子…なんて言われた事のなかったあたしには衝撃の言葉だった。
「もっと身体を大切にするように。いいね」
予想外に優しい口調に、思いがけない言葉に、ドキン…と心臓が跳ねたのがわかった。
自分でも単純だと思うけれど、先生のあの一言で今まで苦手だったあの人をあたしは好きになってしまった。
それからのあたしは(あまり)男子とも喧嘩をしなくなったし、外で男子に混じってサッカーや野球をやることも減って、少しはマシになったんじゃないかと思う。
お陰で先生に会える理由はなくなってしまったのだけど。
それで良いと思ってる。
あたしはあの時から先生に会う勇気が持てないのだ。
あの密室で二人きりになんかなったら、とんでもない失態をおかしそうだから。
だから、2年に上がって保健室がある棟とは別棟に移って…席替えの時にこの席から保健室がよく見えると知った時は本気で嬉しかった。
それからあたしの休み時間は大抵はボーッと窓の外を眺めて終わっていく。
けれど、こんなに熱い視線を送っていても、それは決して届く事はない。
一度足りとも…あの人はあたしの視線に気が付いて、あの窓越しから此方を見上げた事がないのだから。
(…先生)
こんなにも臆病なのに願ってしまう。
此方を見て下さい。
一度で良いからあたしに気付いて下さい。
見て…先生…
あたしを…。
救いようのないどうしようもない願い。
あの人に近付く勇気すらないのに、こんな願いばかりを心に描く。
(馬鹿だよ、ほんと)
「…アカリ」
ボーッと保健室を眺めていたら、聞き慣れた声に呼ばれて後ろを振り向くと見慣れたオレンジ色の髪が視界に映る。
「次。移動だよ。教室」
「え!本当に!?」
ヤバい。いつもの調子で外を眺めてたから皆が移動したのにも気が付かなかった。
クラスに残っているのはあたしとチハヤだけ。
チハヤが声を掛けてくれて助かった。
「嘘なんか吐くはずないだろ。良いから、早く準備しなよね。アカリのせいで遅れるなんて冗談じゃないよ」
相変わらずの減らず口だが今日は本当に助かったので一言謝って、急いで次の授業の準備をして教室の扉まで近寄る。
出る一瞬、あの窓を振り返って…、
「………」
あたしはチハヤの後を追い掛けた。
あたしは恋をしている。
それは決して届くことのない想い。
弱いあたしはわかっているのに諦めきれず、あの人を見続けてしまう。
この想いが冷める事はあるのだろうか。
動く勇気もないのに、女々しい行為を繰り返す。
わかっていても、
それでもあたしは…
今日も、教室の窓からあの人の姿を追い掛けてしまうのだろう。
end